第3話 温泉に入って英気を養うぞ
「ここがウトロ温泉街か!!」
時刻はすでに夕方となっている。林萌香と美崎葵はレンタカーでウトロ温泉街にたどり着いた。座りっぱなしで腰が痛くなり、両腕を伸ばしてうなった。だがその光景を見て萌香は目を奪われる。
日が沈む少し前、温泉街は一瞬だけ、映画のラストシーンのような色になっている。
萌香は高台に向かい、そこから港を見下ろすと、家々の屋根も道路も、路肩に並んだ車までもが、薄い金紙を貼られたみたいに光っていた。
観光客たちは、展望大浴場や露天風呂、夕陽台と呼ばれる小高い場所に散らばり、誰もが黙って同じ一点を見つめている。
やがて太陽が水平線に触れると、空と海の境目がなくなり、オレンジの帯だけが残っていた。
「うひゃー! すてき!! こんな景色が見れるなんて地元の人は幸せだね!!」
「そうでもないわ。ここ近年は温泉街も寂れる一方よ。個人の店なんて潰れているし、大手のホテル以外生き残れない。とはいえ外国からの観光客が来ればにぎわうけどね」
萌香が感動していると、美崎が淡々と答えた。見た目は美しくても中身はスカスカのがらんどうなのはどこも一緒だ。萌香は蛮狸という特殊な存在だが、自分が幸せだと思わない。DROPOUTの面々と出会えたのは幸運なのだ。
「ところで今日はどこで泊まるの?」
「知床オホーツク・グランドってところよ。ちょっとお高いけど、広島から来てくれたお客様にはゆったり休んでほしいからね」
そう言って美崎は萌香とともに歩いた。そしてレンタカーに乗り込み、目的のホテルに向かう。
そこはウトロ港を見下ろす高台に建っていた。客室は200室ほどありそうな大型のホテルだ。岩山のようでぽつんと森の中に囲まれていた。
「おー、すごいね!! こんな奇麗なホテルに泊まるんだ!! 予算あるんだね!!」
「懐はそんなに温かくはないけど、北海道の危機に金を出し渋るのは危険だからね。気にすることはないよ」
そう言って美崎は萌香をホテルの中に案内する。そこは吹き抜けロビーで白い壁に赤いじゅうたん、観葉植物が並び、奇麗なソファーやテーブルが並べてあった。売店があり、ペナントや様々なお菓子やジュース、酒の類が置かれてある。
美崎はフロントに向かい、受付と話をしてカギをもらった。
「一番上の方に部屋を取っている。そこに行きますよ。あとここは屋上に露天風呂があります。荷物を置いたら行きましょう」
「おお、温泉だぁ!! 楽しみ!!」
萌香は興奮していた。だがロビーの一角で一人の女性が二人を見つめていた。茶髪のロングで黒いスーツに身を包んでいる彫像のような美人だ。周囲の人間はまったく彼女に気づいておらず、幽霊のようにたたずんていた。
☆
「ふぅ、気持ちいい~~~!!」
萌香は屋上にある露天風呂に入っていた。かなり広々としており、広島の銭湯とは段違いだ。ピカピカの鏡台やシャワーが備え付けられていた。萌香たちだけしかいない。
上を見上げれば夕日に染まった空がどこまでも広がっており、屋上なので冷たい風が肌に染みる。露天風呂の湯気で周囲は包まれており、湯気が肌にまとわりつく。冷たさと暖かさで開放感のあるサウナに入った気分になった。
身に着けているのはバスタオル一枚だ。浴槽に入っても大丈夫な素材でできている。美崎も一緒だが、彼女の肌は陶器のようにすべすべで、手足もすらりと長い。まるでギリシャ彫刻のような美しさだ。胸も豊満で萌香と同じバスタオルを巻いている。
萌香はそれを見て自分の胸を見た。そして顔を曇らせる。
「うーん、美崎さんてスタイルがいいんですね。友だちにも外国人のハーフがいるけど、引けを取らないね」
「私もハーフですよ。まあ、それで得したことはないですね。周囲は私のことを男に媚びる魔性の女扱いしてましたから」
萌香の問いに美崎はそっけなく答えた。彼女にとって触れてほしくない話題なのだろう。
萌香もそれを感じ取ったのか、深く突っ込まなかった。女性の胸は十人十色、悩みも多いのだ。
「あ~あ!! ソラたんも一緒だとよかったのにな!! どうしてスマホが壊れたんだろ!! せっかくの景色を撮影して送りたかったのに!!」
萌香は不満を募らせていた。自分だけ北海道に来て露天風呂を堪能するのは、広島に残した友人に対して申し訳ないと思っている。仲間たちと一緒にわいわいやるのが大好きなのだ。なんでスマホが壊れたのかわからなかった。帰ったら買い替えねばならないし、また万札が消えていくことを嘆いていた。美崎はそれを見てほほえましく笑っている。
「ところで知床五湖でCEAの連中は何をしたいわけ? あそこに何があるの?」
「平さんからは何も聞いていないのですか?」
美崎の問いに萌香は首をぶんぶん横に振った。そもそも萌香は人の話を深く聞かない。心の中で思い立ったら即行動が彼女なのだ。
「知床五湖は自然に囲まれたところです。それ故に陰気がたまりやすく、敵はその力を利用しようとしているのですよ」
「陰気って何? 悪い力なの?」
「そうではありません。陰気とは自然から発生する力です。陽気は人間や動物など体内から発生するものなのですよ。陽気は自分自身の気を高める必要がありますが、陰気は自然の力を取り込むことができます。膨大な力を身に着けることができるのですよ」
萌香はなるほどと思った。もっとも半分も理解していないが、敵は自分以外の力を利用して悪いことをしようとしている。彼女の生まれ故郷である四国も自然が豊富だ。蛮狸はそれらの力を取り込み、人間に変身している。それ故に四国を離れ広島で行動すれば、ふとしたことでタヌキに戻る場合がある。萌香の場合は緊張すると戻ってしまうのだ。そう思うとむかむかしてきた。特に屋住の顔を思い出すと、余計腹が立ってきた。写真でしか見たことがなかったが、実物を見てないのに苛立つことに疑問を抱いていない。
「お風呂に上がったら食堂で食事をしましょう。そこで千孤の方々と話をしてもらいます」
美崎がそう言った。萌香はうーんと腕を伸ばして、露天風呂を堪能していた。ほどよいお湯が体全体を温めており、身体がくらげのように柔らかくなりそうな感覚であった。
☆
萌香たちは浴衣に着替えて最上階にある食堂で食事をとっていた。出されたのはちゃんちゃん焼き定食だ。ちゃんちゃん焼きは鮭にキャベツやニンジン、玉ねぎやえのきなどに味噌をベースにした味付けで煮込んだものだ。湯気とともに味噌の匂いが食欲をそそる。萌香はごくりと喉を鳴らした。
ちゃんちゃん焼きは知床の郷土料理である。白米やみそ汁、漬物などが並んでいた。
「海鮮丼もいいですが、こういった郷土料理も食べてほしかったんです」
美崎が説明したが、萌香は初めて食べるちゃんちゃん焼きを堪能していた。味噌の味が口いっぱいに広がり、魚と野菜の味がごちゃまぜになる。それが一層味に深みを与えていた。白米がどんどん消えていく。口がぱさぱさになれば味噌汁を飲み込み、漬物をぱりぱりとかじっていた。広島の料理とは一味違うと思った。
食事中は歌謡ショーが行われていた。虹色のフリフリドレスを着た髭の生えたマッチョの男たちが、ポップスを歌っている。マッスルビアードというグループだ。萌香は特に気にせず見ていた。
食べ終わると一人の男が近づいてきて、美崎の隣の席に着いた。しょうゆ顔の30代の男だ。こちらも浴衣を着ている。ナンパ目当てだろうかと萌香は警戒していた。
「初めまして、炭治郎と申します。千孤の一人です」
男は挨拶した。萌香はデザートのアイスを食べてながらうなづいた。口の中にバニラの味が広がり、冷たい感触が舌を刺激する。コンビニで売っているカップのバニラアイスと比べて柔らかく滑らかであった。萌香はこれぞ北海道と感涙している。彼女は甘いものに目がないのだ。
「千孤なんて初めて聞いたけど、蛮狸みたいに人に化けているの?」
「その通りです。元は関西に住んでいた化け狐でしたが、豊臣秀吉の陰陽師狩りの影響で、蝦夷に逃げてきたのですよ。もちろん口伝ですがね」
「秀吉っておサルな戦国武将だった人よね。なんで陰陽師を狩ったの?」
萌香が疑問を抱いた。萌香は陰陽師を知っているが詳しくは知らない。精々ゲームで得た情報だけ知っている。魔法使いの親戚かと思っていた。実際は暦、今でいうカレンダーを作成し、占いや天体観測で朝廷を支えていた。創作では安倍晴明が活躍している。平安時代は貴族は陰陽師の占いの結果を重要視し、行動を制限されて不便な生活を送っていたが、見栄のため守らざるを得なかったという。明治維新後は迷信を一掃するために陰陽寮は潰されたという。
「豊臣秀吉は天下人になった後、陰陽師を京から追放するなど、かなり強い弾圧を行ったとされています。陰陽寮という官職としての陰陽師の制度も、秀吉の時代の弾圧で急速に存在感を失ったと説明されることが多いんですよ。これは秀吉が陰陽師を感情的に嫌ったというより、占いや呪術を通じて社会を不安定にしかねない集団を、政治的判断で抑え込んだという解釈が主流です。個人の性格というより、天下人としての統治戦略の一部という位置付けですね」
治郎が淡々と説明したが、萌香にはちんぷんかんぷんであった。千孤は人間に化けて陰陽師として活動していたが、秀吉によって権力を奪われ、仕方なく秀吉の影響がない蝦夷、今の北海道へ逃げてきたそうだ。しかし世代を重ねると、当時のことなど知る由もないし、北海道がすべてと思う千孤がほとんどだ。秀吉に復讐したいなど思わないし、口にすれば狂人扱いは必至だろう。
「よくわかんないけど、千孤は味方で、屋住は敵でいいんだよね!!」
「……まあ、それでいいわ。炭さんの仲間は知床五湖で待機中です。明日、合流しましょう」
美崎は若干あきれ顔だが、そう締めくくった。治郎も同じである。
萌香は伸びをしながら、部屋に戻った。萌香と美崎は個室を取っているのだ。
萌香が席を外した後、美崎と治郎はふたりっきりになる。
「……これでいいんですね」
「ええ、ありがとうございます。明日ですべてが終わりますわ」
「私としては北海道の平和を守れればそれでいいのです。彼女を犠牲にするつもりはないのですが……」
治郎は暗い顔になった。美崎も決意を決めた表情になっている。何か重たい秘密を共有している、そんな空気が漂っていた。慣れ合うつもりはないのか、治郎はすぐに席を立つ。美崎は一人残って熱いお茶を飲んでいた。口いっぱいに渋みと熱さが広がっていく。
食堂の隅で一人の女性がウーロン茶を飲んでいた。60歳ほどの年齢で白髪頭のショートカットだ。ほうれい線が目立つが美人と言うより男装の麗人が似合いそうな雰囲気がある。グレーのパンツスーツを着ていた。
彼女はスマホを手にしていた。誰かと会話しているようである。その表情は深刻であった。
「ええ、彼女を見つけました。ここでは接触しない方がいいでしょう。お客の迷惑になりますからね」
そう言ってスマホを切った。そしてウーロン茶を飲み干す。すっかりぬるくなったが、喉の渇きをいやすには十分であった。
「……厄介ねぇ。あの子は魔法をかけられている。どうしたらいいのかしら」
女性は悩んでいた。今日の夕飯は何がいいかしらという感じだ。彼女は大城戸孝美と言った。
大城戸孝美:日暮涼花。
炭治郎:アビゲイル安倍登志夫。
マッスルビアード:ビッグバンプロ所属のアイドルグループ。マッチョで髭が生えているが可愛いアイドル衣装を好んでいる。事務所では色物扱いされており、冷遇されていた。社長が失脚した後は、ネット配信や営業に力を入れ始めており、カルト人気を誇る。
虹色の衣装が特徴的。




