悪役令嬢、お荷物ネグリジェのせいで冷徹公爵と至近距離でガシッ!?
私は中華ヘラが奏でる軽快なリズムに合わせ、体をノリノリで揺らしながら巨大な中華鍋のチャーハンを忙しなく炒めていた。
目の前でジュージューと音を立てる香ばしい湯気を見つめていると、突如として脳内に邪悪な名案がひらめいた。鍋の中で激しく踊るワギュウの肉片と乾燥唐辛子を見つめ、私の唇にニヤリと悪戯っぽい笑みが浮かび上がる。
(へへっ、あのカタブツで気取った公爵が、自分の婚約者が離宮の厨房でネグリジェ姿のまま、こんな旨味調味料まみれの庶民のジャンクフードを作ってるって知ったら、間違いなくドン引きして契約破棄を申し出てくるに違いないわ!)
私は心の中で快哉を叫んだ。
「ざまあみろ、キリアン」
私は脳内で繰り広げられる帝国軍最高司令官のポカンとした間抜け面を想像し、一人でヒヒヒと邪悪にほくそ笑んだ。元・貧乏学生の魂が炸裂したこのカオスな『男気チャーハン』を見たら、あいつは一体どんな顔をするかしら。
「昨日、市場で私を血眼になって追い回したあの物乞いからの復讐を、とくと味わうがいいわ!」
「――何の話だ、王女殿下?」
「そうよ、復讐――って、ギャアァァァッ! 心臓止まるかと思った!!」
私は飛び上がるほど驚き、手に持っていた中華ヘラが危うく空中へフライハイするところだった。
猛スピードで振り返ると、そこには厨房の柱に背をもたれ、腕を組んだキリアンが立っていた。その無表情な瞳は、明らかに説明を求めるようにこちらをじっと見据えている。
剣術訓練の直後ゆえの、汗で少し乱れた彼の姿が視界に入り、私の心臓が不規則に跳ね上がった――いや、恋に落ちたわけじゃない。
私の『王宮財産スッカラカン計画』がバレるんじゃないかという純粋なパニックのせいだ!
私は慌てて現代人の脳細胞をフル回転させた。よしアリーシア、全力であいつをドン引きさせるのよ! 世界一奇妙で下品な女だと思わせて、この契約婚約を向こうから蹴り飛ばさせてやるんだから!
私は即座に中華ヘラを置き、腰に手を当てると、王女としてはおよそあるまじき無作法なジェスチャーで、あえて彼の目の前で自分の脇の匂いをくんくんと嗅いでみせた。
「あら、偉大なる公爵閣下。神聖なる料理の最高傑作をプロデュースしているレディの姿を覗き見するなんて、ずいぶんと悪趣味ですこと。厨房のストーカー(隠密)の他に、やるべきお仕事はないのかしら?」
キリアンは片方の眉をわずかに上げたが、私の渾身の『脇くんくんアピール』を見ても、微塵もドン引きした様子はなかった。
彼の視線は、むしろ私の前で強烈な旨味を放っている中華鍋へと移る。
「皇帝陛下がお前を探している。昨日のロワンとの朝のミサの任務をボイコットしたからな。まさか私の婚約者が、裏でスラムの料理人に転職していたとは知らなかったが?」
「あの説教は退屈極まりないわ。それに私の胃袋の健康は、ロワンの王族の家系図並みに長い退屈な説教を聞くことよりも遥かに重要なの」
私はフンと鼻で笑い、無造作に素手の指先で熱々のワギュウの肉片を直接つまみ上げると、フーフーと乱暴に息を吹きかけてから口の中へと放り込んだ。そして、わざと下品にクチャクチャと大きな音を立てて咀嚼してみせる。
「むしゃむしゃ、もぐもぐ。……んーっ! 最高に美味!」
私はキリアンをギロリと睨みつけ、私の崩壊したマナーを見て彼が嫌悪感に顔を歪めるのを今か今かと待ち構えた。
しかし、運命の女神というのは、どうやらとことん悪趣味なジョークがお好きならしい。
ドン引きするどころか、キリアンはドスドスと大きな一歩を踏み出して近づいてきたのだ。
彼の重々しい足取りとともに、軍人特有の圧倒的な威圧感が厨房に満ち、二人の距離が一瞬にしてゼロになる。
私が再び熱々のワギュウを素手でつまもうとしたその瞬間、逞しく大きな手が、空中で私の手首をガシッと掴んだ。
――ガシッ!
「痛っ!」
私は思わず声を上げた。
「自ら手を火傷する気か、お調子者の王女殿下」
私の頭上から、キリアンの低く響くバリトンボイスが降ってきた。
あまりの至近距離に、彼の男らしい汗の匂いと、私が作ったナシゴレンのピリ辛な湯気の香りが混ざり合って鼻腔をくすぐる。
キリアンは左手で、頭上の棚から平然と綺麗なスプーンを取り出した――その拍子に、二人の体が数秒間ほぼ完全に密着し、私の心臓は反射的に激しいドラムを刻み始める(バクバクと暴走した)。
彼は私の手首を掴んだまま、中華鍋からチャーハンを器用にひとすくいすると、驚くほどエレガントな所作で自らの口へと運んだ。
私は呆然と口を開けた。なんなのこの男?! 潔癖症のくせに他人の食べかけ(直箸ならぬ直鍋)とか汚いと思わないわけ?!
一秒……二秒……。
咀嚼した後のキリアンの顔は、相変わらず無表情で冷徹なままだった。しかし、その瞳の奥に突如として悪戯っぽい光が宿る。
彼はゆっくりと私の手首を解放すると、その綺麗なスプーンを私の唇のすぐ目の前へと差し出してきた。
「妙だな。私には少々味が濃すぎる(パンチが効きすぎている)」
キリアンは淡々と言い放ったが、その口元はゆっくりと弧を描き、滅多に見せない薄薄とした意地悪な笑みを浮かべていた。
「この奇妙な料理の半分を、私の口止め料として差し出せ。さもなければお前のこの悪行を皇帝陛下に報告するが……。それとも、私がこのスプーンでお前の口を直接塞いで(あーんして)静かにさせてやろうか?」
私は何度もパチパチと瞬きを繰り返し、目の前のスプーンと、キリアンの尊大なドヤ顔を交互に見つめた。
――ハァ? これ、脅迫されてるってことかしら?!
「嫌っ! 絶対嫌!」
私は声を大にして叫ぶと、心臓の健康を著しく害する彼のイケメンオーラから安全な距離を保とうと、大慌てで頭を後ろに引いた。
「勝手に押し付けないでよ! この料理は元・貧乏学生の血と汗と涙の結晶なんだから、あなたにタダ食い(ヤクザのみかじめ料)される筋合いなんてないわ! それに自分の手があるでしょ、このカタブツ公爵! サボってないで、そこからお皿でも持ってきなさいよ!」
私のまったく王女らしくないブチ切れの説教を食らっても、キリアンは引き下がるどころか、フッと可笑しそうに鼻で笑った。
彼の意地悪な薄笑いはさらに深まっていく。お皿を取りに行く気など毛頭ないらしく、その逞しい手が前へと伸びると、私のネグリジェの襟首のあたりをガシッと掴んで後ろへ退がれないように固定した。
「拒否権などない、アリーシア」
キリアンは低く囁いた。それは絶対的な軍の最高司令官が放つ、問答無用の命令のトーンだった。
私が文句を言おうと口を開きかけたその瞬間、キリアンは電光石火の手つきで、今まさに大口を開けようとしていた私の口内へ、特製チャーハンを乗せたスプーンを容赦なく突っ込んできた。
「むぐっ!」
「んぐ?!」
私の目は完全に点になった。
クソッタレ! 私はあろうことか、このサイコパス男に強制的に「あーん」をされてしまったのだ!
有無を言わさず、私は限界まで不満を詰め込んだ不機嫌極まりない顔で、自分の作ったチャーハンを咀嚼する羽目になった。
口の中に旨味、ピリッとした辛み、そしてワギュウの肉汁と旨味調味料のジャンクな美味しさが一気に広がって躍動する。
味は文句なしに最高に美味しい。美味しいけれど、汗でシャツをじっとり濡らした最高スペックのイケメンに直に至近距離で食べさせられているというこのシチュエーションのせいで、私の現代人の脳内回路は完全に大ショートを起こしていた。
「どうだ? 美味いか?」
キリアンは平然と問いかけながら、私のワインレッドのサテンのガウンと彼の白シャツが擦れ合うほどの距離まで体をぐっと寄せてきた。
その瞳は、悔しさで顔を真っ赤に染めている私を見て、満足そうに怪しく光っている。
「美味しいに決まってるでしょ! 私が作ったんだから!」
なんとか必死にチャーハンを飲み込んだ後、私はトゲのある口調で言い返した。そして、彼の逞しい手からスプーンを乱暴にひったくった。
「ほら、そこを退いて! あなたの近くにいるとロクなことが起きないんだから、この貧乏神め!」
あまりにも気まずい空気が流れ、胸がバクバクと破裂しそうなくらい緊張していたため、私は食材を置くための長い木製テーブルの上から一刻も早く飛び降りようとした。
しかし、ゆったりとしたシルクのネグリジェの裾が、不運にもテーブルの角に引っかかってしまった。そのせいで着地の体勢が完全に崩れる。
バランスを失った私の体は、そのまま真横へと盛大に傾いていった。
――ガシッ!




