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ぞわぞわさん  作者: 大河 亮
第四章
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1

 午前0時を少し過ぎた頃、島崎は夜道を歩いていた。さっき飲んだ酒がまだ残っている。気持ち悪いわけでも、気分がいいわけでもないが、なんとなく頭がぼーっとしている。家に帰ってから23時頃に眠りについたのも束の間、松井からの連絡で叩き起こされ現場に呼び出されていたのだ。四件目の殺しが起きたらしい。いつものように現場はブルーシートで囲われており、その前に本田が立っていた。本田は島崎に気付くと慌てた様子で。「父さん、どうしてここに。おい!誰だここに島崎さんを呼んだ奴は!」と怒声を上げた。周りの刑事たちは皆一様に首を横に振っている。するとブルーシートの中から松井が出てきて。「私ですよ。なにか問題がありますか?」「なにか問題がってあんたねぇ」二人が言い争う間に島崎がブルーシートの中に入ろうとすると。「待て父さん。やめといたほうがいい。今は」本田が島崎の前に立ちはだかったが島崎は止まらなかった。本田も力ずくで止めようとはしなかった。


「おい、起きろよ。こんなところで寝てたら風邪ひくぞ。それとももう二日酔いか。なぁ新」島崎は横たわっている生嶋に話し掛けた。うつ伏せで顔だけ左を向き目は妙に見開かれている。まるで二日酔いになった時の生嶋のようだ。生嶋は返事をしない。目を見開いているだけじゃない。頭から大量に血が出ている。もう起きることはないのだ。新が死んだ。島崎はその場に膝をついた。あまりにも衝撃的すぎる。さっきまで一緒に酒を飲んでいた新が、アキラにデートを申し込んでた新が、最近は少し生意気だった新が、一年間連れ添った新がもういない。また明日。そう思っていたのにその明日はもう来ない。島崎は生嶋に言ったことを思い出す。『お前、刑事向いてねぇよ』そんなことはない。お前は立派な刑事だ。いつもは恥ずかしくて、悔しくて言えなかったが、捜査能力よりも大事なものを持っていた。なのになんであんなことを言ってしまったんだ。一言謝ればよかったのに、自分を正当化するばかりで何もしなかった。島崎は立ち上がることができなかった。


「父さん。今日はもう帰ろう。今は辛いだけだ」そう言って本田は島崎の肩に手を置いた。その声は届いたようで島崎はゆっくりと立ち上がる。そして生嶋の遺体の傍にいた検視官に近付いて。「すみません、今わかる情報を教えてください」そう言った。本田と検視官は驚いて顔を見合わせる。「父さん。今の状態じゃ私情が絡んで」「大丈夫ですから教えてください」本田の言葉を遮って島崎は催促した。検視官は迷っていたが意を決したように話し始めた。被害者は生嶋 新。24歳。職業は警察官で階級は巡査。死亡推定時刻は昨日の21時から23時までの間。死因は頭部を鈍器で殴打されたことによる脳挫傷と推測される。左膝にも生前に受けた新しい打撲痕があることから、まず左膝を鈍器で殴打し動けないようにしてから頭部を殴打したものと思われる。凶器は今のところ発見されていないが、打撲痕の形状から金槌のような物と判断されている。生嶋の衣服からは二つの指紋が発見されているので、署に戻り照合する必要がある。現場から怪しい足跡は見つかっておらず、そこからの犯人の特定は難しいだろう。生嶋は発見当時、右手に自らの名刺を握った状態で、死の間際に自らを示すため握ったのだろうとのこと。以上が現状わかっている情報である。


「最期の時まで捜査しやすいようにと考えるなんて、あいつらしいな」感慨深そうに本田はそう言った。だが島崎はそんな気分にはなれなかった。本田の言ったように辛いだけでなにも閃かない。生嶋を見てみると向こうもこちらを見ている。恨めしそうな目に思わず島崎は目を逸らした。自分のことを恨んでいるように思えてならなかった。そんな時松井が島崎に近付いてきて。「島崎くん。今署の方に目撃者の子供が来ています。事情聴取してもらえませんか」島崎にそう言った。本田は松井を睨んでいるが松井は全く気にする様子はない。だが島崎が感情のこもっていない目を向けると、幽霊でも見たように少したじろいでいた。島崎は怒りや憎悪は抱いていない。ただ単に音がした方を振り返っただけだ。少ししてから松井の言葉を理解すると。「わかりました」そう言ってブルーシートの囲いから出ていった。


 警察署の応接室に本田と来た島崎。中に入ってみると母親と泣いている男の子の二人がいた。「お待たせしました。本田と申します。こちらは島崎です」本田が二人に挨拶をしたので島崎も軽く会釈をする。島崎と本田はソファーに座ると島崎が聴取を始めた。「早速だけど事件の詳しい状況を教えてくれるかな」泣きながらも男の子は頷く。男の子の名前は薄井(うすい)陸(りく)。8歳。これまでの目撃者三人と同じ小学校に通う同級生だ。陸は嗚咽を漏らしながらも。「ぞわぞわさんがやった。トンカチで膝を殴ってから頭を殴ってた」「それは何時ぐらいだ」「10時過ぎぐらい」「なんでそんな時間にあんな所に?子供は出歩いちゃいけない時間だろう」島崎がそう言うと陸は黙ってしまった。「友達と遊んでいて遅くなったんです。すみませんでした」代わりに母親が少し鬱陶しそうに答える。「他にないか?」島崎は気にせずに質問を続ける。だが陸は泣いていて答えられない。本来人が殺される現場を目撃したらこれぐらいの反応が妥当かもしれない。だが今の島崎にはそれに耐える余裕はなかった。「頼む。なにか答えてくれ。ぞわぞわさんがやったなんてそんなことはないんだろう」「父さん待て」本田が島崎を止めに入る。それ程に島崎の顔は鬼気迫るものだった。泣いている陸を抱きしめている母親さえも恐怖している。これ以上の事情聴取は無理だと判断した本田は薄井親子を家に帰した。


 薄井親子が帰った後も島崎はソファーに座ったままだった。その視線は宙を彷徨い抜け殻のようになっている。「父さん。松井警視には俺から言っておくから今日から休むといい」島崎は感情のこもっていない目で本田を見る。「大丈夫ですよ」「悪いが命令させてもらう。数日休め。父さんが休んでも文句を言うやつはいないよ」今の島崎を見ればそういう判断に至るのは当然とも言える。なにより本田にとっての優しさだろう。島崎としては休んでなどいられないという気持ちがあったが、なにか特別抵抗することもなく、気が付けば本田の命令を受け入れていた。


 家に帰った島崎は鍵を閉めず、手を洗わず、着替えをせず布団に潜り込んだ。何も考えたくない。そう思い布団を頭まで被り目をぎゅっと瞑って寝ようとしたが一向に眠くならない。眠れない自分に腹が立つ程目が冴えている。意識のある間浮かんでくるのは生嶋のことだ。最近は成長を感じていた。なのに昨日は酷いことを言ってしまった。言ってしまった言葉はもう飲み込めない。だが謝ることはできる。一言謝っていれば生嶋なら許してくれただろう。だがそのたった一言が言えなかった。いつも自分は遅い。今回だって気付くのが遅かった。また取り返しのつかないことになってしまった。島崎は布団を乱暴に払いのけると台所に行き冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に飲み干した。味を感じない。もう一つ缶ビールを取り出してまた一気に飲み干す。また一つ、また一つと計四缶のビールを一気に飲んだ島崎は風呂場に行き服を着たままシャワーを浴びた。頭がぼーっとするなんて生易しいものじゃない。確実に意識が遠のいている。このまま死ぬのではないか。そんなことさえ思った。だがしばらくすると意識がしっかりとしてきた。そして感じたのは吐き気だ。トイレに行く余裕もなく島崎は浴槽に向かって嘔吐した。何度も吐いた。出てくるものが無くなっても吐こうとした。悪いものは全て吐き出したかった。だが島崎の中から本当に悪いものは出ていかなかった。島崎はシャワーにうたれながら大粒の涙を流すのだった。

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