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ぞわぞわさん  作者: 大河 亮
第二章
14/37

6

 島崎は電車に乗っていた。普段ならとっくに仕事をしている時間だが、今日はわけあって午前中は休みにしてもらったのだ。課長の本田には昨日休む許可をもらった。連続殺人の捜査中、しかも明日は元々休みという日に申し訳ない気持ちもあったが、本田は年上で元上司の島崎には基本的に甘い。濫用する気はないが、ここぞというときには躊躇なく甘えるのが島崎流だ。


 電車を降りて少し歩くと花屋があったので、店員にちょうど良さそうなものを見繕ってもらう。島崎は花については全くわからない。またそこからしばらく歩くと見えてきたのは墓地だった。広い墓地の一つが島崎家の墓である。迷わず島崎は歩を進めると、見知った顔が島崎家の墓の前にいた。「江美子」江美子は少し驚いた表情を見せる。こんな時になんだが、少しはいつもの仕返しができたと思い内心喜ぶ島崎。「秀ちゃん。今年は来てくれたんだ」今日は加奈の命日だった。いつもは命日だからといって墓参りには来ない。だが昨日、蔵和田稔夫と話したことで今日は墓参りをしようと思ったのだ。「お前は毎年来てるのか」「うん。どうしても加奈に会いたくてね」島崎は胸が締め付けられる思いだった。久しぶりに来た加奈の墓参りに、江美子は毎年来ているということと、いつもは明るい江美子が少し寂しい顔を見せたからだ。最近は江美子のこんな顔を見てばかりだ。「そうか。俺ももっと会いに来るか」不気味な明るさを醸し出して島崎が言った。だがそれを聞いた江美子は笑っている。島崎にとってはそれがなによりも嬉しい。


 その後は二人で墓を掃除し、花を手向け、線香をあげて拝んだ。二人揃ってというのはいつぶりだろうかと島崎は考えていた。ふと島崎は墓石を見る。改めて見ると立派な墓だ。島崎家代々ともなるとそれなりの人数が入っているのだろう。祖父母も両親も入っている。皆死んでからも愛する人と同じ場所にいるのだ。素敵なことなのかもしれない。だが島崎には理解ができなかった。死んでしまえばどこにいようと関係ない。家族に大切に供養されようが、山に棄てられようが死体は何もわからない。死体の在り処を大切に思うのはいつだって生者なのだと。その思いは若い頃から変わらない。変わらないが加奈が死んだとき、島崎は自分のために加奈の骨をこの墓に入れた。自分が死んだとき加奈と再会できるようにと願ってだ。矛盾だった。それでもそう願わずにはいられなかった。それに江美子もいずれはこの墓に入ると思っていたからだ。きっと江美子も自分と同じ気持ちだと信じていた。だが現実は全く違った。加奈の納骨を済ませてから一週間後に、江美子は離婚したいと言ってきた。多分断ることもできただろう。そう感じる程に江美子は優しい口調だった。だが加奈が死んで、全く家族を省みていなかったことに気づいた島崎にはできなかった。


 しばらく墓の前にいて、加奈の話や島崎の両親の話をしているうちに時刻は11時になっていた。「お昼一緒に食べる?」江美子が提案する。「いや、昼からは仕事だ」今から駅に向かい警察署に直行しないと昼に間に合わない。江美子の提案は嬉しかったが、これ以上本田の好意に甘えるわけにはいかなかった。江美子は黙って頷く。


 江美子とは降りる駅が同じなので一緒に歩いていると、また見知った顔がいた。だが今度の偶然は嬉しくない。「蔵和田さん」ゆっくりと島崎の方を向く蔵和田稔夫。その目はやはり相手を威圧する。「あぁ島崎さん。あなたもお墓参りですか」そう言いながら稔夫は隣の江美子を見ている。「そうなんです。奇遇ですね。こちらは奥田江美子です」「元妻の奥田江美子です」男の意地として元妻という情報は控えたのだが、呆気なく崩れ去る。江美子は笑顔だ。「そうですか。ということは亡くなった娘さんのお母さん」昨日肯定しなかった内容を前提として話してくる稔夫に、島崎は内心腹を立てたが否定はしなかった。島崎が黙っていると。「今日は少し暑いですね」江美子が稔夫に話を振る。そこからは江美子が話し続けた。聞きたいことも、言いたいこともなかった島崎としてはありがたかった。稔夫の表情は変わらない。威圧的な目を向け、冷たく低い声で返事をする。自分に対しての態度ならなんとも思わないが、江美子に対しての態度なので腹が立つ。妻と娘が死んだことで人生が劇的に変わってしまったのだとしても、江美子には関係のないことだ。島崎が少し眉をひそめていると。「すみません。そろそろ失礼します」そう言って江美子がお辞儀をする。稔夫もゆっくりと頭を下げていた。島崎もその輪に入り頭を下げ、なにも言わずに歩き出した。そろそろ本当に仕事に間に合わない。だがそうはいかなかった。「娘さんも辛かったんでしょうか」独り言のように稔夫が呟く。だがその一言は島崎にはっきりと聞こえた。「だったら何だと言うんですか」思わず島崎はそう口にしていた。だが口から出た言葉はもう戻らない。一触即発という雰囲気ではない。もう始まっているのだ。突然のことに江美子も驚いていたが。「すみません。確かに私には関係のない話ですね」そう言って稔夫はまた墓の方を向く。口論する気はない。そういうつもりだというのはわかっていた。黙ってまた駅に歩いていけばいい。そうすれば何も起こらない。わかっているが島崎の怒りは収まらなかった。「あんた」「秀ちゃん。仕事遅れるよ」島崎が口を開いたところで江美子が止めに入る。江美子としては島崎が我慢すると信じて限界まで黙っていたのだろう。力強い眼差しで江美子に見つめられ島崎は黙り込んだ。結局なにも言わずに島崎はその場を後にした。


「蔵和田さんとはどういう知り合い?」電車の中は時間的に空いていたので、江美子が小さい声で聞いてきた。「事情聴取した人だよ」そう言えば江美子も追及はしないだろうと思った。「秀ちゃんらしくないね」確かにいつもの島崎らしくなかった。相手がどんなことを言ってこようが冷たく返してきた島崎だったが、今回は我慢ならなかった。そう考えたとき島崎は気づいた。加奈のことを言われたからだ。父親として加奈のことを詮索されるのが許せなかった。それに気づくと同時に酷い自己嫌悪に陥った。自分は加奈に何もしてやらなかったのに、今更父親面して腹を立てるのかと。自分が滑稽にさえ思える。あの頃の記憶が蘇る。どうして生きているうちに助けてやれなかったのか。どうしてもっと大切にしてやれなかったのか。この後悔は無駄だ。自分に後悔する資格はない。それでも浮かんでくる感情を振り払うことができないでいると江美子が。「でも、私は嬉しかったよ。加奈のことで怒ってくれて」嬉しかった。そんなことはないだろう。お前だって何を今更と思っているだろう。父親としての務めを何一つ果たさなかったくせにと。島崎はそう言ってもらえた方がありがたいと思った。「そうか。それなら良かった」思っていない言葉で取り繕う。少しでも江美子が悲しまないような言葉を選んだつもりだった。だが江美子は少し悲しそうに視線を落として。「うん」一言だけの返事だ。ただの一言。なんの変哲もない了解を示す一言。何を間違えた。何故こうなる。江美子にこんな顔させたくない。ただそれだけなのに。島崎は溜息が漏れそうだったがぐっと堪える。車内はまた走行音だけが響いていた。


 電車を降りても二人は黙ったままだった。駅さえ出ればあとはそれぞれの道を行くことになる。それまでに何か話さないとという気持ちと、早くこの空気から逃れたい気持ちが島崎の中でせめぎ合っていた。「秀ちゃん。明日はお仕事お休み?」特に変な質問ではないが今の島崎を驚かせるには十分だった。「なんでだよ」妙なトーンで聞く島崎。江美子は気にする様子はない。「明日もしお休みなら、お母さんの老人ホームに着替え持っていってくれない?明日は私用事があるから行けないの」偶然にも明日は休みだ。もちろん急な呼び出しがなければだが、江美子の母親に着替えを持っていくことはできる。だが島崎は江美子の母親が少し苦手。いや、世界一苦手だ。いつ会っても何かしら怒られる。嫁姑問題は聞いたことがあるが、この関係性はなんと呼べばいいのかといつも考えさせられる。寧ろ江美子と島崎の母親とは仲が良かった。「あ、あー今日持って行けないのか。今日持っていけば明日は行かなくてもいいだろう」思わず拒絶してしまう島崎に江美子は。「ダメ?」目を潤ませ上目遣いで聞いてくる。絶対にからかわれている。江美子のこの行動で島崎は全てを悟った。だが島崎は江美子の上目遣いに極端に弱い。さっきまでの悲しそうな江美子の顔も頭に浮かんでしまい。「わかった」そう言ってしまった。「ありがとう。じゃあ今日の夜着替え持っていくね。一緒に晩御飯食べよう」そうか。江美子のお願いを聞き入れることによって、夕食を共にすることができるのか。そう考えるとそんなに悪いことではないようにも思えてくる。きっとそうだ。江美子も笑顔を見せているし間違いない。島崎はそう思いながら江美子と別れ、職場へと向かうのだった。

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