15:勉強
「……ヴィアボルト様」
十月十日の放課後、マノン・ブーロが静かに、カトリーヌ・ド・ヴィアボルトに話しかけたことは、すぐに騒ぎになった。
元々、婚約者を持つ第一王子相手に、マノンは近づきすぎていた。いよいよヴィアボルトの苛烈な雷魔法が彼女に炸裂するか、と野次馬が集まってきたため、その日のことはほとんどの生徒が知ることになった。
アデルもマノンのことが心配になってしまって、見ていたところでなにも出来やしないのに、マノンとカトリーヌを囲うようにでき始めた人だかりに混ざった。
マノンに呼びかけられたカトリーヌはわずかに眉をひそめた。
身分の低い者が高い者に話しかけるのはマナー違反。六歳でも分かる常識だ。
「……元平民の、貴族教育もろくに受けなかった愚者にマナーを期待するのも非合理的というもの。なんですの?」
ぴしゃりと言い放ち、カトリーヌは距離を取るように扇を広げた。
「先ほどの言葉、撤回してください」
「曖昧な言葉は非合理て」
「闇系統魔法使いは悍ましいと言ったことです!」
カトリーヌの言葉を遮る。ひゅーとどこかで口笛が響く。聴衆にざわめきの波が押し寄せた。
『だから、第一王子殿下のこと。気味が悪いでしょう?』
『ええ、わたくしも、そう思いますわ』
アデルはドキンと心臓を鳴らした。
マノンは頬を膨らませ、カトリーヌをおっかなびっくり、睨んでいる。
「……」
カトリーヌはなにか言いたげに目を細めたが、小さく吐息を吐き出すと、全て流して話し出した。
「撤回は致しませんわ。わたくし、不正確な発言をしたつもりはありませんから」
「はあーッ?! ただ闇系統魔法使いとして生まれただけで! どうして彼がそんな中傷を受けなければいけないんですかッ! 不正確も不正確、とっても不正確ですよ!」
カトリーヌの目の温度がどんどん下がっている。
第三者の自分ですら竦み上がる。
怖くて強い御方。
「……話になりません。ではこれで」
「……ッ! ならせめて! ラウル様との婚約を解消してください!」
途端、空気が凍り付いた。
婚約は、貴族にとって最も重い契約。王家と婚約している者を相手に婚約を解消しろとはつまり、もう王家と一生つるむんじゃねえ非国民、という強い批判になる。非国民と罵られるほどのことをしないと、王家との婚約など解消できないものなのだ。
アデルも思わずむっとしてしまった。当事者の、それも高位貴族として名誉をなにより重んじるカトリーヌはどれほど腹が立っただろうか。たかが男爵家の養女に言われていいことではない。
しかし流石はカトリーヌ・ド・ヴィアボルト。額に青筋を浮かべつつ、それでも淡々と言った。
「どうして、そんなことを、部外者の貴方にッ、言われなくてはいけないのです?」
「その通りわたしは部外者です! 部外者以外にはなれません婚約者じゃないんですから! だからわたしはなんにもできません!」
マノンは叫んだ。貴族の通う学園に似つかわしくない、愚直で低俗で品がない、それでいて酷く魅力的な叫び声。
「大嫌いって毎日毎日家族に言われたらッ! 人は簡ッ単に壊れるんですッッ!」
「は?」
ぼろぼろと涙が溢れている。マノンはそれをごしごしと乱暴に拭うと、酷く冷めた目のカトリーヌに続けた。
「ラウル様を『悍ましい』と言い捨てる貴方に、彼を愛せるとは思いません。きっと政略結婚でも幸せにしてくれるだろうと思ったわたしが大馬鹿でした! 貴方にラウル様を任せられません!」
ああ、これは駄目、とアデルの胸に諦めが滲む。誰がどう見たって、的外れで見当違い。愚かしいことを言っているのはマノンの方だ。
現に。アデルでさえも、なにを言っているのでしょうと思ってしまった。
失望の念を、覚えてしまった。
「……貴方は。一体どこまで頭がお花畑なのかしら」
ふーっと、カトリーヌは静かにため息を吐きだした。長い長いため息だった。そして、聞いているだけで全身が痺れるような、威圧感のある声音で、
「いいこと? お前は何もかもを間違えているのです。そもそも私はあれを愛そうなどと思ったことは一度もありません。あれも同じでしょう。むしろ、同じであってくれと願いますわ」
マノンは目を見開き、ぐっと唇をかみしめた。あれ呼ばわり……と小さく絞り出す。
「それから。政略結婚に幸せなど不要です。誰も幸せなど望んでおりません。望んでいるのは我が血族の繁栄と誉のみ」
「……」
マノンは少し冷静になったのか、しょぼくれた顔で黙り込んだ。
賢明だと思う、とアデルは少しホッと胸をなでおろした。
「平民であるお前に親切に、貴族の価値観を説明して差し上げます。その愚鈍な頭と耳でよくお聞きなさい」
聞いているだけで怖い。野次馬の中にも何人かとんでもなく顔色が悪い者がいる。
カトリーヌは端正な顔立ちを崩し、雷のような熱く鋭い目でマノンを睨みつけた。
「貴族にとって最も大切なのは、幸福でも、無論愛などでもなく、名誉とプライド、それだけですわ。そして今お前は、私の、ひいては誇り高きヴィアボルトの名誉に傷を刻みつけたッ! この社会でヴィアボルトを敵に回して、地獄に落ちずにいられる者はいないと知りなさいッ!」
カツン、とヒールが地面を叩く。
噛みつくように吐き捨てたカトリーヌの言葉に、その場の全員が感電したように立ち尽くしていた。
マノンでさえ、なにも言えなかった。
それから彼女は、咳ばらいをすると、実に模範的な貴族のご令嬢然とした微笑みを浮かべた。
「……失礼いたしました。少々、冷静さを欠いてしまったようですわ。いくらお前が愚鈍と言えども、ヴィアボルト家の娘、貴族の手本としては失格もいいところ」
カトリーヌは扇をマノンに向け、酷く冷えた目をした。
「時間を差し上げますわ。対話を致しましょう。ヴィアボルトとしても、光系統魔法使いは欲しいのです。ただし、待つのは冬期休暇まで。……あまりにお前に価値がないようであれば再考致しますが。それでは、ごきげんよう。――お騒がせ致しましたわ、ご令嬢二人に群がる紳士淑女の皆様?」
「ヴィアボルト様ぁ、こちらの問題なのですが……」
本日より定期考査期間に入ります。お昼休み、教室ではお静かに。
そう担任から告げられた昼休み。
なんとも調子の良い笑顔で侯爵令嬢二人がカトリーヌに話しかけに行った。彼女はちらりと令嬢二人が差し出してきたノートに目をやり、
「努力の痕跡が見られません。私に聞くより先にすべきことがあるのではなくて?」
アデルは二人をやや呆れるように横目で流し、勉強道具を握り、室内庭園へと向かった。
彼女に頼りたくなるのは、分かる。
入学してから、彼女はずっと男女別で学年一位、男女合算でも第一王子殿下に次ぐ学年二位を守っている。その上話が簡潔で分かりやすいから、人に教えるのが抜群に上手いのだ。
王子様と婚約しているお嬢様なのだから、優秀で聡明な御人でないといけないもの。
貴族の爵位は、下から順に、男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵。アデルは子爵令嬢だから、カトリーヌに話しかけることは不可能なのだが。
……まあ、わたくしは話しかけられる立場だったところで、ヴィアボルト様に対しては怖いから話しかけられないけれど。
ルーセヴェルでは男女関係なく魔法を扱うことに長けているかどうかが世間からの評価に直結する。
そして、基本的に婚約者、伴侶はこの学園で自分で見つけるべき、とされている。
幼少期のうちから婚約者を定めてしまうと、将来的に大きく魔力が成長した際、社会的に釣り合いが取れなくなることがあるためだ。ただし、公爵以上ともなれば、血筋から魔力が担保されていると判断され、早めに決められる。魔力は遺伝することが多いとされているのだ。つい数世代前まで近親婚を繰り返してきたから。
立派な紳士淑女を名乗るのなら、自分で相応しい伴侶は自分で見つけるべきである、という論調も浸透している。
そういうわけで考査の結果は廊下に大きく、男女別、総合どちらも貼り出されるし、それにより将来が変わってくる。魔法の成績さえよければ、男爵家の令嬢でも伯爵家の子息と婚姻できる可能性が出てくるほど。
定期考査前はいつも以上にぴりぴりする。ビビりのアデルには心臓に悪い。
いかにも追い詰められた雰囲気の生徒が多い廊下を歩き、アデルは悩まし気にため息を吐き出した。
物語のように白馬に乗った王子様に迎えに来てもらうのも憧れはあるが、定期考査だけ頑張ればアプローチをかけられるほど、アデルの頭はよくできていない。
ヴィアボルト様なら、たとえ伯爵令嬢だとしても引く手数多なのでしょうね。
アデルは平均より少し下くらいの位置だ。目立って悪評が立つほどではないが、勿論良い噂が立つほどでもない。
今日は早くにご飯を食べ終えて勉強しようと覚悟を決め、室内庭園へと入った。
「こんにちは――」
挨拶は尻すぼみになった。
クレマンが、白い柱に巻き付いている植物を、しゃがみこんで食い入るように見つめていたからだ。
「こんにちは、アデルさん」
なんてことないように、顔を向けられないまま答えられ、静かに衝撃を受けた。
……どうされたのかな。
予想外の光景にやや固まったものの、アデルはおずおずと、ブーツで彼の隣に並び、少し屈んで問うた。
「な、なにをされているのですか?」
彼がこちらを見ずに挨拶なんて初めてだ。こちらが萎縮するほど丁寧な印象だった。
「魔力生物学の勉強です」
どことなく熱心な目つきに、ドキリと心臓が鳴った。そわそわとはにかみながら、隣にしゃがみこんで横顔を覗く。
「姿形から魔結晶の位置を推測する問題がでてくるんですが、どうしても一つに絞り切れなくて。本物を見ればできるかと思ったんですが――」
ちらりとこちらを見たクレマンはおわっと後ろに飛びのいた。その動きに、アデルはびくりと肩をすくませる。
「あ、あー。すみません。思いの外近くて……」
取り繕うように笑い、頬を引っ掻くクレマンにアデルは慌てて首を振った。
「い、いえ。その、ごめんなさい……。わたくしが、一声かけなければいけなかったと思いますわ」
つい甘えて窺うことを怠った自分が悪い。アデルは項垂れて、そっと傍のベンチに座った。
「……あの。わたくし、お勉強のお邪魔をしてしまいました。すみません」
「いえ、全然! お気になさらないでください」
二人で苦笑いしあって、お互い背を向けた。
いただきます、と小さく口にしてご飯を含む。
ペンがノートの上を走る音がして、サンドイッチを食べる手が進んだ。
素早く食べ終えると、時計に目を走らせ、アデルは勉強道具を広げるのだった。
補足。一応フォローをしてあげますと、このときのマノンは大切な人を傷つけられた怒りで血がのぼっており、冷静さを欠いています。普段ならわりかし貴族の常識にチューニングした反論を出来るのですが、怒り慣れておらず感情にぶん回されているのもあり、貴族視点で見るとかなり支離滅裂なことを言っています。
ゆえにアデルは十月十日、彼女に結構失望してしまったのですが、現代軸では日頃の行いを見て、やっぱりあの日のこと以外は素直に憧れられる……となっているわけです。




