見知らぬ家族
どうやらここは“乙女ゲーム小説”の世界で、そのヒロインにわたしは転生したようだ。けれど、攻略対象だろうが何だろうが、誰とも結ばれてなんかやるもんか。
わたしは、男に振り回されない生活を手に入れる。仕事を見つけて自立して、独身主義を貫くのだ。
――そう決めたはずなのに、一体どうしてこうなった。
眉目秀麗な攻略対象男性たちがゾロゾロとわたしについてきて、わたしの気を引こうとあれこれ話す。そんな彼らに辟易しつつ、わたしは、小説の舞台である学校――王立ベルクロワ学園の玄関へと向かうのであった。
***
当初わたしは、自分のことを『ごく平凡な3人家族の一人娘』だと思っていた。貴族とは縁もゆかりもなく、貧困に苦しんでいない、ごく普通の庶民家庭の娘だ。今思えば、平民にしては羽振りのいい、裕福な家だったかもしれない。
やさしい母と父が、わたしは大好きだった。父の仕事は、よく知らないが、いわゆる出張の多い仕事らしく、父が帰るのは月に一度か二度だった。会えない代わりに、父は毎回すてきなお土産を買ってきて、わたしにくれた。父が帰宅する日は母もうれしそうで、いつもより豪華なごちそうを、母と二人で用意するのが常だった。
幸せな日々は、突然おわった。母が流行病に倒れ、亡くなったのだ。
父と共に葬儀に出て、わたしは泣いた。父も泣いていた。わたしたちは悲しみにくれながら、冷たい土の中に埋められる母を見送った。
世話をしてくれていた母を失い、母には両親がなかったので、わたしは父の生家に引っ越すこととなった。友だちの中に、片親がおらず、祖父母に世話してもらっている子もいたので、わたしもきっと、父方の祖父母にお世話になるのだと思っていた。
母の死は、きっとこの先こんなに悲しいことはないと思ったくらい、悲しくて絶望的な出来事だった。
しかし、それ以上の悲嘆と絶望が、このすぐ後に待っていたのだ。
引っ越しの日、わたしは父に連れられ、父の生家に馬車で向かった。馬車に乗るのは生まれて初めてだったので、平民が乗るには豪華すぎると気づかなかった。肌触りのいいビロードのクッションを無邪気になで、車窓を流れる景色を眺めていた。
元いた家と父の生家とは、同じ王都サン=リュシアン内にあると聞かされていたのに、馬車は長いこと走っていた。
馬車が着いた先は、見たこともない大きなお屋敷の前だった。緑豊かに広がる美しい庭園、繊細な模様を形作る鉄扉、いくつもの美しいガラス窓を備えた屋敷。
「おとうさん、こんな大きなお屋敷にお勤めしてたの?」
馬車から降りたあと、父に手を引かれて正面の門扉から庭に入り、玄関に向かいながら問いかけた。父は何も答えない。
「おじいちゃんとおばあちゃん、ここに住んでるの?」
執事とメイド長のお仕着せ姿をした祖父母をイメージしながら、父に問いかける。祖父母には会ったことがなかった。
父は何も答えない。
「おとうさん?」
父は何も言わない。わたしはようやく薄気味悪く感じるようになった。強い違和感をおぼえてためらったが、父がどんどんと歩いていくので、わたしは必死に足をうごかして追いかけた。
そして、正面玄関を堂々と通り抜け、わたしたちは豪奢なエントランス・ホールに足を踏み入れた。
「「「おかえりなさいませ、伯爵様」」」
なかば父に引きずられるようにして屋敷に入ると、お仕着せを着た大勢の使用人たちが両側に立ち並んでおり、父に向かって深々と頭を下げて挨拶した。
真正面には、きれいに着飾った貴族の夫人と令嬢が並んで立っていて、父に向かって淑女の礼をとっている。
「うむ、ただいま」
父が鷹揚に返事した。
わたしは、混乱で頭が真っ白になっていた。はくしゃくさま? おとうさんが? どういうこと?
「ねえ、おとうさん。どういうことなの?」
わたしが震える声と涙目で尋ねると、おとうさん、という単語を聞いた周囲から、どよめきの声があがった。
「コレット、ここがおまえの新しい家だ。おまえは貴族の令嬢になれるんだよ」
父は、まるでわたしが喜ぶことみたいに、ニヤリと笑いながらそう言った。
――彼は、わたしの思っていた優しい父ではなかった。下卑た怪物がわたしの手をつかみ、はるか高くから意地悪く見下ろしている。
「さあ、おいで。おまえの新しいお母様と、お姉様にご挨拶しなさい」
怪物がわたしを引きずって、綺麗な奥様とお嬢様の前に引っ立てる。
「わたしのおかあさんは、死んじゃったのよ……」
震える声で抗議をしぼりだし、首を左右に振る。涙がポロポロこぼれた。
わたしは、奥様とお嬢様に目線をあわせた。
かがやく生地を美しく仕立てたドレスに身をつつみ、豪華なアクセサリーで着飾った彼女たちは、棺で眠る母ほどに生気のない顔をしていた。
表情は読み取れなかったが、その眼差しには、悲嘆、怒り、諦念、あわれみ――様々に入り交じった感情が宿っていた。
ああ、この人たちも被害者なんだ――と、幼心に理解した。
「そのように、小さな女の子を引っ張り回すのはおやめくださいと、セリーヌのときにも申し上げましたよ」
奥様は、それだけを静かに非難した。伯爵は「ああ、そうだったな」と応じ、ようやくわたしの手を離す。
手首をさすりながら、わたしは無意識に伯爵から2歩、距離をとった。
「この子はコレット、私の娘だ。歳は8つで、セリーヌの2つ下。母親が流行病で亡くなってしまったので、うちで面倒をみることにした。平民として育ったから、貴族のマナーを知らない。初等部はさすがに間に合わないだろうが、5年後には王立学園の中等部に入学させたいと思っている。ヴァロワ伯爵家の末娘として恥じぬよう、貴族教育を施してやるように」
めちゃくちゃだ、そんな要求。私はなぜか、そう確信していた――それが前世の記憶の影響だと気付くのは、もう少し後のことだった。
けれど奥様は、しずしずと頭をさげ、きれいなスカートの裾をつまんで広げ、粛々と応じるのみだった。
「承知しました、旦那様」
「うむ。セリーヌも、妹のコレットをよく見てやってくれ」
「はい。お父様」
お嬢様――セリーヌというらしい女の子も、沈みきった抑揚のない声で従順に応じるだけだった。
わたしの中で、パチンと何かが弾けた。
困惑も恐怖も悲しみも、別の感情に塗り替えられる。それは、赤く燃えさかる憤怒の炎だった。
「イヤよ!!!」
わたしは大声をあげ、伯爵をキッと睨みあげた。伯爵は、まるで想定外の事態でも起きたかのように、ぎょっと目を大きく剥いた。
「なんだと?」
「イヤだと言ったの! 聞こえなかったかしら“はくしゃくさま”!
アンタの世話になるなんて冗談じゃない、この裏切り者! このドクズの、最っ低の、ウジ虫の、カスのゴミ野郎っ! バーカバーカ! アホ!」
大人から漏れ聞いた罵詈雑言の語彙をありったけ使い、わたしは伯爵を激しく罵った。
伯爵は目を白黒させるばかりで、口をモゴモゴさせていた。使用人たちからはどよめきがまた上がり、奥様とお嬢様も驚愕に目を瞬かせていた。
「ずっと裏切ってたんだ。この人たちがアンタの本当の家族だったんだ! わたしも、おかあさんも――わたし、知らなかった、夫婦じゃなかった――アンタには、ニセモノだった!
さいあく。しんじられない。わたし、わたし――わたしと、おかあさんにとっては、おとうさんは一人だけだったのに! アンタはちがったんだ。ずっとわたしをだましてた! 仕事じゃなかった。ほんとうはこの人たちと過ごしてたんでしょ? 本当の家族と!」
「そんな、ニセモノだなんて。そんなわけがないだろう、コレット。お母さんに止められていただけで、ずっと私は――」
わたしはブンブンと頭をはげしく振り、伯爵の言葉に強く否定を返した。勢いにおされてか、伯爵が押し黙る。
いつもの“やさしい父”のような猫なで声が、今は不愉快で鳥肌がたって仕方なくて、吐き気がした。
『ずっと私は、伯爵家につれてくるつもりだった』――そうじゃない。そういうことじゃ、ない。
「わたしだけじゃない。アンタは、この人たちも裏切ってる。神様の前で誓った約束をやぶって、神様も裏切った」
片腕を大きくブンと振って、奥様とお嬢様を示しながら、わたしは伯爵をさらに責めた。
伯爵は、またモゴモゴ言いながら、きまりわるそうに目をそらす。
「そう、そうだなコレット。だがね、貴族の結婚というのは、得てしてそういうもので――」
「じゃあ、こちらの奥様にも、他の男性との家庭があるわけ?」
「いや! いや、そんなことはない。そんなことを許したら、誰の子なのか分からないじゃないか」
「いいじゃん別に。現にアンタは今日わたしを連れてきて、面倒をみろって彼女に言った。奥様、おかあさんとの面識ないよね? “誰の子なのか分からない”――ほら、おんなじだわ」
「いや、いや! ああ、いや――そうだな。そうなんだが、その」
「だから、アンタだけが不当に裏切った。でしょ?」
さきほどまで偉そうに理不尽な要求を次々つきつけていたわりに、たかが8歳の女の子に責められたくらいで伯爵は何も言い返せなくなり、小さくなってしまった。
「告解さえすれば、神様に許されてチャラになるとでも思ってるの?
たとえ神様が許しても、わたしは、絶対に、アンタを許さないから。
地獄に落ちろ、クソ野郎」
そう言い残し、わたしは、踵を返して正面扉に歩いて行った。
「コレット、どこへ行く気だ!?」
「ここを出て行く」
わたしは簡潔にこたえ、ずんずんと出口に突き進んだ。
「ま、まて。まちなさい!」
伯爵がわたしをパタパタ追いかける。足音が近づいてきたから立ち止まって、振り向く。力一杯にらんでやると、伯爵は、ヘビに睨まれたカエルみたいに怯んだ。
「わたし、」
数歩、伯爵に歩み寄る。追いかけてきたくせに、伯爵は気圧されたように後ずさる。
「わたし、アンタなんかが父親で、本当に、恥ずかしい」
一言一言、噛んで含めるように言い放った。
伯爵は、ショックをうけたみたいな顔をしていた。
また入り口に向き直って、前に歩き出したとき、今度は伯爵は追ってこなかった。
集まった人数のわりに、水を打ったように静まりかえったエントランス・ホールを、わたしは一人で扉を押して、できた細い隙間から出て行った。
日はすっかり沈み、あたりは暗闇に溶け込んでいた。新月の薄明かりに目を慣らしながら、足早に庭を通り過ぎ、正面門横の小さな扉から外に出て行く。幸いにも鍵をかけられておらず、門兵たちも、きょとんとした顔で見慣れぬわたしを見送るだけだった。
見知らぬ街の歩道を歩きながら、わたしは、母がかつて暮らしていたサント=ミレイユ孤児院を目的地に定めた。母はいつも、孤児院の思い出を楽しそうに語っていた。
貴族のご令嬢と比べたら、あるいは先日までの庶民暮らしと比べても、孤児の生活は貧しいだろう。それでも、母が育った場所で、心やさしい修道女たちと神様に見守られて生活できるなら、けっして悪くない。
なにより、あの怪物に媚びへつらって生きるくらいなら、たとえ泥をすすり生ゴミをあさって生きることになったとしても、後者のほうがマシだ。
すくなくとも、わたしにとっては。
しかし、サント=ミレイユ孤児院への旅は、あえなく失敗させられることとなった。伯爵の放った使用人たちが追ってきて、嫌がるわたしを抱え上げ、屋敷に連れ戻したからである。
「ごめんなさいね、コレットお嬢様。本当にごめんなさい。伯爵様のご命令には逆らえないの」
悲しそうな声のメイドの言葉を聞いて、わたしは強く抵抗できなくなった。
無理に逃げて彼女たちにケガをさせるのも、あの伯爵から叱責を浴びさせるのも、わたしには憚られた。
わたしは観念して、いまや禍々しくさえ見える伏魔殿――もとい、ヴァロワ伯爵家の一員となることを受け入れたのだった。




