第三章 五幕
緊急馬車の車内は極めて気まずい空気が漂っている。マリアのいる車両は、咄嗟に乗り込んだマリア以外にはカルロとニーノ、ムーロが乗り込んでいる。ニーノは窓の外を眺めて何か考えている。カルロは少しでも休もうと目を閉じている。
「カルロ、どうしてこの子たちを連れて行こうと考えたんだ」
カルロはぼんやりと目を開き、ムーロを見た。
「この子はマリア・ロールベルです。ロールベル家の中でも、稀代の天才と名高い。戦闘になった場合、この子たちに避難してもらうことは大前提として、単純にこの子を連れていくことが、我々にとってメリットになると判断しただけです」
「やはりそういう話か。お前は特によくわかっているだろうな」
ムーロは少し笑いながら返す。ニーノは二人の会話に耳を立てていたようで、会話に混ざり始める。
「カルロさんとこの子に何か関係が?」
「まぁ、早い話が親戚ということになりますね。こいつの名前はカルロ・ロールベル、ロールベル家の凡才と呼ばれる変わり者ですよ」
マリアはこのことを、この場で初めて知った。彼女はあくまでロールベル家の者を連れていくことの利点を主張したかったから、自分の名前を出したのだ。まさかカルロが親戚だとは考えていない。
「凡才?配属後から数々の事件を解決してきたカルロさんが?」
「ロールベル家の有名人っていうのは、学術領域に行く人が大半だし、人のためというより社会に役立つような職につきやすい。カルロは珍しく直接人を救うような仕事で、他のロールベル家の人々と違って、学術的な功績を立てていない。故に人はカルロを凡才と呼ぶ」
カルロは頭の後ろを掻きながら、面倒そうに答える。
「僕はどうしてもあの人たちと、この子と同じ道を歩む気にはなれなかった。目の前で苦しむ人を前にして、より多くの人を思うことはできなかった。それだけですよ」
カルロはマリアを向き直し、目が合うとすぐに逸らした。
「君を否定しようってわけではないんだ。好きなように生きればいい。僕もそうしてきた」
マリアはとりあえず頷く。
自分のことを客観的に見る。この場には自分以外は警察しかいない。(ニーノは教父が主だろうか)
彼らはおそらくは、人々のためになりたいと今の職に就いているはずだ。では自分は?この先どうするのだろう。
マリアは結局のところ、自然の仕組みと自身のことしか興味はないのだ。友人や家族のことも当然大切におもっているが、それだけだ。彼女が人生をかけるような存在かと言うと、首を縦に振ることはできないのだ。それはこれまでのロールベル家発の偉人たちも同様だ。しかし世界のみへ向けられる純粋な好奇心と、他者に興味が湧かない利己心が、皮肉にも社会への貢献を果たしてきた。マリアはそれを特に恥ずべきとも思っていなかったが、誇りに思ってもいなかった。とにかく興味がなかった。
「ロールベルの新進気鋭の天才女史が、特段その気質を強く継いでいると聞いていたが、そうでもないな。良い友達がいて結構だ」
マリアの胸中に温かな言葉が沁みる。気づいたのだ。自分がずっと一人だったこと、一人のまま世界の真理に立ち向かっていることに。言語化できずにいたここ最近の充足感が、確かな輪郭を帯びていく。
「はい、私友達ができたんです」
その目には確かな光が宿っている。カルロは、僅かなやり取りで劇的な変化を遂げた少女の瞳を見て、鉄面皮を崩して微笑んだ。
一方、もう一つの車両ではロイとジン、そしてラルバがいる。
「アコクからの留学生で、早速ムーリアスの決闘序列で二位ね。楽だったろ」
ラルバが姿勢を崩しながら切り出す。ジンは思い出すように上を見上げて考える。
「そう楽でもなかったですよ。こっちにも骨のある人はいるし、何より俺じゃマリアさんに敵わない」
「そうなの?」
驚いたのはロイだ。単純な武力を目にした彼にとって、その回答は意外だっただろう。ジンは冗談を言われたかのように高らかに笑う。
「そうだよ、たぶんだけどね。マリアさんの魔術師としての才覚は別格だ。ジョージ・ライブラにだって比較にならない。例えるならジョージ・ライブラは建物一つ丸ごと火だるまにできるが、マリアさんは街一つ火の海にできる」
ロイはマリアの決闘や使用した魔術を振り返る。ロイを庇う形で使用した、山のような氷塊を撃ち落とした大火。街の気温を下げるほどの規模で使用した金属加工。
「たしかに」
「酷く言ってしまえば、災害だよ。人が戦って挑むようなものじゃない。あの子が科学に直向きであることに対して、僕らは心底安心しなきゃいけないんだ」
ジンはため息をつく。
そんな人ならざる力が宿る人間から、自分のために生きても良いと言われた。国のため、生きてきた。自らが望んだ道に、覚悟を決めて踏み込んだ。そんな彼に語りかける少女が、誰よりも孤独に世界に向き合っている。虚無とはまた違う無力感が、彼の心中を覆った。
きっとジンのような人間が、マリアの周りにはいくらでもいるだろう。望んで天才と関わり、マリアから何の行動を起こさなくても、勝手に傷つき離れて行く。それは外に敵意を向けているわけでもない。少しでも関わればわかるのだ。彼女が並び立つ存在を深層心理で渇望していること、そして自身にそれが決してできないことを。振り返り、彼女は辛そうな顔をする。
だからきっと自分だけは、彼女の少し後ろにいたい。ジンは微かな力で、心の無力感を拭った。
「そういえば、ユーリさんの魔術の正体は今もわからないままなんですか?」
ロイはラルバにたずねる。事件当時、ユーリの魔術は謎に包まれ、以降報告書は更新されていない。
「わかっていないが、眉唾の噂話を持ち出す奴がいたなぁ。案外信憑性があるのが面白かったとは思うよ」
ラルバは思い出すように笑う。ジンはロイに視線を送るが、肩をすくめる。ロイはその噂に心当たりがない。
「なんでも、ルルデアの平野の王の血筋には、代々受け継がれる秘伝の魔術があるって言うんだ。十個の魔術があって、全部どういうものかわかってるんだ」
それを聞いたジンは鼻で嘲笑う。ロイは理解できずに不思議そうにしている。察したジンが笑顔のまま答える。
「秘伝ならなんで全部わかってるんだよってことだよ」
「ただその時は、ユーリ・アナベルは王家に近い人間だったから、そういう意見も出てたよ」
ラルバの意外にも柔らかい雰囲気に、ロイたちの肩の力は気付けば抜けていた。
「前の馬車が止まりましたね」
窓からとを眺めるロイが、先行していたマリアたちの馬車を見つける。
ロイたちが馬車を降りると、マリアたちも馬車を降りていた。目の前には街灯の明かりのみがポツポツと光るのみだ。
「これが再開発待機区画か。あまり近づかないようにと言われていたんだがな」
再開発待機区画。建築物の老朽化に伴い、ムーリアスでは主要な都市で改修工事を国家事業として進めている。再開発待機区画はその事業を待っている区画である。集合住宅が多く、住人は早々に引っ越してしまったうえに、新規の入居者も入らない。結果としてほぼ空き家の、権利だけが国に保証された廃墟群と化している。
そのため犯罪の拠点として利用されることがある。今回も例に漏れず、拉致犯罪集団の拠点があるということだ。
「ここからは足を使う必要があるな」
「さっきみたいに位置はわからないのか?」
ジンが素朴な疑問を投げる。ニーノは両手を軽く挙げる。
「残念ながら、かなり大まかな位置しかわからない。そもそもこの区画だろうというのも、多分に予測を含んだものだ。建物レベルなんてとてもとても」
「しかも大規模な人員を導入すれば逃げられる可能性も高い。救出は前提だが、目的は犯人の確保だ」
カルロは馬車の御者二人に、馬車を隠すように指示を出す。
「歯痒いだろうが、完全に端から端までというわけではない。この区画の地図は頭に入っているから」
カルロは何かを言おうとして途中で辞める。眉間に皺を寄せて目を閉じる。
「カルロ?」
ムーロがたずねると、カルロは静かにするように手で制止する。
「何か聞こえる」
カルロが呟いた瞬間、地響きのような音が聞こえ、大きく呼びかけ合う声が聞こえる。遠くの方で集団が同じ方向へ走って行くのが見える。
「これはまずいんじゃないですか?」
ニーノが笑うとラルバは頭を抱える。その瞬間、一同の中で、強い発光がある。マリアの胸元でフィオラが力強く輝いている。
マリアは体の前で拳を握り、決意めいた顏つきをしている。ジンはそれを見て驚きを隠せない。確かにマリアは、その性格の割に自信に満ち溢れた毅然とした態度をすることが稀にある。しかしそれはいずれも決闘の場に限られたものであり、戦いの場での優位性からくるものだった。今は違う。これは紛れもなく、決意であり宣言である。
「ユーリは友達です。必ず守ります」
マリアがそう言うと拳を開いて地面に手を出した。一瞬熱風が吹いたかと思った刹那、区画を囲うように氷の壁が地面から生えるように形成されていく。遠くで呼びかけ合う声が、明らかに動揺を含んだものになったが、こちらに注目する様子はない。
「たまげたなこれは」
ムーロが呆然として呟いた。ムーロだけではなく、学生以外の全員が呆気に取られている。
「今ならこれも、ユーリの仕業として考えられるはず。これで誰も逃げられません」
それはそうだが、警察関係者はまだ呆然としたままだ。勿論彼らも実力者の集まりだが、ここまで大胆なことはしない。できないことはないかもしれないが、自分にこれができる想像ができない。
「ちなみにこれ、熱はどうしてるんだ。氷の分の熱は」
ムーロがかろうじて質問する。
「一部は上空に飛ばしました。残りは地面に放出したので、この壁自体もそう長く存在するわけではありません」
「何はともあれ」
咳払いをしながら、カルロが喋る。
「混乱に乗じて、騒動の中心に向かう。そこにユーリ・アナベルがいるはずだ」
「救助と確保。全部やるぞ」
国家権力がその牙を露わにした。




