中央厨房の強制占拠、あるいは悪役令嬢が最強のワギュウチャーハンを作る理由
窓の外では鳥たちが楽しげにさえずり、燦々と降り注ぐ朝の太陽を迎えていた。
そんな豪華絢爛な王女の寝室の中、私はキングサイズのベッドの上に、およそエレガントとは言い難い無様な格好で大の字に寝そべっていた。
片足はうず高く積まれた枕の上に放り出され、右手はロワンからもらったあの金貨を空中に放り投げてはキャッチする遊びを忙しなく繰り返している。
ひょい。ぱしっ。チャリン。
「ふぅ……早朝の警備兵たちが寝ぼけてて命拾いしたわ。じゃなきゃ完全に詰んでたし」
私は満足げな笑みを浮かべて独りごちた。
明け方に窓からどうにか忍び込んだ後、私はソッシャワーに直行して薔薇の香りが復活するまで髪を洗い流し、市場で買ったドブ臭い古着は秘密の場所に速攻で隠滅。そして、このふかふかのベッドへダイブしたのだ。
今の私は、どこからどう見ても『帝国王女』の最高スペックに完全復活している。
黄金の髪は早朝に入ってきた侍女の手できれいに整えられ、純白のシルクのネグリジェは非の打ち所がなく、お肌もツヤツヤ(グロウ)だ。だがしかし、中身の「寄生虫系ニート(元・崖っぷち貧乏学生)」の魂までは誤魔化せない。
ぐきゅるるるるぅ……。
お腹がまた悲鳴を上げた。昨日の夕方に食べたあの焼きソーセージは、どうやら私の腸によって完全に跡形もなく消化されてしまったらしい。
「あー、お腹空いた。でも原作小説によると、この王宮って毒殺のコンスピラシー(陰謀)だらけなのよね。この離宮の侍女たちも、どいつもこいつも怪しい顔つきだし……」
私は部屋のミニ大聖堂風の天井を見上げながら呟いた。
脳細胞をフル回転させる。宮廷の厨房から運ばれてくる飯をうっかり食って犬死にするくらいなら、この「皇帝の愛娘」――いや訂正、「王宮の財産を合法的に毟り取れる特権持ちの王女」という立場を最大限に利用すべきじゃない?
「そうだわ! 帝国一のド金持ちな公爵の婚約者で、皇帝の娘なんだから、なんで私が毒ごときに怯えなきゃいけないの? 国家資格持ちのお抱え専属シェフを雇うか、厳重に封印された生の食材だけを発注して、あのえこひいきクソ親父(皇帝)の財布を限界までスッカラカンにしてやればいいのよ!」
私の美しい顔に、邪悪で狡猾な笑みがじわりと浮かび上がる。
本日の計画は極めてシンプルだ。
1.今後も全力で帝国の無能な給料泥棒(お荷物)であり続けること。
2.「祭壇で気絶したトラウマ」を理由に、離宮の予算を5倍に跳ね上げさせること。
3.婚約者が絶望的な守銭奴(ガメつい女)だと知ったら、あのキリアン公爵も百年の恋も冷める(ドン引きする)に違いない。
クソ親父の財産を毟り取る長期計画は完璧だけど、今この瞬間に私の胃袋にいる胃虫たちは、即効性のある炭水化物を要求していた。専属シェフを正式に雇う前に、私の前世のサバイバル精神(自立した元・貧乏学生の魂)がどうしても反乱を起こしてしまう。
王女たるもの使用人の領域に足を踏み入れるべからず、なんてプロトコル(宮廷のしきたり)は知ったことか。
胃袋の安全と今後の生存のために、今朝の食事管理は私が直接乗っ取る!
私は薄手でゆったりとしたシルクのダスタードレスに、ワインレッドのサテンのナイトガウンを羽織っただけの姿で、離宮をこっそりと抜け出した。そして、帝国のメイン厨房へ向かって大股で歩き出した。
――バァァァン!
私は乱暴に厨房の扉を蹴り開けて中へと踏み込んだ。
玉ねぎを刻んだり皿を洗ったりと忙しなく動いていたシェフ、料理助手、そして使用人たちの全員が、その場で一瞬にして凍りついた。
カチャカチャと響いていた包丁の音が、突如として空間ごとピタリと止まる。
「あ、アリーシア王女殿下?!」
宮廷料理長が、まるで大鉈を持った死神でも目撃したかのように、みるみる顔を真っ青にして叫んだ。
厨房の全作業員が、油で少しぬめり気のある床の上へ即座にひれ伏し、跪いた。
「こ、このような汚らしい場所に、一体どのようなご用件でしょうか、王女殿下? もしや、朝食のメニューがお気に召さなかったと――」
「全員、そこを退きなさい」
私は顎をツンと上げ、彼らが余計な詮索をしてこないよう、元のアリーシアが得意としていた傲慢な表情(ドヤ顔)を張り付けた。
「これより、この魔導火力を搭載したコンロエリアは私の管轄とするわ。厨房の臨検を行うから、全員外へ出なさい」
私はわざと本物のアリーシアの冷徹な口調を真似て言い放った。
使用人やシェフたちは困惑した様子で顔を見合わせる。この無能な王女が、一体何の目的で厨房のチェックなど始めるというのだ。
「もう一度言わせる気かしら? ――出ていきなさい」
私は言葉の端々にドスを利かせ、首の血管をなぞるような鋭い眼光を向けた。
「私の邪魔をする不届き者は、ヘリオスお兄様に言いつけて、あなたたちの野菜の仕入れ予算をバッサリ削らせるから覚悟しておきなさい!」
その脅しは、恐ろしいほど奇跡的な効果を発揮した。わずか三秒のうちに、厨房の作業員たちはパニック状態で激しく首を縦に振った。彼らはまるで、怒り狂ったトドに怯えるペンギンの群れのように、一斉にメインの扉から外へと転がり出ていったのだ。
大きな厨房の扉が外からバタンと閉まった瞬間、宮廷の廊下では使用人たちによる悪口雑言の嵐と噂話が爆発した。彼らは怒りと恐怖の入り混じった顔で、コソコソと耳打ちし合う。
『はぁ?! あのクレイジー王女、今度は一体何の悪霊に取り憑かれたんだ? 感情の起伏が激しすぎて、本当に王族の器じゃないな!』
料理助手の一人が内心で忌々しげに毒づいた。
『昨日は皇后陛下のティーパーティーをぶち壊したと思ったら、今度は私たちを中央厨房から追い出すなんて! 昨晩、皇帝陛下に叱責されたストレス発散に決まってるわ!』
別の侍女もブツブツと愚痴をこぼし、一刻も早く宮殿の総侍従長へ報告したくてウズウズしていた。
『どうせただの物珍しさで、厨房の設備をめちゃくちゃに荒らしたいだけでしょ。後で中がどれだけ悲惨なことになっているか、見ものだわ!』
一方、突如として静寂が訪れた広々とした厨房の中。私は扉の外で吹き荒れているそんな不名誉なゴシップ(陰謀論)など、一ミリも気にしていなかった――というか、そもそも知る由もなかった。
自分の周囲の半径数メートル(パーソナルスペース)から邪魔な人間がすべて消え去ったのを確認し、私は邪悪な満足感の笑みを浮かべた。
(権力の乱用って、なんて簡単で最高なのかしら? ――って、そんなクソみたいな思考をしてる場合じゃないわ、お腹が限界よ!)
私は左側にある巨大な食材保管棚に向かって、悠然とした足取りで近づいていった。
窓の隙間から覗き見している使用人がいないかを確認しながら、私は数分間かけて棚の食材を一つずつ丁寧にチェックしていった。
その次の瞬間、私の目はパッと輝いた。これぞまさに、渡りに船! 魔導冷蔵庫の中に、見事な霜降りの最高級ワギュウ(牛肉)の塊、純粋バター、ニンニク、南方地域から輸入された最高級の乾燥唐辛子、そして日本の高級醤油にそっくりな香りがする黒い発酵ソースのボトルをいくつか発見したのだ!
さらにその奥には、昨日炊いたと思われる冷やご飯(残りご飯)までしっかりと保管されている。
「よし! 元・貧乏学生の魂を懸けた、限界突破の特製『ナシゴレン・ギラ(クレイジーチャーハン)』を作っちゃおう!」
私は歓喜の声を押し殺して呟いた。現代人の舌が恋焦がれていた、あのジャンクな旨味調味料(味の素)の刺激を味わえると思うと、もう辛抱たまらない。
私は高級なサテンのナイトガウンの袖を肘までたくし上げ、強い決意とともに腕まくりをした。魔導コンロの火力をマックスで点火し、その上に置いた巨大な中華鍋をじっくりと熱していく。
アリーシアが過去に暴れた際、刃物を扱い慣れていたというまさかの『運動記憶』のおかげで、私の手元は驚くほど軽快だった。鮮やかな手つきでニンニクをみじん切りにし、あの極上のワギュウの塊を一口大のサイズにスライスしていく。
数分後、溶けたバターがジュージューと音を立て、みじん切りの薬味と絡み合う心地いい音が厨房を満たし始めた。
ニンニクと乾燥唐辛子が放つ、強烈で、ピリッと辛く、そして暴力的に唾液を分泌させる香ばしい匂いが一気に立ち込める。それは先ほどまで部屋に満ちていた、宮廷料理人たちの退屈で薄味な煮込みスープの匂いを瞬時に掻き消してしまった。
熱々の中華鍋へワギュウの肉片と冷やご飯を豪快に投入し、あの高級醤油風のソースを回し入れながら全力で煽る。
お米の一粒一粒が肉の旨味とソースを吸って黄金色に染まっていくその香ばしさは、お世辞抜きで脳に直接響くレベルだ。この強烈な炒め物の匂いは、間違いなく扉を通り抜けて外の廊下まで大拡散しているに違いない。
一方、厨房離宮のすぐ隣にある練兵場では、キリアンが朝の剣術訓練を終えたところだった。
「素晴らしい腕前です、公爵閣下!」
副官のヴァンスがニヤニヤしながら、清潔なタオルを差し出す。
周囲を警護していた数人の帝国騎士たちが、一斉に背筋を伸ばし、胸に手を当てて硬苦しい軍隊式の敬礼を送った。
「おはようございます、最高司令官閣下!」
キリアンはただ無表情に頷くだけで応じた。
その鍛え上げられたアスリートさながらの肉体は、汗でじっとりと濡れた薄手の白シャツに包まれており、逞しい胸板のシルエットをこれでもかと見せつけていた。ぶっちゃけ、周囲の環境(女性陣の心臓)にまったく優しくない破壊力である。
彼は訓練用の剣を部下の一人に手渡すと、渇いた喉を冷やすための氷水を取りに、裏口から厨房離宮へと足を進めた。
しかし、彼が敷居をまたいだ瞬間、その嗅覚は強烈な一撃を見舞われた。それは今まで嗅いだこともないほど未知で、刺激的で……そしてなぜか、彼の鍛え抜かれた胃袋を小さく鳴らさせるような、暴力的に香ばしい匂いだった。
キリアンはピタリと足を止めた。
その鷹のように鋭い瞳が、信じられないものを見たかのように細められる。そこにいたのは、彼がよく知る――しかし、あまりにも現実味のない格好をした一人の女の姿だった。
もう々と煙が立ち上る巨大な中華鍋の前。
社交界嫌いで有名かつ潔癖症の塊であるはずの婚約者、アリーシア王女が、木製の箸で髪を雑にむんずと団子状にまとめ(お団子ヘア)、忙しなくチャーハンを炒めているではないか。
彼女の高級なナイトガウンには油のシミが数箇所跳ねており、普段はダイヤモンドの指輪で飾られているはずのそのしなやかな手は、今や鉄製の中華ヘラを親の仇のように力強く握りしめていた。
(あの女……一体何をしているんだ?)
給水棚の傍らで、キリアンはただただ呆然と立ち尽くしていた。




