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03:刺繍

「もう! またわたしの筆記用具が壊れてます!」


 アデルが登校すると、マノン・ブーロのそんな叫びが耳をついた。

 それを聞いたクラスメートは、うるさくって品のないお声ですこと、と嫌味を言った。それに慌てふためいたあの動作。貴族らしさがまるで感じられない、動物のようなお粗末な動きで見るに堪えないわ、と。


 確かにアデルの目から見ても、彼女にはまるで品というのが感じられない。落ち着いた声で、どのような動作も丁寧に、などというのは常識中の常識だ。


 けれども、元々平民の養女ならば、仕方ないことではないのかな。迷惑だと糾弾するのはいいとしても、自分が環境に恵まれた方だというのは自覚したって罰は当たらないと思う。

 ほとんど平民も同然の男爵令嬢である自分の侍女のことを思い浮かべ、アデルは静かに息を吐きだした。


「これ直ります? せめて直せるくらい大事に壊してあげてほしいんですけど!」

 マノン・ブーロがとんでもなく大きい独り言を漏らす。


 ……入学当初からあらゆる嫌がらせを受けていて、今もなお新鮮に心を動かせ、叫べるメンタルの強さはすさまじいものがある。

 荷物を壊されることはもちろん、予定を伝えられなかったり、あえて遠回しで分かりにくい嫌味を言われ、理解できずにお礼を言うと笑われたり。


 最も酷かったのは、やはり悪口、陰口だろうか。彼女の所有物を馬鹿にすることは序の口、人格否定の罵詈雑言を、口先だけは貴族らしい語彙力で着飾って吐く。


 教師ですら、最初はそうだった。あからさまに授業で貶めたり、どう考えたってわからない問題をマノンに振ったり。


 それでも彼女は学園書庫で勉強をするなど真っ当に努力を続け、四月から始まり半年が経った十月の現在、教師たちからはそれなりに温和な態度を取ってもらえるようになっていた。放課後につきっきりで教えてもらっているのを、よく見かける。


 ちらりと、マノンを窺う。


 彼女はあーだこーだとうるさくしながらも、一生懸命壊れた筆記用具を直そうと魔法の構築を頑張っていた。教科書片手に。

 アデルは、そんな彼女に、なんとなく憧れめいたものを抱いてしまうのだ。


 ……たとえ、第一王子殿下の婚約者、我が国ルーセヴェルの筆頭公爵家のご令嬢、カトリーヌ・ド・ヴィアボルト様に喧嘩を売ったのだとしても。


 本当に、それさえしなければ、確実に今よりも敵は少なかったはずだ。アデルだって、そうなるまでは密かに応援していたのだから。


 薄っすらとできつつあった、マノン・ブーロって案外根性あるよね?みたいな空気が全部壊れた。

 空気は悪くなるばかり。耳に届くのは、彼女の悪口だけ。

 やっぱり平民だから。頭の足りない哀れな女。

 嫉妬も怨嗟も混ざりに混ざって、聞いていられないほど酷い言葉。


 だからアデルは今日も、昼休み開始の鐘が鳴るなり、そそくさと室内庭園へと避難するのだった。


 友達二人に苦笑で断りを入れて。


 今日もクレマンは、白いベンチに座っていて、こちらに気づくなりこんにちはと挨拶をしてくれる。


「……こ、こんにちは!」

 なにも恐れる必要はない、と言い聞かせながら、そう告げる。発音がやや不安定になったが、クレマンはにこりと人好きのする笑みを浮かべて、もう一度、こんにちは、と言ってくれたのだった。


「ベンチ、宜しければ隣、どうぞ」

 昨日、一昨日と同じように魔法で綺麗にしてくれた。心なしか、昨日に比べ自信が感じられる。彼女ならきっと座ってくれる、と信じているような。


「ありがとうございます」

 もしもそれが、昨日勇気を振り絞って、貴方のお話を聞くのが楽しい、と言えたからであったのなら、アデルはこれ以上ないほどに嬉しい。


 おどおどとベンチに座り、いつも通り膝の上でランチボックスを広げた。そういえば、と気になって隣を覗くと、今日はキッシュを食べていた。


 美味しそう。


 しかしアデルの侍女も料理上手なのだ。ランチボックスには切りそろえられたバゲット、お肉のロースト、煮込み野菜、フルーツと、小さなコース料理が詰まっている。

 こちらもまた美味しそう。


 アデルは頬を緩め、いただきますと、チーズの載ったバゲットに手を伸ばした。

 基本的にルーセヴェルの貴族の昼食は軽めである。貴族は夜に仕事が多いため、朝が遅くなるためそんなに必要ないのだ。よって、貴族を軸として構成された学園の時間割は、大体昼から始まる。


 例に漏れず、クレマンもアデルも軽めの昼食だった。


 そんな軽い昼食を片手に、彼は緩やかに語り始めた。

 貴族たちはこの時間を社交とするので、これもある意味貴族らしい昼休みの過ごし方なのかもしれない。

 ……いえ、わたくしは彼の話を一時間半聞いているだけなのだけれど。


 そんなどうでもよいことを考えながら、アデルは彼の話を聞く。

 春の空がどうだとか、故郷の星々がどうだとか、はたまた魔力生物学がどうだとか、魔法薬学がどうだとか。

 心の内で好き勝手に共感したり感心したりするうち、ふと、数日前拾ったハンカチの刺繍が気になってきた。


 今もそうだ。気になること、知りたいことはたくさんあるのに、それを質問する言葉が出てこない。


 確かに、黙って頷いているアデルは楽しい。でも、クレマンは果たして楽しいのだろうか……?

 碌な相槌も返ってこない人に話しかけていて、楽しいことってあるだろうか……?


 だんだん申し訳なくなってきた。

 自分は昨日、なんて酷く我儘な要求をしたのだろう。

 冷静になればなるほど落ち込んできて、悪い方向に思考が傾く。


「それに僕は、秋の寂しい風が好きです。孤独に酔う弱さを許容されているような気分になるのです」

 ああ、なんとなく分かるような気がする、と頷き、アデルは唇をかみしめた。


 酔う、という表現がなんとも適切な気がした。

 過激な自己嫌悪に逃げることで、自分の醜さを濁している。直視しないよう向き合うことを辞めている。

 わたくしは前に進もうなどと思っていない。

 そう自嘲し、こういうところがまさに駄目なのだ、と嫌悪のるつぼに落ちる。


 今朝聞いた悪口が、そのまま自分を罵るための語彙になっていく。嫌な言葉ばかり知る、つまらない人間になってしまった。


 貴族らしさのまるで感じられない、お粗末な精神。


 自分で言って、心臓にナイフを突き刺されたような痛みが走る。


 アデルはアデルが嫌いで泣きそうだった。


「……どうかしましたか?」

 はっと、現実世界に戻ってくる。勿論そこにいたのは、ナイフが刺されていない心臓をドクドクと鳴らすアデルだった。


 心配そうにこちらを見つめてくれていたクレマンと思わず目が合い、ぱっと目を逸らす。


「……あ、す、すみません」

 またもや我に返り、失礼すぎると謝罪する。彼は首を振った。

「いえ、謝ることなんてありませんよ」


 それから、ただただ心配そうに、続ける。


「それよりも、大丈夫ですか?」

 顔色が悪いように見えます、と付け足され、自分の情けなさに涙が出るような、顔が赤くなるような、そんな気分だった。


 クレマンは、いい人だ、それはここ数日で嫌というほど分かった。


「なんでも、ないのです」

 だからこそ、こんな本音をぶちまけるなんて、無理だった。

 ただ、変わりたいと思った。


 アデルは臆病だ。だから世間体を気にする。

 ふわふわと世間の意見で主観が変わる人間なのだけれども、マノンに対してだけは、一貫して、確かに彼女も悪いが、それはそれとして、憧れるという印象を崩さないでいたのだ。

 認める。


「……そ、その」

 心臓がどきどきと喧しく鳴り始める。

 アデルは、どんなに虚仮(こけ)にされようと、どんなに大変な道のりでも。前を向いて真っすぐと歩いていく、マノン・ブーロのような人に、なりたいと思った。


「……ハンカチにっ」

「はい」


 前と同じように、クレマンと目を合わせる。にこにこと柔和な微笑みがそこにはあった。


「綺麗な刺繍が、入っていましたよね。漆黒の。あちらは、ご自分でやられたのですか?」

 クレマンはやや意外そうに目を瞬き、弾けるように破顔した。

「ああ……! アデルさんが見つけてくださったハンカチのことですよねっ」


 こちらでしょう?と、クレマンはポケットからハンカチを取り出し、両手で丁寧に広げた。わずかな折り目のハンカチ。ピスタチオグリーンの生地に、濃い黒の、それはそれはもう細かな刺繍が入っている。自分がすると考えると、ちょっと悪寒がしてくるような細かさだ。


「そ、そう! そちらです!」

 つい大きな声を出して、一瞬あと恥ずかしくなり頬を赤く染めた。クレマンは妙に暖かな目でその様子を眺め、手を下ろし、視線を遠くへ投げた。


「このハンカチは、僕の主人から貰った物です。お店で、たまたま僕の目に似た色のハンカチを見つけたからと。それで、そのまま渡すのも味気ないからと刺繍を施してくださったんですよ」


 主人。ということは、彼は誰かのペイジか、ボーイか、はたまた侍従かをしているのだろうか。

 下級貴族の次男三男が、上級貴族の使用人をすることはよくある。つまり彼は、その程度の爵位の人間、ということだろう。


 などとつい考えてしまった。最初に家名を名乗らなかった時点で、お互い家柄を探らない、という暗黙のルールを共有していたのに。


 ただ、爵位的にはアデルと近そうで、無性に嬉しくなってしまった。

 それに、婚約者からの、というわけでもないのか。意外だ。


「……その。す、素晴らしい腕のご主人ですね」

 女性が若者に刺繍をしたハンカチを渡すのは問題だから、多分男性、なのだろう。主人というのは。

 曲がりなりにもご令嬢として、自信を無くしそうだ。


 編み物は好きなのだけれど……。


 じっと、彼の膝の上に広がるハンカチの刺繍を見つめる。……本当にこんなもの、作れる自信がない。


「あははっ」

 その様子を見たクレマンは、楽し気に笑い声を転がした。どこか青年然としていて、ドキリと心臓が脈打つ。


「まあ、僕の主人は色々特殊な御方でして。小さい頃から幽閉生活を余儀なくされましたから、器用なんです」


 特殊、で済むのだろうか、それは。

 アデルは何とも言えない顔になった。

 ……不義の子かなにかであれば、まあ、ありふれている、のかな。それに身体が弱い場合もあるわ。


 ともかく、そう言う事情があるのならプライドがぽっきり、とまではいかないかもしれない。それにしたって、なけなしの自信が削られるのだが。


 彼の婚約者様は変なところにライバルがいて大変だな、とやや不憫に思った。


「編み物もお得意でして。特にあみぐるみが」

 ……中々にかわいい御方、と、アデルはさらに婚約者を不憫に思った。


 あみぐるみは、昔は魔術的に用いられてきたものの、最近ではもっぱら愛玩用という見方が強い。国内では主に、子どもの。

「こう、表情がぼんやりしていて中々愛嬌があるんです」

 ……見てみたい、とアデルは思った。


 とはいえ、信心深い者の中には、未だにあみぐるみを恐怖の対象とする人もいる。


 あみぐるみの活用法として、魔力生物討伐という側面が非常に強かったためだ。実際の魔力生物を模したあみぐるみを作り、そのあみぐるみに魔法を打ち込むことで本体に損傷を与え討伐する、という使い方が主だったようだ。


 ルーセヴェルは元来、ラフィネ教という宗教と深く結びついた国家。そしてラフィネ教では、魔力生物を闇の神の眷属としている。この闇の神というのが、簡単な話、邪神である。

 ゆえに敬虔な人ほど、あみぐるみに忌避感を覚えてしまうのだろう。魔力生物を模ったもの、という印象が先行するから。


 以前第一王子殿下の婚約者、カトリーヌ・ド・ヴィアボルト様が、マノンのあみぐるみを気色の悪いと切り捨てていたのだったか、と思い出し、アデルは微妙な面持ちになる。


 余談だが、ラフィネ教によれば魔法は神の御力。そのためにルーセヴェルは魔法が発達し、ラフィネ魔法学園、なんてものが存在するまでの魔法国家となったようだ。


 などとぼんやり考えていると、隣から衝撃的な言葉が飛び出てきた。

「色々あって、大部分は処分されてしまいましたが」


 あみぐるみを、処分。


 脳裏で、カトリーヌ・ド・ヴィアボルトがあみぐるみを廃棄した様子が思い出された。

 まあ、よくあることだわ……。

 幼少期からかわいいあみぐるみと仲良くしていた身としては、中々に複雑である。


 気分が落ち込んでしまったのが伝わったのか、クレマンは苦笑して話を変えた。

「まあ、随分前の話です。……せっかくですし、少し僕の主人のお話でもしましょうか。あみぐるみを作ったり、細かな刺繍をしたり、なにかと手先は器用なのですが、いかんせん口の方はなんとも不器用な御方でして」


 昼食を口にしつつ、隣の声に耳を傾けた。気づけば俯きがちになるが、出来る限り前の花々を見られるよう意識する。


「アデルさんとのときみたいに、僕がほとんど話すのですが、妙に純粋というか天然というか、ともかくすれていない御方で、どうでもいいことを真剣に聞くんです」


 どこか必死にも見えるほど熱量を込め、クレマンは語った。


「僕が、あの雲が雪みたいだと言えば、どれだ?とごく真面目に探し始めるような。本当に毒気のない方なのに、言葉足らずなせいで他人から大変誤解されやすくて。かれこれ十年来の付き合いなんですが、出会ったときからずっと、僕はあの人の幸福を祈っているような気がします」


 クレマンは声に陰りを滲ませた。


 今、どんな表情をしているのか気になった。でも、なんとなく見てはいけない気がして、アデルはそれとなく目を逸らした。


「ずっと、祈っているんですけどね」


 彼の主人は今、幸福ではないのだろうか。


 なにか言いたいのに、言葉が出てこない。それでもこのままじゃ駄目だと口を開きかけた途端、クレマンがパンと両手を合わせた。

「結局、少し暗い話になってしまいましたね。それじゃ僕はこれで」


 クレマンは立ち上がり、そうと分からないように急いで、アデルの前を過ぎた。


 引き留める語彙を持たぬアデルは、頭を下げた。

 彼はしっかりと気づいてくれて、微笑んで手を振ってくれた。

 音もなく、扉は開いて閉じた。


 うんともすんともしない白い扉から、目を移す。緩やかな風に揺られ、物言わずたたずむ花々。

 昼食を食べ終え、アデルは手を合わせた。

 ゆっくり腰を浮かし、スカートを軽く払った。

 カツン、カツン、と、緩やかな歩調で歩き始めた。


 ……初めて、自分から質問をした。

 快く返してもらい、知りたいことを知れた。楽しかった。


 楽しかったのだ。


 ……それから、少しだけ彼の心の奥へ立ち入ることを許可されたような気がする。これは、嬉しい。

 彼の主人の話をしてもらった。

 あの話には、客観と主観が混ざっていた。大切な人なのだろうと思う。


 その人の話を、その人に対して思っていることを、クレマンの口から聞けたことが、嬉しい。


 うん。嬉しい。


 アデルは一人、バスケットを握り頷き、扉を開けた。


 花々のため常にぬるい温度に調節されている室内庭園とは違い、学び舎は人に心地よい温度に保たれている。


 爽やかな秋の風を浴び、アデルは後ろめたさがありながらも、にっこりと笑うことができたのだった。

補足。ラフィネ魔法学園の一日スケジュール。当然ですが別に知らなくても支障はないです。

11:30 出席確認、一限目開始

12:20 一限目終了

休憩時間

12:30 二限目開始

13:20 二限目終了、昼休み開始

14:45 昼休み終了

14:50 三限目開始

15:40 三限目終了

休憩時間

15:50 四限目開始

16:40 四限目終了

休憩時間

16:50 五限目開始

17:40 五限目終了

休憩時間

17:50 六限目開始

18:40 六限目終了

20:00 寮の門限

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