ヒロイン役なんてお断りです
母が亡くなり、ヴァロワ伯爵家に引き取られた日から5年が過ぎた。わたしは13歳になっていた。
新しい“我が家”に慣れることはないと思っていたけれど、人間はあらゆる事態に慣れるようにできていて、わたしも慣れてしまった。
いつものように、侍女とメイドたちに身支度をととのえてもらい、朝食のため食堂へと向かう。
扉が開かれ、入った先の真正面には、アルマン・ド・ヴァロワ伯爵様。まことに不本意ながら、我が父。その隣にはエレオノール伯爵夫人、わたしの義母となった奥様が座る。反対隣にはセリーヌ伯爵令嬢、わたしの異母姉が座っている。
わたしの席は、セリーヌお姉様の隣である。
“この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ”――「家族の親睦を深めるため」というアルマンにより義務化された、この歪な食卓を初めて目にしたときの感想は、まさにそんな感じだった。
最上位席に裏切り者、その両隣に裏切られた母子その①、その隣に裏切られた娘その②が座る食卓である。地獄の門の先は、これくらい冷え切っているにちがいない。
「おはようございます」
「おはよう、コレット」
「おはようございます、コレットさん」
「おはよう」
「わたしをサント=ミレイユ孤児院にやってください、伯爵様」
「それはできない」
「チッ」
ここまでがヴァロワ伯爵家でのわたしの挨拶だ。最後の舌打ちにも年季が入ってきた。
毎朝、およびアルマンが帰宅する日の晩、「おはよう」「おやすみ」と一緒に「わたしを孤児院にやって」と、わたしは言い続けている。物事を習慣化するコツは、既存の習慣とセットで扱うことである。
もし言わなくなったら、この男は『貴族になることをわたしが受け入れた』と考えるだろう。
ちなみに夜バージョンは「孤児院にやって」「チッ」「おやすみなさい」の順だったが、慣れたアルマンが「孤児院にやって」に「おやすみ」と返し、途中のやりとりが省略されるようになった。
朝の挨拶が済んだら席につき、両手を組んで神に祈りをささげる。主よ、あなたの慈悲により得られたこの食事に感謝します。この糧と糧を用意したものたちすべてを祝福し、わたしたちの身と心をお支えください。
最初はわたしだけがやっていたけれど、今では奥様とお姉様もやっている。アルマンだけは、今でも無視して先に食べ始める。
お祈りが済んだら、ナイフとフォークを手にとって、本日の朝食であるオムレツを食べる。わたしは、ナイフとフォークの使い方を最初から知っていて、初めての朝食からスムーズに食事できていた。おかげで、テーブルマナーとして後に教わったものは、背筋をのばす習慣と、知識がおぼろげだった細かな箇所くらいだった。
生家では、母もわたしも手づかみで食事をとっていたのに。
ここで暮らす5年の間に、その理由を思い出した。そして、その理由が深く関わっている話題は、今日ぐらいにアルマンが話し出す頃合いだった。
「あー、コルネリア」
「…………」
「……コレット、」
「はい。なんでしょうか、伯爵様」
コルネリアという名前は、コレットが平民の名だとのことで、貴族にふさわしい新しい名として3年前にアルマンがわたしに与えたものである。姓名で書くと、コルネリア・ド・ヴァロワ。
なので、コルネリアと呼ばれたら、誰であれ一切反応せず無視することにしている。この屋敷でわたしをコルネリアと呼ぼうとするのは、今ではアルマンだけだ。
ただ、コルネリア・ド・ヴァロワという名前は、眠っていた記憶を呼び起こした――わたしには、こことは違う世界の日本という国で暮らした、前世の記憶があったのだ。
コルネリア・ド・ヴァロワは、とある乙女ゲーム悪役令嬢転生ものの小説作品に登場する、“乙女ゲーム内におけるヒロイン”の名前だ。前世のわたしは、クラシックロリータ風ドレスや豪華絢爛なファンタジー貴族世界を味わえる、令嬢ロマンス作品が大好きだったため、そういった悪役令嬢転生ものも大量に読んでいた。
タイトルは、『処刑目前の悪役令嬢ですが、絶対にシナリオを変えてやりますっ!』だったかな――いや『悪役令嬢に転生したはずが、なぜか攻略対象たちに溺愛されています』だっけ? 『悪役令嬢転生~ラスボスになるとかお断りです~』だったかな。なにせ大量に読んでいたし、タイトルの長い作品が多かったから、正確なタイトルを思い出せない。
その小説に登場する舞台は、『白百合の聖女と月桂冠の恋詩』という乙女ゲームに酷似した異世界という設定である。主人公は、そのゲームにおける悪役令嬢に転生し、あるとき、日本人として暮らした前世の記憶と、今いる世界に酷似した乙女ゲームをプレイした記憶とを思い出す。
それによって主人公は、この世界で自身が迎えるかもしれない結末に気付く。具体的には、ゲームシナリオどおりに事が進んだ場合、ヒロインキャラクターと反目した結果、婚約者の王太子または攻略対象の誰かに断罪され、おおむね死ぬ運命にあることを悟る。
それでシナリオを変えるべく行動を変えるのだが、実はヒロイン側も転生者で、シナリオどおりに事をすすめたい彼女と主人公は対立することになる。
最初は、ゲームシナリオに沿ってヒロインが有利となり、悪役令嬢である主人公は窮地に陥る。しかし、ヒロインに転生した人間がバカで不誠実なハーレム狙いのクソビッチであったため、まともな主人公が自然と支持をあつめ、最終的に断罪ざまぁを受けたヒロインが追放されてハッピーエンド、という筋書きだ。
その小説内でクソビッチが転生する乙女ゲームヒロインに、小説とは違ってわたしが転生した、というわけだ。なかなかにややこしい入れ子構造である。
これもう、この先なにが起こるか分かんないな。悪役令嬢の中身は乙女ゲーム準拠なのか、それともわたしが知る転生小説準拠で元日本人なのか、さらに別の何者かなのか。他のキャラクターだって、転生や時間逆行をした人がいてもおかしくない。
でもまあ、恐れることはないだろう。
『未来は誰にもわからない』、それこそが本来の現実なのだから。
「学園の入学試験に合格した話は、もう聞いたか?」
「ええ。聞きました」
「そうか。…とにかく、よくやった。入学の準備をしておくように」
「はあ」
気のない返事をする。もちろん言外に『わたしは孤児院に移りたいのですが?』の意図をこめている。しかしこの程度では、アルマンに“承諾”と受け取られるだけになっていた。
毎食、隙あらば皮肉と嫌味のジャブ・フックを欠かさなかったので、横暴なわりに打たれ弱い伯爵様にも、今では耐性がついてしまったようだ。
わたしは今年、乙女ゲーム『白百合の聖女と月桂冠の恋詩』の舞台である『王立ベルクロワ学園』の中等部に入学する。初等部から在籍しているセリーヌお姉様と、今後は一緒に通学することになるだろう。
家庭教師の授業と、屋敷の書庫から得た情報から察するに、卒業はさほど難しくなさそうだ。前世の享年と死因は思い出せないが、すくなくとも30代まで生きた記憶が私にはある。科目によっては、日本で受験勉強した分のアドバンテージが役立つだろう。
わたしは、乙女ゲームの詳しいシナリオも分岐も選択肢も知らない。これから会う攻略対象や悪役令嬢が、ゲームまたは小説どおりの人間とも限らない。
だけど、なにが起きようと、わたしがやるべきことは変わらない。
わたしは、男に振り回されない生活を手に入れる。仕事を見つけて自立して、独身主義を貫く。ヒロイン役も恋愛もお断りだ。ヴァロワ伯爵家からだって、大手をふって出て行ってやる。
決意を胸にいだき、後日、制服に身を包んだわたしは、セリーヌお姉様の馬車に同乗させてもらい、王立ベルクロワ学園へと向かうのだった。
乙女ゲーム世界の悪役令嬢に転生する主人公を描いた小説作品、が存在する世界線から、乙女ゲームヒロイン側に転生する主人公、という構造で話を考えてみました。
すでに百番煎じはされていそうな構造ですが、作者によって味付けは違うと思うので、うちの味が気に入る人もいると信じて連載していきます。




