05:勇気
翌朝、アデルがいつも通り寮を出て教室へと向かっていると、学年フロアの廊下で、なにやら人混みが出来ていた。
「カトリーヌ・ド・ヴィアボルト様! 今日こそ貴方から謝罪の言葉をいただきます!」
そう勇ましく指を突きつけ、宣言したのは、何を隠そうマノン・ブーロである。
今日も始まった、と誰もが思っただろう。
我がルーセヴェル筆頭公爵家のご令嬢、カトリーヌ・ド・ヴィアボルト様と、いつも問題の渦中、史上最低の問題児、ブーロ男爵家の養女、マノン・ブーロ。
この二人は、骨の髄から相性が悪い。学年中に知れ渡っている事実であった。
数日に一回はこうやってマノンが喧嘩を吹っ掛ける。
恒例になってもいい頃だが、それなりに野次馬は多い。注目度が両者ともに高いためだろう。
その野次馬は、毎日毎日どちらかの悪口をする。よくもまあ飽きないことだ。
アデルはひそやかにため息をつき、困り果てた。
この人混みの中、目の前に二人がいる教室へと入る勇気は、彼女にはなかった。
「言ったでしょう。私が謝罪すべき点はありません。非常に不愉快ですわ。今すぐその言葉を撤回なさい」
「撤回するもんですか! 先日の事故のときに言った言葉、全部謝ってくださいっ!」
カトリーヌは淡々と冷ややかな目をマノンに向けている。対するマノンは、熱量が有り余っているせいで、声がものすごく大きい。
カトリーヌは、あえて聞かせるように強くため息をつき、扇をパチンと閉じた。扇でマノンの心臓を示す。
「公的な記録として。闇系統魔法の使い手は精神に異常をきたすケースが非常に多いです。最終的に自殺した者も多く、その割合はここ二百年のうちに記録された闇系統魔法使い二百人のうち、九割に上ります。また、我が国の慣習・信仰として。古くより人々は『闇』に対する恐ろしさを伝えてきてくださった。いいこと? 火の立たぬところに煙はありません。ラフィネの信仰者が、魔力生物を『悪』とするのは、魔力生物が我々人類の害となるため。お前はラフィネの聖典によれば、光の神の遣いの者。そして現実に、数多くの命を救ってきている。同じように、ラフィネの聖典によれば、闇系統魔法の使い手は闇の神に魅入られた異常者。なにかしら我々人類にとって不利益があると考えるのは合理的です。根拠には十分でしょう。以上です、なにか反論は」
「前半は反論できませんけど! 後半は反論ありますよ! だってわたし、光系統魔法使いだから人を助けたわけじゃないんですから! わたしはたとえ魔法が使えなくとも、行動を変えたりはしません!」
「論点が違います。ラフィネの聖典を通して私が主張したいのは、お前が光の神に選ばれるに足る人格である、ということ。それゆえに闇系統魔法使いは、闇の神に選ばれる程度の人格である、ということです。その証明として魔法系統を持ち出しただけであり、魔法系統ありきで話しているわけではありません」
話を聞いているマノンの怒ったような表情が、だんだんと真顔になっていく。
これは、今日も。
「……言い換えますわ。光系統魔法が使えるからお前の人格が優れているのではなく、お前の人格が優れているから光系統魔法が使える、と言いたいのです。順序が逆ですわ」
「……はあー……。なるほどぉ……」
マノンはうがーと、淑女らしさの欠片もない声で頭を抱え、また明日挑みます、と元気よく廊下を去っていった。多分、図書室辺りで反論を組み立てるのだろう。
「今日もマノン・ブーロが負けましたわね」
嘲笑するような野次馬に、アデルは俯き眉をひそめた。
……この通り、マノンが吹っ掛けた喧嘩は大体、マノンが負けてすごすごと引き下がることになる。
つんとカトリーヌが扇を広げ、いつもつるんでいる友人たちと教室へ歩き始めると、引き寄せられるようにしていた聴衆は、ぱらぱらと散っていった。
入学当初からちょっとしたいざこざはあったが、ここまで苛烈に、大々的に喧嘩するようになった(マノンが一方的に敵対視しているだけかもしれないが)のは、二週間程度前の出来事がきっかけだろう。
アデルはそろりと教室に入ると自席に着き、回想する。
端的に言えば、身の程知らずの元平民が、婚約者のいる第一王子殿下に近づいた、という話なのだが。
そう括るのはあまりに乱暴で、そう括るにはあまりに煩雑な話だ。
ただ確かなのは、折れない信念を持って行動しているマノンを、アデルが悪くいう資格は全くないということで、だというのに、場に流されて悪口を言ってしまったという事実だけ。
そのことが鬱々と心の奥に潜り込んできて、沈澱する。
アデルは自分に向けて嫌悪のため息をついた。
昨日は楽しかった。楽しかったと思ったことが、皮肉のナイフとなって返ってくる。
後悔しか残らなかった。罪悪感で押し潰れそうだ。
と同時に、昨日いきなり熱く語ったために、クレマンに嫌われていないかと不安になる自分が酷く憎らしい。
アデルは再びため息をついた。
「ため息を吐くと、幸せが逃げるそうですよ」
へ、とアデルは目を瞬いた。輪郭のはっきりしない、ゆらゆらとした調子で、つまりはいつも通りのんびりと、彼は続ける。
「ため息を吐くたびに、悪い魔力にあてられた者……魔力生物や闇の神の眷属などを誘い出すと言われています」
「……それは、その」
「迷信じみていますか?」
「……はい」
ささくれた気分だったので、アデルはつい困り眉でクレマンを見てしまったのだ。
彼に気づかれるほど、胡乱気な目を寄こしていただろうか。
いえ、半分くらいは彼の洞察眼かな。
クレマンは秘密を明かすように静かに、しかしにこやかに告げた。
「まあ、あながち間違いともいえないようなんですよ。最近の研究では、負の感情に誘発され漏れ出た魔力が魔力生物の良い餌になりかねない、というデータもあるんですって」
とはいっても、と彼は苦り切った笑みを浮かべた。
「ため息をつくな、だとか、負の感情を持つな、だとか。よほどの聖人君子でなければ不可能でしょうけれどもね」
アデルはコロンと目を丸くした。
「……貴方でも、ため息をつくことが?」
すると今度はクレマンが呆気にとられた。彼はぽかんと口を開いたあと、心底おかしそうに口許を押さえた。
「はははっ! 僕のことなんだと思っているんですか、アデルさんは。僕はどうしようもない人間ですよ」
そう細められた目が存外真剣で、少し気にかかった。が、追及する勇気はなかった。
その代わりそろりとクレマンの方を見上げ、アデルはおどおどと拙く切り出した。
「……そ、その。昨日のこと、なんですけれど」
「え? ええ」
不思議そうに首を傾げたが、クレマンは話を促すようなジェスチャーをくれた。自分だけが幼いようで恥ずかしくなってきた。
いよいよ消え入りそうな声になりながら、アデルは両頬に手を当てた。ほっぺたが、熱い。
「い、いきなり、すみませんでした。その、た、沢山一気に、お話を始めて……」
「僕は楽しんでいましたよ? 謝ることは一つもありません。……というか、僕の方こそ。ついテンションが上がってしまって……」
そこで、恐らくは両者ともに近づきすぎたことを思い出した。どちらからともなく、距離を取り直す。
アデルは心の中で胸をなでおろした。とりあえず、あれだけで嫌われたということはなさそうだ。
「……アデルさん」
クレマンはにこりと柔らかな笑みを向けて、アデルに本の表紙を見せた。
「僕、この人の詩も好きなんですけれど。ご存知ですか?」
アデルはタイトルを読み、そっと作者名に目を走らせた。ぱあっと、目を輝かせる。
「存じております!」
よかったっ、と嬉しそうに笑うクレマンに、早速アデルは滑らかに語り始めたのだった。
彼と話していると、あっという間に時間が経つ。話に夢中になってお昼を食べ忘れていた、と気づき、慌ててアデルは手を合わせた。
隣のクレマンはさらっと食べ進めていたようで、にこにことそんなアデルの様子を見守っていた。
……遊びにはしゃいでいた子供みたいで、恥ずかしい。
実際、アデルは相当にはしゃいでいた。なにせ初めてだ。侍女はわりと雑に聞き流してくるし、母親とここまで熱量のある会話するのも、まあ恥ずかしい。気軽に話せる相手ではないのだ、両親は。
両親に話せないのならもちろん仲良くしていた友人たちにも話せない。趣味の編み物の話なら、それなりに言葉も弾んだが。
そんなわけで、アデルは大変にはしゃいでいた。充足感と共に中々の疲労を覚える程度には。
心地いい疲労感に、いよいよ自分の高揚具合を自覚させられて、ただただ顔が熱い。
もう少しでアデルが食べ終わる、というところで、クレマンは立ち上がった。
ではと扉を開ける彼に、アデルは少し躊躇したが、思い切って手をあげた。やっぱりクレマンは、わざわざ手を下ろして、不思議そうにアデルを見てくれた。
「……その、また」
そう控えめに手を振ると、彼は、ぱっと破顔し、にこやかに手を振り返してくれた。
じんわりと心臓が熱を持った。
なんとか昼休みが終わるまでにランチボックスを空にすると、荷物をまとめ、アデルも室内庭園をあとにしたのだった。
その次の日も、そうだった。
マノンの悪口を聞きながら自信なく廊下を歩き、耐え忍ぶように授業を受け、逃げるように教室を去る。
変わったことと言えば、室内庭園に向かう足取りが軽やかになったこと。
逃避したところで自分の過去が変わるわけでも、自分が変われるわけでもない。
そんな自分に嫌気がさす。
嫌気がさすのに、結局なんの行動も起こせない。
アデルは室内庭園の扉を開けた。今日は先に着いたみたいだ。
少し迷いで立ち止まったが、アデルは白い扉を閉めると、クレマンが座る方、つまりは奥のベンチに腰を下ろした。
ふうと息をつき、俯いてランチボックスを広げようとして、ふと思いつき、顔を上げた。
今日も、季節から切り離された綺麗な花々が咲き誇っていた。柔らかな春風にされるがまま、体をのんびりと揺らしている。
堂々と公衆の面前で自己主張をしたマノンを思い出す。内容には論理性が欠けているし、愚かとしか言いようがないし、ヴィアボルト様の邪魔をしていることは確かだが、それでもなお、アデルに彼女の姿は眩く映った。
よし、とアデルは両手で髪を握りしめた。
彼が扉を開いて、恐らくは挨拶をしてくれるから、自分からこう言おう。
お隣、よろしければどうぞ、と。
心臓がバクバクと鳴り、緊張で汗がにじんでくる。
クレマンは、ずっと話しかけてくれた。ほとんど話さず、顔も合わせないアデルの意図を正確に汲んで、笑いかけてくれた。
最初アデルはハンカチを拾った。しかし声はかけられなかった。
クレマンは、それを差し出しただけのアデルの善意に、善意とも言えない小さな行動に、気がついてくれた。
屈託なく笑って、ありがとうと言ってくれた。
だから、勇気を出したいと思った。
どのみちこの関係は長くは続かない。お互いの家柄を名乗らなかった時点で、そういうことなのだ。
家柄を重視する貴族の恋愛においてそれは、婚約者候補として関わるつもりはない、という意思表示。そして貴族社会においては、異性の友人なんて火種でしかないのだから、作るべきではない。
ならばせめて、悔いのない関係を、と、そう望んでしまった。
アデルは制服の紺色のスカートを眺めた。耳を澄ます。ガチャリ、と扉が開いて、声がかかったら顔をあげ、挨拶をし返して、言うのだ。
お隣、よろしければどうぞ、と。
何度も脳内で繰り返し、ドキドキと顔を赤くして待つ。緊張するとすぐに頭に熱がのぼる。
その瞬間は、案外あっけなく訪れた。
想像よりも静かに扉が開き、あ、とクレマンの声がした。
思わずばっと顔をあげ、手が髪にかかっていることに気がつき、はっと手放した。
アデルのクリームイエローの目に映った彼は、ぱっと屈託のない笑みを浮かべ、声を弾ませた。
「こんにちは、アデルさんっ。お隣――」
「お隣! よ、よろしければどうぞっ!」
クレマンがぽかんとした。
ああどうしようさえぎってしまった、と罪悪感に苛まれていると、彼はアデルの曇りを晴らすように、目を細め微笑んだ。
「ありがとうございます!」




