第三章 六幕
ルルデア王国は、大まかに三つの区域に分かれている。大陸北部の海に面した沿岸域、南の隣国であるムーリアスとの国境山脈付近の山間域、そしてその間にある平野域である。かつてこれらは、全体を南北に分ける二つの国であり、争いは絶えなかった。
しかしこれをある実力ある魔術師が、第三勢力として平定。最終的に沿岸域からの代表者である「海の王」、山間域からの代表者「山の王」、そして自らを平野域である「人の王」として、三つの国が集まった三王による議会制という奇妙な王国が誕生した。この仕組みを構築するところまで成し遂げた初代「人の王」はその功績から「大賢者」と呼ばれる。
数代を経たのち、「人の王」が実質的なルルデア全体の代表者としての役割になると、平野域王家の方針が変わる。それまで魔術師としての実力を王の選定基準としていたが、「人の王」の暴走を防ぐため、人柄を重視する形になった。結果として魔術師としての実力を誇る親類が、王の秘書を務めるという構図になる。この秘書は何名もおり、代表者は筆頭秘書とされる。
ユーリの父は現在の「人の王」の筆頭秘書であり従弟である。祖父も先代の筆頭秘書に当たる。したがってユーリは、曽祖父が「人の王」で祖父と父が筆頭秘書である。現在王位継承権を持つ王族宗家には、魔術師としての実力がある者がおらず、次期筆頭秘書は親類から輩出される想定である。ユーリは、その選別の対象者となっている。
「おい、帳簿どこにある」
「そこの箱の中だよ、いい加減覚えとけ」
空き家はバタバタと大慌てとなっている。ユーリはそれを眺めている。慌てているのは加害者集団であり、彼らが慌てているのと自身の都合は関係ないからだ。
「あの、すいません」
ユーリの近くで女性が話しかける。物音が大きい中で小さな声なので、少し聞きづらい。
「なんですか?」
「あなたって偉い人なんですか」
ユーリは少し考える。確かに父は偉い。祖父も曽祖父も立派だった。しかし自身はその血筋というだけで、偉いわけではない。だが彼女が言いたいことを考えればおのずと答えは決まる。
「まぁ、一応?」
「よかった。助けが来るってことですよね」
「え?」
ユーリは困惑した。そんなことはわからないからだ。高校生の時、同じように閉じ込められたことがあった。結局違ったが、命の危機を感じたときに彼女を助けたのは他でもない彼女自身だった。
「私、弟しか家族がいないんです。お母さんが病気で他界しちゃって、お父さんは別の娘がいるらしいから、あの子の面倒を見れるのは私しかいない」
「そうですか」
急な身の上話にユーリは困惑しっぱなしだ。確かに不幸な身の上かもしれないが、正直な話、人のことを気にする余裕がある状況ではない。
「でもよかった。あの子を一人にしなくて済む。ありがとうございます」
「言いづらいんですが」
「おい、まだか!」
ユーリを知る男が部屋に入ってきて声を荒げる。なかなか準備が整わないらしい。
「証拠はまとめました。あとはこいつらどうしますか」
手下は拉致被害者を目線で示す。ざっと二十人ほどおり、確かに彼女たちを連れて逃げるのは難がある。
手下の「どうするか」は質問ではない。確認だ。
「女の魔術師以外は間引け。抵抗するならそいつもだ」
まさにカルロが恐れた事態だ。そもそも商品として人を見ているような人間が、追い込まれてこういう決断をしないはずがない。
「了解っす」
そう言うと手下の男たちは目線を合わせ、部屋の隅にあった箱から木製の棒を取り出す。品定めするように指をさして、これから間引く相手を選んでいる。
女たちは叫びながら対角にある部屋の隅に向かう。足が縛られているので、這うように急ぐしかない。
「おい逃げんなよ」
「魔術師どれだっけ」
手下は心底面倒そうに会話しながら選定を続ける。女たちは非魔術師がより部屋の隅へ逃げていき、強い圧力で魔術師を前へ押し出す。それこそ自身が魔術師ではないと強調しているようなものだが、集団の恐慌状態が冷静な判断を奪う。そして押し出された魔術師は、より目立つ人間を差し出すように押し出した。
「……いや、お前に手付けたらやばいだろ」
最前列にユーリが押し出された。その顔は恐怖ではなく、気付けば前にいたことに驚いている。
「どうかな、殺した方が追われないかも」
ユーリはとりあえず虚勢を張ってみる。しかし自分の声が思ったよりも震えてしまう。自身の漏れ出る恐怖を自覚した。指示役は他の連中に声をかけている。
「おい、手加減して気絶させろ」
「あ、そうか。悪い焦ってた」
別の手下が助言することで、状況は一気に悪化する。ユーリは計算外の事態に動揺を隠せない。
背後には無力な弱者の群れ、正面には非日常の暴力。彼女の頭に、あの日がよぎる。
確かな実力の期待と落胆を同時に味わった。そして直感した、自身の王としての役不足。
小学生のとき、私はいわゆるお嬢様だった。父に驕ることがないようにと、厳しく言われていたので人格者でもあったと思う。学習面でも優秀な成績だった。
王の血を引く者として、人格も優れていなければというのが、王と拝謁したときの感想だった。幼いながらに胸に芽生えた熱い感情、高揚だった。
だからこそ、集団の排斥対象となりやすかったと思う。私は次第に周囲から疎まれ、虐げられ始めた。王家がどうとか、子どもには関係ない。私は一人だった。ふと疑問が芽生えたのを今でも覚えている。
「王様には頼りになる秘書がついているなら、秘書には誰がついている?」
誰かを助ける人を助ける人は、一体誰なのだろう。その答えが見つけられなかったから、私は私自身を助けるしかなかった。
事態が父に露呈し、父は環境を変えるべく私に隣国への留学を提案した。私は僅かな希望を持って故郷を離れ、それをすぐに手放した。
留学先では在校生は私の何も肯定しなかった。勉強ができてもだめ。仲良くしようとしてもだめだった。今思えば、それだけ排斥意識が強い人々も珍しかったが、当時は絶望したものだ。子供にとっては学校が関わりの全てと言っても過言ではない。故郷を離れた私にとっては尚のことだった。
次第に、同じように排斥された女の子と仲良くなった。いや、私から歩み寄ったことはない。仲間がいないことに耐えられなかったあの子が、私に勝手に希望を見出していただけだ。それでも私は彼女に救われた。
「掃除よろしく!」
頑丈な鉄の扉の向こうから、楽しくて仕方ないという様子の笑い声。子供は残酷だなんて言うが、その言葉が最も子供を人間扱いしていない。間接的な責任を問うならば、私たちはそういう大人たちに世界から締め出されたと言えなくもない。
しばらくして異臭がした。咄嗟に口を手で覆うと同時に、隣で彼女が倒れる。これが毒物ではないことはすぐにわかった。理科実験室が近いことは知っていたし、臭いで概ね物質の特定はできていた。だから彼女が倒れた原因は、過労か持病か、そういったものだと察しがついた。
私は自分だけじゃなく、私を慕ってくれる人さえも守れなかった。その様子からも彼女が死ぬことはないと思ったが、それでもこの時間の傷跡が癒えることは一生ないだろう。
唐突に湧き上がる熱湯のような感情が、懸命に枷をつける理性によって閉じ込められていく。結果として命のエネルギーのようなものがすり減っていく感覚が、胸の内を這い回っていた。
そしてエネルギーが底をついて、その向こう側へ行った時、尋常ではない感覚が背筋を伝った。今でもつぶさに思い出せる、刃物のような冷たさ。
宗教の手前言いづらいが、フィオラに愛されるという言葉は適切なのか?あの瞬間、まさに私はフィオラに愛されたと言えるが、とてもそんな温かい感覚ではなかった。強いて言うなら、捕食されて溶かされるような感覚。
「あ?」
ユーリの体が突如として炎に包まれる。
「よう好き勝手し腐りよったなぁ。物扱いしおってからに」
炎の隙間から覗くは、王に使える臣か。それとも
「ボロ雑巾になる覚悟はできとるんやろうな」




