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翌朝島崎が目覚めると酷い頭痛に襲われた。二日酔いかと思ったが風邪を引いたらしい。昨日風呂から上がった時にちゃんと体を拭かなかったのが原因だろう。島崎はなんとか起き上がると箪笥から救急箱を取り出し、風邪薬を二錠水なしで飲んだ。食欲が無かったので身支度を済ませるとすぐに家を出た。
いつも見ている風景が恨めしい。今すぐ横になりたい。時々吹く風がとてつもなく冷たく感じる。それでも島崎は進み続けた。立ち止まってしまえば動けなくなる。動き続けるしかないのだ。当然仕事を休むという考えが何度も頭をよぎったが、相棒の生嶋も恐らく自分と同じようなことを考えているだろう。何より島崎自身捜査をしなければならないという気持ちが強かった。
自分の机の前まで無事にたどり着いた島崎だったが、椅子には座らずに捜査資料に目を通していた。すると本田が近づいてきて。「おはよう父さん。座ったらどうだい」本田としては島崎が立ったままなのが気になったのだろう。今はそっとしておいてほしい。そんなことを言うわけにはいかない島崎はきちんと説明した。予想通り本田は島崎の体を心配し休むように言ったが、島崎は大丈夫だと半ば強引に本田を退けた。このやり取りが一番辛い。内心島崎はそう思ったが、本田の課長としての立場を考えれば休むよう勧めるのもあたりまえであり、また本田個人としても心配してくれていることを理解していたので、そういうことを考えてはいけないと自分を戒めたりしていると。「おはようございます」か細い声で生嶋が島崎に挨拶をした。その目は妙に見開かれている。「おはよう二日酔い」自分を鼓舞するためにも島崎は敢えて冗談混じりに挨拶を返す。「おはようございます」生嶋はもう一度か細い挨拶をすると椅子に座った。今日はお互い頑張ろう。言葉にはしなかったが島崎は生嶋に念を送った。
朝一の捜査会議が始まりまた生嶋が聞き込みで得た情報を話した。二日酔いだと感じさせないようにかなり気を張っている。報告が終わると生嶋は椅子に引き寄せられるかのように座り、斜め上を向いて深い溜息をついた。妙に見開かれた目と相まって魂を抜かれているかのようだ。他の捜査官達も聞き込みの情報を伝えていったが、結局生嶋が伝えた内容の、豊田夫人にはアリバイがないというのが唯一の有益な情報と言えた。本田は豊田夫人を最有力の容疑者としてマークすることを決め全捜査官に気合を入れさせた。捜査の方針が決まったので会議室内はここ数日で最も活気がある。活気がないのは島崎と生嶋だけだ。しかし活気のない二人が命じられたのは、唯一の目撃者である小林琳人への再聴取だった。どうやら本田は島崎が小林琳人を泣かしたことを知らないらしい。生嶋もその件は報告しておらず、一緒にいた母親も後に苦情や抗議を申し立てたりしなかったようだ。島崎としては助かったような最悪の展開のような。それは生嶋にとっても同じらしく、下を向いて目を見開いている。寧ろ生嶋が一番の被害者だろう。二人は重い腰をなんとか持ち上げると、頭痛から島崎は目を細め、生嶋は目を見開いて会議室から出ていった。
小林琳人の家には歩いて向かった。二人の体調を考慮したからではなく、警察署から10分程の距離だからだ。島崎としては動いていた方が次の動作が楽なので良かったが、生嶋は氷の上を歩いているかのように慎重な足取りで進んでいる。「今日は全部俺が聴取するぞ」島崎は生嶋の状態を見てそう判断した。「大丈夫です。ちょっとすいません」そう言うと生嶋は側溝に嘔吐した。島崎は生嶋に事情聴取をさせるのは心配だったが、恐らく嫌われている自分がやるよりはマシかもしれないとも思っていた。とにかく小林宅に着くまでもう少し時間がある。その間に生嶋の体調を少しでも良くしようと思い、近くの自販機でスポーツドリンクを買って生嶋に手渡した。「ありがとうございます」か細いが重みのある言い方だった。また泣き出すのではないかと思ったがそんなことはなかった。その後生嶋はもう一度嘔吐した。
小林宅は周りの家と比べても大きく豪華だ。狭い土地に建てた三階建てではなく、庭付きの二階建てで大きくて高級そうな車もある。インターホンを鳴らすとすぐに。「はい、どちら様ですか」琳人の声だ。在宅なのはありがたい。「警察ですが、お父さんかお母さんはいるかな?」生嶋が説明する。二度の嘔吐で少しはマシになったらしい。声に少し張りがある。少しすると玄関の扉が開いて母親が出てきた。明らかに警戒した顔をしている。「何かご用でしょうか」冷たい言い方だったが怯むことなく生嶋は。「朝早くにすみません。琳人くんにもう一度お話を伺いたくて参りました」それを聞いた母親はかなり嫌そうな顔をしながら一度扉を閉めた。しばらくするとまた扉が開いて母親が。「いいと言ってますのでどうぞ」今時の親だと島崎は思った。
琳人はリビングのソファーに座っていた。島崎の顔を見ると少し顔が強ばった。やはり嫌われたようだ。別に構わないが。島崎は気にする素振りを見せずに向かいのソファーに座った。生嶋は座るときに少し顔がほころんだ。「この前はごめんね。せっかく来てもらったのに」生嶋が島崎の代わりに謝る。琳人も首を横に振って気にしていないことを伝える。島崎としては生嶋が謝ったことがかなり不満だったが、聴取がスムーズに進むのならばと無理に納得していた。決して自分は謝らないとも思いながら。「じゃあ早速なんだけど、琳人くんは前にぞわぞわさんがやったって言ってたね。ぞわぞわさんについてもう少し詳しく教えてくれないかな」生嶋の質問に島崎は頭痛が酷くなる。しかし今回は黙っていないといけない。今回も下手なことを言えば次はない可能性が高い。ありがたいことに恐らく今回で琳人への事情聴取は終了だ。事情聴取さえ終わってしまえばこんな坊主がどうなろうと知ったことではない。そう考えて微笑みを琳人の隣に座る母親に向けた。返ってきたのは嫌悪の眼差しだった。「ぞわぞわさんのことはあんまり知らない」知らない。この場合わからないが正しいと思うが、しかし島崎はもう少し様子を見ることにする。「顔はフードを被ってて見えなかったんだよね。背の高さとか、足を引きずってたりとかどんな特徴でもいいんだよ」優しい口調の生嶋に対しても琳人は俯いて目を合わせない。刑事に事情聴取をされて緊張しない人の方が少ない。事情聴取を許可したのも、下手に断ればあらぬ疑いをかけられるとでも思ったからだろうか。島崎は酷い頭痛がする頭で考えていた。「身長は思い出せないけど、女の人だった」「どうしてわかったんだい。顔は見えなかったんだろう」女の人という琳人の証言に思わず島崎が口を挟んだ。「なんとなくそんな感じがした。ぞわぞわさんは女の人って噂だし」確かに顔が見えなくても男か女かを判別することは難しくない場合も多い。しかし噂とは何だ。「噂ってなにかな?誰がそんな話を?」生嶋も島崎と同じ疑問を抱いたようだ。「大人が話してた」要領を得ない話し方だ。1聞いて1しか返ってこない。子供だから仕方ないのだろうか。琳人の発言に苛立っている島崎。ふと横に座る母親を見ると、眉間に皺を寄せ、両手を強く握りしめている。恐怖か苛立ちか、何か嫌な感情を抱いているように島崎には思えてならない。「すみません。そろそろこの子はサッカークラブの時間なので」生嶋が更に質問しようとしたときに母親はそう言った。「すみませんもう少しだけお願いできませんか」「急がないとこの子が先生に叱られるんです」生嶋のお願いを頑なに拒否する母親に島崎は。「お母さんはぞわぞわさんのことを何か知りませんか」母親は驚いた表情を見せた。というより焦っているように見える。「知りませんよ。そんなの」感情を抑えた声だったが明らかに様子が変だ。島崎は母親に鋭い視線を向けながら。「そうですか。本日はありがとうございました。またお邪魔するかもしれませんがよろしくお願いします」そう言うと立ち上がり玄関に向かった。玄関まで見送りに来ていた母親に二人はもう一度頭を下げて家を出る。すると島崎が。「あ、そうだ。もし何か思い出したことがあったら、お手数ですがこちらに連絡をください」そう言って自分の名刺を差し出した。それに習い生嶋も名刺を渡した。
「ぞわぞわさんのこと気にしてましたねぇ」いつもの口調に戻った生嶋。「無視はできんだろう。あの母親の様子を見たら」相変わらず頭痛が酷い島崎。「ボロを出しますかねぇ」「出さなきゃ。またプレッシャーかけるだけだ」そういうことは得意分野だ。しかし今は様子を見る。攻めすぎると相手は警戒してボロを出さない。今は引く。その間に風邪を治す。島崎は眉間に皺を寄せたままそう思った。




