第二章 十幕
聖法において、既存のあらゆる科学から逸脱した現象を聖事象と呼ぶ。世俗的な定義としては、エネルギー保存則を破ることが用いられるが、必ずしもそうである必要はない。故に魔術として発現した後に研究され、聖事象として登録される事例が稀にある。
それは「創造魔術」と呼ばれている。
とある芸術家が氷の建築物を作った。現実の建築に遅れを取らない精細な意匠。氷の性質故に永続性はないが、堅牢な構造を持っており、これを解析する過程でミリー地方の建物の堅牢性は飛躍的な向上を見せる。しかし後年作られた作品に見られた構造は、なぜ崩壊しないのか不明であり、聖事象として登録された。当人は聖人登録を受ける。
これを受け、氷結による形成の魔術は段階分けが行われた。単に大まかな形を作ることを「造形魔術」、すぐには崩壊しない閉じた空間を作ることを「建築魔術」、意匠まで凝れば「構築魔術」とされ、聖事象「創造魔術」が誕生した。
「すごい!構築魔術だよ」
「初めて見た」
「ここの意匠がすごく繊細で美しい」
「空間の広さはそこまでかな。かなり広い方であるけど」
魔術師たちは目の前で起きる希少な現象を観測している。構築魔術は使い手、発生自体も極めて稀であるのだから無理もない。
魔術による氷結は、空気中の水分子のエネルギーを奪うことで発生する、言わば副反応とも言える。魔術の目的はあくまでエネルギーを生み出す(取り出す)ことであるからだ。つまり圧倒的に、利点が少ない上に困難なのだ。
「でも、ハリーさんは何がしたいんだろ」
何人かは感じていた。目の前の希少な現象に見惚れるだけでなく、決闘であるという状況を思い出している。なぜ戦闘中、しかも追い込まれている状況で、おそらくは損耗も激しい構築魔術を披露したのか。
それはジンも同じだった。まずジンは構築魔術自体を知らない。故に意図が全く読めない上に、自分とはまた異質な反応を見せる周囲の様子に困惑している。
「何をした、そして何がしたい」
思わず呟くジンを見て、ロイは全く同じ感想を抱く。そして何気なくマリアを見た。特に意識していない、もしかしたらこの希代の大天才ならば、理解できるのではないかと、そんな細い糸のような思考が視線を動かした。
「構築魔術。まさか知っている?」
明らかにマリアのその反応は周囲と異なっていた。何もかも置いていかれているジンと、意図を図りかねる観衆。その中でただ一人、全てがわかっていると瞬時に見て取れる。ロイは思わず声をかけた。
「マリアさん、何かわかるの?」
思わずマリアの肩を片手で掴み、ロイは声をかける。ユーリは普段のロイからは想像がつかない様子に動揺する。それはマリアも同じはずだが、今はそれを上回る動揺があるため、それどころではない。
マリアは知っている。最新の知識を取り込み続ける、決して歩みをやめない天才は知っている。発見された、構築魔術の作用を。
シュウ・ハリーも知っている。彼の専攻は魔術の効率向上。魔術師の成長に関する分野である。その最新の研究により、ある事実が立証されつつある。
「これは遊びじゃないぞ」
したり顔のシュウが呟く。周囲のざわめきの中でも、ジンはその言葉を正確に聞き取る。
「建築魔術を発動した者は、その造形物の閉じた空間の内側にいる際、魔術の性能が僅かに向上することがわかっています」
マリアはおずおずと説明を始める。
「建築魔術が使われるのは主に災害現場、救助隊や同行する医師が緊急の空間を作るために使われることが多い。以前からそう言った職業は有事の職務中、魔術効率が普段より高いことがわかっていました」
それは人命救助という特別な状況がフィオラの力をより引き出すと考えられていた。
「元々は精神論の話でしたが、特殊な状況下で潜在能力が発露するというのは事実ですから」
しかし、近年の調査により、人命救助でなくとも魔術による閉じた空間の内側では、一時的に浮遊魔術が可能になるなどの能力向上が確認された。
「ここは、俺の世界」
研究では能力向上の理由として、自ら構成した閉空間の内側にいるという状況が、空間支配能力とも言える魔術の性能を上げているのでは、と考えられている。
「ならば、構築魔術の構造物の内部ではどうなるのかという話が出てきます」
そもそも構築魔術を発動できる条件とは何か。
「わかるか?つまりこの中ではなんだってできる」
それは過去の研究により判明している。
「構築魔術の理論的な仕組みは、建築魔術に加えて、微細な水蒸気の流れも踏まえて氷結を操作し、細かい意匠を設計すること。でもこれは現実的には極めて困難です」
極めて集中すれば理論上可能とはされているが、現実的に条件を満たすことは不可能に近いとされている。しかし実際に構築魔術を発動する事例はあり、調査してもこれらは聖事象でないことがわかっている。ではどうやって構築魔術は発生するのか。
「なんだその光は」
シュウのフィオラが空や海のような青さで、小さく輝き始める。ジンにしか見えないような微かな光だ。
「建築魔術の影響とは別に、フィオラから引き出す力は固定ではなく、時として普段の能力を大幅に上回ることがあります。これはご存知ですよね」
マリアが訊ねると、ロイとユーリは頷く。三人は気づいていないが、周囲にいる数名もその話に耳を傾けている。
「この瞬間に、無意識下で爆発的に深い集中をすることができれば、『極度の集中』という意図的に行うと困難な過程を突破することができる」
さらに無意識下で集中することにより、細部まで凝る必要のある意匠さえ直感的に設計し、当人にとって最も最適な効率を捉えることで、ようやく構築魔術を発動できる。
「何てったってこの世界の創造主だからな」
「つまり、現実的に構築魔術を発動する条件。それはフィオラから引き出す力が大きくなるとき、意図的にはできない深い集中をし、感覚で氷結を操ること」
つまり構築魔術を発動した者は、極めて感覚的に魔術を扱った直後ということになる。これにより魔術師は本来かかる脳への負担を軽減することができる。
「じゃあ構築魔術後であれば、空間の内外を問わず、既に能力が向上した状態ということ?」
「はい。しかもそれだけではない」
さらに無意識化で設計された空間の意匠は、本人の精神的、思想的な世界観に近い形で反映していると考えられ、構築された空間に対する所有意識や支配認識は、自然現象に近い建築魔術よりも強いと考えられている。
したがって、構築魔術後の構築空間内における当魔術師の能力は、別格とも呼べるほど向上するものと考えられている。
「時間はあまりない。腹一杯になるまで食って行けよ」
そう言ってシュウは構える。胸元のフィオラが強く青く光る。その現象を見るのは、この場にいる全ての人間が初めてだった。というのも、フィオラに関する研究はトライア教が厳しく禁じており、これまで述べた能力向上の研究においても、その部分の研究はできておらず、論文に記載することも禁じられている。
美しい光に意識を取られたジンの視界から、シュウが消える。厳密には何とか視界の端に捉えることができているが、その速度に驚きを隠せず脳内で戦慄する。ジンがシュウを補足しきれなかったのは、その初速が予測していたものより圧倒的に速かったからだ。加えて、構えからはありえない方向への移動。ジンはまだ、その魔術の使い手と戦闘したことはない。さらに武術をものにしてるシュウの動きがジンの脳を乱す。
「移動魔術」
そう呟いたのはロイだった。そしてマリアの言葉の意味を実感する。移動魔術は比較的単純な魔術だが、先ほどの疲弊具合から言えば、決して容易なものではない。さらにこの氷の造形物の代償となる熱が見当たらないことも踏まえて困惑している。
「エネルギーはどこに」
「ここだね」
ユーリはそう言うと何回か足踏みした。他の学生より若く、やや小柄な体は、足元の熱をより敏感に感じ取っている。シュウは熱を地面に放出したのだ。地面は熱を帯び、それなりに広い範囲の温度が上がっている。これにより、ただでさえ急拵えで寿命の短い氷の空間は、さらに短い寿命になっているが、もとより追い込まれて長期戦は不可能なシュウにとって、時間は意味のない制約となる。
「ロイくんの使っていた移動魔術とは別格だな」
ジンがシュウを視界におさめながら考える。
シュウが再び移動魔術を使い急速に接近してくる。ジンはこれを迎撃しようと棒を振るが、シュウは杖を地面に突き立てて急速に減速。ギリギリでジンの棒を交わし、ジンの腹部に変則的な攻撃が命中する。辛うじて動作機構部位は外したが、顔が苦悶に曇る。熱攻撃を警戒し、機動力を優先して鎧を外したことが仇となっている。
先ほどまで二人が対等に渡り合っていたのは、シュウが近接戦闘で武術を使っていたからだ。ジンの舞台に上がって戦ったことで、魔術を混ぜ込まれてもジンは対応できた。しかし今は違う。シュウは物理攻撃にまで魔術を使い始めた。これによりジンは、シュウ独自の武術の動きに加えて、移動魔術を前提とした動きなのか、基礎的な物理攻撃なのか、判断を迫られている。
ジンはたまらず棒を分解し、鎖を解き放つ。その瞬間、全身に衝撃が走る。氷でできた棒が全身を殴打していた。構築魔術と同時に展開されたいくつかの氷の棒。これをシュウが動かしたのだ。移動魔術とは本来、物を動かす魔術であり、ロイやシュウのように自分の移動に使う方が稀である。
「同時に攻撃されると弱いんだっけ?」
「記憶力のいいことで」
軽口を返すジンだが状況は厳しい。これはまさしく、彼が不慣れな西方魔術の戦闘である。加えてシュウの戦闘方法は鎖術との相性が悪い。鎖術の封じ方として最も有効なものは、鎖を途中で固定してしまうこと。シュウなら自分を囮にして伸びた鎖を氷の棒で止めることが可能である。したがってジンが選ぶ選択は一つ。
ジンは鎖を操ると、鎖は蛇のように片腕に巻き付いていき、肩を通ってもう片方の腕に巻き付いていく。両手に棒だった箇所を握り、直立の姿勢から重心を落として両手を前に突き出して深呼吸する。ただならぬ気配にシュウは思わず足を止めた。
ジンはゆっくりと半身になり、腕を構える。視線はやや下を向き、虚とも呼べるほどに集中している。シュウは様子を見るためにも移動魔術で死角に移動しつつ、棒を使った遠隔攻撃を行う。しかし操る棒に視線を移して飛ばした直後、視線を戻した先にジンはいない。シュウが本能的に杖を立てると、その上からジンが棒をへし折る勢いで強く蹴り込む。シュウは壁まで吹き飛ばされ、なんとか立ち上がる。想定外の強い衝撃に思わずシュウが呻き声を漏らす。
「おかしい。速すぎる」
シュウの考えでは、東方魔導術の蓄電は運動に対して損失が大きい見立てだった。それは事実である。
見立ての間違いは、鎖術と鎧の動きがそもそも魔導術を前提としていること。鎖術は魔導術ありきの武術。エネルギーを効率よく貯めることも織り込み済みである。さらには鎧は特注品であり、何かしら肉体を動かせば発電するような構造になっている。さらに鎖を接続することで、エネルギーを補充することが可能である。
そして胴の鎧を脱ぎ捨てることで結果的に動作機構が露出。構築魔術による氷に囲まれた閉空間内の外気に触れることで、結果的に動作直後の冷却を両立させている。
「よくわからないが、この中で力を発揮するのはお互い様ってことか」
ジンは冷却できる状況を惜しみなく使うことで、本来は補助的な役割の鎧の動作機構を、より大きく使うことができる。しかしある程度の蓄電を加味しても、エネルギーは単調減少する。この場において戦士両名は実力以上の力を発揮し、短期決戦という共通の目的を得る。
向き合う両雄の間に、しばしの静寂が訪れる。
両者は同時に行動し始めたが、静と動は真逆だった。ジンは静かに、両足を広めに開き重心を深く落とす。ゆっくりと肩を大きく開き、右手を引いて左手を突き出した。
一方でシュウは地下に隠していた熱量を一気に引き上げる。空中に巨大な火球が現れると同時に杖を地面に突き立てる。火球が少しずつ萎んでいき、シュウはうずくまるようにしゃがみ込む。
「最後にいいですか」
「何だい?」
決着を予感する両者が言葉を交わす。
「その技の名前を教えてください」
「ワザ?」
「今から繰り出そうとしている攻撃のことです。最後の技の名前を聞いておきたい」
技に名をつけるという習慣がミリー地方にはない。そもそも今生まれたばかりの武術という文化に、体系化という発想はない。
「悪くない。そうだな朝日弓。そう名付けよう。そっちは?」
「 夕日砲。今考案したので即興ですが」
シュウが微笑むと、ジンも微かに笑う。ずっと置いていかれていた観衆もようやく追いつき、決着を固唾を呑んで見守る。そんな中、ユーリがわずかな異音を捉えた。
「何か」
ユーリが喋ろうとしたとき、シュウが歯を見せる。その時、氷の空間の天井が崩れた。胸元のフィオラから青い光が消え、通常の発光に戻る。これは多少ジンの動揺を誘った。シュウの心は穏やかだった。これを予想していたからだ。
落下する氷塊がまさに両者の間に落ちる時、シュウが棒を地面から離す。その瞬間、加速も無しに最高速度でシュウが飛び出す。杖を突き立てて動きを止め、魔術で力を溜め続けていたのだ。
そのままシュウは氷塊に棒を突き立てる。減速したが、そこで残った火球からエネルギーを余らず引き出す。一気に氷塊が加速し、ジンに向かって飛んでいく。まさに巨大な飛矢の如く。
ジンはこれほど巨大な物体が正面から飛んでくるという現象に遭遇したことがなかった。遭遇したことがなかっただけだ。ジンは全身を捻りながら引き絞った拳を突き出す。
氷の中に拳がめり込み、一瞬で全体に花のような亀裂が咲き、氷塊は音を立てながら崩れ散ってしまう。しかし飛矢の如き青年は、その残骸の中を突っ切ってくる。ただ真っ直ぐにジンに向かって飛んできた。その顔は勝利の確信に満ちている。ジンは全身全霊の攻撃を終えているが、自分はまだ余力がある。隙の生じぬ二段構えである。空中で身を捩りながら、杖を振りかぶる。
そして杖を振り下ろそうとした瞬間、目に入る。突き出した右腕に左手が備えられた姿。下半身の姿勢にも力をためるような素振りはない。これまでの繊細ながらも力強い印象とは違う、まるでその姿は
「魔術師?」
シュウの頭の中に言葉がよぎる。刹那、ジンの鎧を走り回るように稲妻が光る。ジンが左手で何か操作すると、右前腕部の鎧が分離、風を切って飛んでいく。
驚く間も無く、金属製の拳はシュウの顔面に命中する。シュウの腕から力が抜け、杖は明後日の方向に転がっていく。意識が消えたままのシュウがジンに向けて飛んでいくと、ジンは軽くかわして、シュウの後ろ襟を掴み止めた。意識が戻らないシュウが、人形のように地面に横たわる。
「天晴れでしたよ、先輩」
決着を告げる審判の声が、戸惑い黙る観衆だけが残る舞台に虚しく響いた。




