春の交流会で初恋と踊る
「本当はね、今日は学園制服で出ようと思っていたの」
「そうなんだ」
「うん。遅刻ぎりぎりまで秘密にしておいて、出発するぞってときに、制服のまま出て行くの。伯爵が用意したドレスもアクセサリーも、ぜーんぶ置いてって。そうしたら、伯爵はガッカリするでしょ?」
「ふふ、そうだろうね。…どうして気が変わったの?」
「それは、ノエル兄さんにエスコートしてもらえるんだもの。だから、おしゃれして行こう、って思って」
「おやおや。ふふ、うれしいな。制服のコレットもかわいいと思うけれど、私のためにお姫様が着飾ってくれただなんて」
学園敷地内に入り、会場の式典ホールに向かう道すがら、わたしはノエル兄さんと会話していた。ようやく緊張状態が和らいで、会話の余裕ができたのだ。
せっかく、憧れの人のエスコートで、憧れの舞踏会に、憧れのドレスを着て向かっているというのに、性格悪いエピソードを出してしまう自分が歯がゆい。
わたしが乙女ゲームのコレットだったら、もっと好かれやすそうな話をできていただろうか。
「…あ、兄さん。あそこが会場だよ」
「うん。他の人たちも向かっているね」
群青色の夜空の下、ほとんど明かりが点っていない学園の中で、唯一式典ホールだけが煌々とした明かりを放っている。
その入り口には参加者の列ができており、家族連れらしい集団や、婚約者カップルと思われるペア、単身で入っていく男女の生徒など、いくつかの参加形態がみられた。
順番を待って、招待状を受付に確認してもらい、ノエル兄さんと一緒に会場内へと入る。
「うわあ……!」
式典ホールは、入学式のときとはまったく違った様相を見せていた。
日中だと目立たなかった天井のシャンデリアは、幻想的な輝きを会場に投げかけ、きらきらと魅力的に佇んでいる。壁には、学園シンボルのタペストリーがずらりと掲げられ、床には、軽食や飲み物の置かれたテーブルが並べられていた。
見れば、楽団が脇に控えていて、来場BGMを生演奏している。この世界には音楽スピーカーの類が無いだろうとはいえ、生演奏だなんて、すごく贅沢に感じられた。
夜会らしい華やかな衣装に身を包んだ人々が、会場内に立ち並ぶ。特に令嬢のドレスは、色とりどりで目に鮮やかだ。
前世で憧れた、貴族たちの華やかなる夜会だ。
「キレイだねー……」
「そうだね」
わたしがそう言いながら、ノエル兄さんに目を向けると、ノエル兄さんは、にっこりと美しい微笑みとともに同意してくれた。ウッ、シャンデリアよりも眩しい。
ノエル兄さんの腕に自分の手を添えたまま、家庭教師と学園教師に教わったマナーに従い、背筋をのばして、しゃなりしゃなりと会場内へ歩いて行く。
ノエル兄さんが来てくれて良かった。今日このとき、制服で参加するのは勿体なかったに違いない。
感動につつまれながら会場を見回していると、いつのまにか開始時刻になったらしく、壇上付近から鈴の音が聞こえた。生演奏の楽曲が止む。
学園長の老齢男性が壇上に立ち、開始の挨拶をはじめた。
「ご来場の皆様。本日は、王立ベルクロワ学園、春の交流会にご出席いただき、誠にありがとうございます――」
挨拶の間、来場客の隙間を給仕が静かに移動し、盆にのせたシャンパングラスを配ってまわった。未成年者が多いので、これはシャンパンっぽく見えるソフトドリンクだそうだ。
ちなみに、生徒の家族親類などでアルコールが欲しい人のために、アルコールドリンクも見張りつきのテーブルで用意されている。
学園長の挨拶は、とても普通で典型的なものだった。この場が学生たちの社交練習の場であること、生徒ご家族やOB・OGからの日頃のご支援を感謝する旨、などなど。
それを静聴したら、乾杯を告げられる。グラスを高く掲げて「乾杯」と声を合わせ、皆で飲む。そうしたら、夜会の始まりだ。
「コレット、我が姫君」
グラスを返したあと、ノエル兄さんがそう呼びかけてきて、わたしの前で跪いた。それから、わたしの手をとる。ちゅ、と、指先に口付けまでされた。
柔らかな感触が、電撃のようにわたしの脳にとどく。
「私と踊っていただけますか?」
ノエル兄さんがわたしを見上げ、形のよい目元から覗く灰青の瞳が、わたしをまっすぐに見つめた。
(ひょわあああああ~~~~!!)
「よ、よよ、よろこんでっ!」
わたしは、動揺で噛みながら、やっとの思いで承諾を返した。今、顔も耳まで真っ赤になっているに違いない。
やばすぎる……! ノエル兄さん、サービス精神が旺盛すぎるよ! あぁ~好き……。これ以上好きにさせて、わたしをどうするつもりなんだ。
こんな仰々しい真似をして、周りから奇異の見られているんじゃないかと思って見回してみると、なんと、似たようなことをしているカップルがちょいちょいいる。自分たちが特別、見られているということも、ない。
マジか。この世界ではよくあること? すごすぎる。前世日本人、しかも喪女には刺激が強すぎるぜ。さすがは乙女ゲームの世界だ。
真っ赤になって照れているわたしを、ノエル兄さんは面白そうにくすくす笑う。
ええ、前世30オーバーでも、恋愛偏差値は赤ちゃんです。幼女です。お恥ずかしながら…。
「もう、兄さんったら。こんなことされたら、兄さんに将来好い人ができたとき、諦められなくなっちゃうよ」
「大丈夫だよ、コレット。おまえは昔、『大きくなったら、ノエルお兄ちゃんのお嫁さんになる』って、よく言ってくれていたじゃないか」
そうだっけ? ……そうだったかも。前世を自覚する前、純粋に幼女だったころ。
「それは、でもさ、『大きくなったらパパのお嫁さんになる』みたいなやつじゃない」
「うん。アルマンさん――今は、ヴァロワ伯爵か。彼じゃなくて、悔しがっていた」
「そ、そうだったんだ。でもさ、兄さんからしたら、わたしなんか12歳も年下の子供じゃない。そんなの、本気で受け取らなくっていいんだから」
そう言うと、周囲の温度が少し下がったような気がした。
「……コレットは、もう私を好きじゃないの? 誰か、他に好きな人がいるの?」
ノエル兄さんの声も表情も柔らかいままだったが、なんだか不穏な気配がする。ともあれ、正直に答えた。
「や、その…、ううん。……私は、今も兄さんが好きだし……他に好きな人とかも、いないけど……」
小声でぼそぼそと応じたそのとき、ダンスの始まりが告げられた。楽団が、美しいワルツの旋律を奏で始める。
「よかった。それじゃ、踊ろう。コレット」
ノエル兄さんは、ぱっと花開くような笑顔をうかべると、わたしの手を引いて促した。それに従い、ダンスエリアに二人で入っていった。
リズムに合わせて、1・2・3、1・2・3。なんとか練習通りに踊れている。ノエル兄さんも、騎士の鍛錬にダンスの教養が含まれているのか、とても上手にリードしてくれた。
憧れの舞踏会で、憧れの社交ダンスを、大好きなイケメンとおしゃれして踊っている。先ほどの会話の不穏さは気になるけれど、今夜のことは、忘れられない思い出になるだろう。
「コレット、とても楽しそうだね」
「うん、楽しい! 兄さん、ダンスとっても上手ね」
「コレットのために練習したんだ」
「ありがとう! 今日のこと、一生の思い出になるわ」
「なら、これからも、何度でも一緒に踊ろうよ。秋の交流会も、来年も、その次の年も」
「兄さん……!」
ノエル兄さんは、なんでここまで尽くしてくれるのだろう。25歳のりっぱな聖騎士、しかもこれほどのイケメンかつ人格者の紳士ともなれば、好みの妙齢平民女性はもちろん、妙齢の中高位貴族令嬢の心すら射止めて、貴族に婿入りしてウハウハ金持ちライフを送ることだって可能だろうに。
……ハッ! そういえばわたし、伯爵令嬢だった。いけない。家を出て貴族籍を捨てるつもりだって、言った方がいいかも。
「兄さんあのね、わたし、学園を卒業したら、伯爵家を出るつもりなの」
「そうなんだ?」
「うん。それで、卒業までに良い働き口を見つける。平民に戻るつもりよ」
「そうなんだね。きっと、コレットならできるよ。ロゼット姉さんも、ヴァロワ伯爵と結婚――いや、彼の愛人に…なるまでは、働いていたんだ。稼ぎから、サント=ミレイユに寄附までしてくれていたんだよ」
「えっ! そうだったんだ」
「うん。おかげで、私も弟妹たちも、飢えずに済んだ」
知らなかった。教育を受けていない平民の、しかも女性が働いたって、大して払ってもらえなかっただろうに。そう考えると、あまり認めたくはないが、アルマンの愛人になれて助かったのかもしれない。
「お母さん、なんの仕事をしていたの?」
「貴族のお屋敷の、雑役女中だよ。たしか子爵家だったかな。ヴァロワ伯爵とは、そこで出会ったって言ってた」
一番ランクが低くて、しかも仕事の多いメイド職か。大変だったろうな。
同じメイドでも、ヴァロワ伯爵邸のように財政状況のいいお屋敷では、洗濯女中・皿洗い女中・厨房女中・室内女中・給仕女中といった具合に、仕事ごとにメイドが分けられている。こうした専業メイドは、能力を高めやすく給料がいいので、求職者に人気だ。
一方、雑役女中とは、貧しい貴族屋敷や富裕層平民の家などで使われる、上記の仕事すべてを任されるメイドだ。メイドを何人も雇えない家で働くので、給料が低いわりに、仕事が多く大変である。
子爵家でメイドとして働いていたところ、子爵に用があって訪ねたヴァロワ伯爵に見初められて――ってな感じの出会いだったのだろうか。
「知らなかった。わたし、お母さんのことを何も知らないのね」
「そんなことはないよ。コレットは、ロゼット姉さんの優しさや、温もりや、料理の味や、愛情深さを知っているでしょう?」
「まあ、そうね。…お母さんが生きていたら、そういう話も今頃できていたのかな」
今世の母を思い出すと、ついメランコリックになってしまう。前世の母がしんどい人だったこともあり、優しかった今世の母が余計に惜しまれるのだ。
「私が知る範囲でなら、ロゼット姉さんのことを教えてあげられるよ。姉さんのこと、コレットが生まれる前から知っているしね」
兄さんが、なぐさめるようにそう申し出てくれる。
「うん、そうだね。ありがとう、兄さん。お母さんのこと、今度たくさん教えてね」
「もちろんだよ。任せてくれ」
そのとき、一曲目が終わり、わたしたちはピタリと止まった。観衆からパチパチと拍手が鳴り響く。
「ダンスも、ありがとう、兄さん。すごく楽しかった」
「私のほうこそ、コレットと踊れて楽しかったよ。もう一曲おどるかい?」
「えへへ。それもいいけど、お話したい人がいるから。まずは、飲み物を取りにいかない?」
「わかった。コレットについていくよ」




