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ぞわぞわさん  作者: 大河 亮
第二章
13/37

5

 静かな家だった。先日行った豊田龍彦の家の雰囲気に似ている。あの家には住人が減って間もない家特有の新鮮な悲しみがあった。この家とは違うはずだが島崎はそう感じていた。家の中は完璧とは言わないまでも綺麗に掃除されている。自炊はしないようで、ゴミ箱にはコンビニ弁当やカップラーメンの容器が大量に捨ててあった。奥の居間まで通された二人の目に留まったのは仏壇だった。蔵和田想和子の仏壇があるのは想像していたが、想和子の遺影の隣にもう一つ別の人の写真があったからだ。「妻も娘が死んでから一年後に」二人が写真を凝視していることに気づいたようで男はそう説明した。「お線香をあげさせていただいてもよろしいですか」島崎がそんなお願いをするとは思っていなかったようで、生嶋は少し驚いた表情を見せている。男は何も言わなかったが、小さく頷くぐらいのお辞儀をしたので島崎と生嶋は仏壇の前に正座した。二人の遺影を見てみるとどちらも死ぬような歳ではない。少し息が詰まる思いだ。島崎は改めて線香をあげる。子供の頃はこの匂いを嗅ぐと無駄にはしゃいだりしたが、今では嗅ぎなれてしまい何も感じない。島崎は静かに手を合わせ目を瞑った。


 目を開けて体の向きを変えると男と目が合った。威圧感のある目の奥にはなにがあるのだろうか。怒り、憎しみ、悲しみ、あるいは殺意。そういったものだろうか。少し見つめあった二人だったが、お互いにお辞儀をした後島崎が。「ありがとうございました。改めまして私は島崎と申します」そう言って名刺を差し出した。事件の重要人物であろう人に事情聴取する際、島崎はいつも帰りに名刺を渡す。だが今回は先に渡してきちんと名乗るべきだと思った。それに相手の名前も知りたいと思ったからだ。生嶋も名刺を差し出す。「そうですか。私は蔵和田稔夫(としお)と申します。生憎名刺は持っていないので渡せませんが」いえいえと生嶋が手を振っている。「それでは蔵和田さん。早速なのですが想和子さんはどんな方でしたか」生嶋が質問する。稔夫は生嶋の目を見ながら。「娘は昔から気が弱くて人見知りでした。小さい頃はいつも母親の後についていって、近所の人に声を掛けられても母親の後ろに隠れるような子でした」倉井の言っていた想和子の人物像に通じるところがある。「幼稚園に入るとそれは毎日朝から行きたくない、行きたくないと大声で泣いて。妻は毎日苦労していましたよ」生嶋は微笑みながら聞いている。確かに第三者としての立場からすると少し微笑ましい話だが、当事者にとっては決して面白くないだろう。「それでも小学校に上がる頃にはそんなこともなくなっていました。学校での娘の様子は知りませんが、家では笑顔を見せていましたし、それなりに楽しんでいるんだろうと思っていました」どうやら稔夫はあまり子育てに口出しをしなかったようだ。島崎もそうだった。加奈の世話はずっと江美子に任せきりで、参観日にも行ったことがなく、加奈を遊びに連れていったこともほとんどなかった。それが島崎にとって普通だった。男は台所に立たない。男は仕事をして家に金を入れればいい。子育ては女の仕事。そんな世の中でないことはわかっていたしそんなつもりはなかった。だが実際はそうなっていた。刑事の仕事は忙しい。昼夜を問わず、あるいは休日であろうと事件が起きれば現場に行かねばならない。そうなれば休日でも完全に休むことはできない。そんな中で娘を遊びに連れていくことなどできっこない。そう思っていた。しかし加奈が死んで島崎は気づいた。本気でそう思っていたわけじゃない。そう信じ込むことで自分を騙していたのだと。自分は加奈から目を背けただけだったのだと。


「大丈夫ですか」生嶋が島崎に声を掛ける。島崎は少し上の空になっていたことに気づいた。「すみません。続きをお願いします」稔夫に頭を下げている島崎を見て、生嶋は安心した表情を見せている。「娘は高校生になってからよくフード付きの服を着ていました。そのフードを自分の部屋でよく被っていたようで、私も何度か見かけました」またフードの話。島崎はこの話が嫌いだ。「何故フードを被っていたんでしょう」島崎の思いは届かず生嶋が質問する。「詳しいことはわかりませんが、これが落ち着くと言っていました」そう言って稔夫は視線を斜め下に向けた。思わず島崎は眉間に皺を寄せる。事件解決に関係のないどうでもいい話だ。「あとは刑事さんたちもご存知でしょう。高校二年生になって娘は強姦され2ヶ月後に自殺。以上です」深く息を吐く稔夫。散々嫌な話をさせられたといったところだろう。当然の反応だ。しかし最後が少し気になる。それまでは詳細に想和子の過去を語っていた稔夫だったが、最後の話はあまりにも呆気ない幕引きに感じられた。まるで締まりの悪いB級映画だ。島崎はそう感じたので。「ありがとうございます。お辛いかもしれませんが、娘さんは強姦事件の後どのような様子でしたか」島崎の言葉にも稔夫は表情を変えなかったが、嫌な雰囲気が漂い始めたのを島崎は感じ取った。「もちろん落ち込んでいましたよ」しっかりと島崎の目を見て言う稔夫。「すみません。もう少し詳細を教えてもらえませんか。娘さんが自殺されるまでの2ヶ月間について」「娘が連続殺人に関係しているかもしれないからですか」やはり知っていた。世捨て人のような雰囲気を出している稔夫だが、娘のこととなれば話は別だろう。「娘は13年前に死んだんです。死んだ人間は人を殺せません」「その通りです。私も同じ意見です。ですが娘さんと思われる人物による殺人だという目撃証言が出ています。無視するわけにはいかないんです。誰かが娘さんのフリをして殺人を犯しているということだ」少しの沈黙が流れる。「私が犯人。そういうことですか」それを聞いても島崎は何も答えずに黙って稔夫の目を見ている。生嶋は島崎に止まるよう目で訴えているが、島崎は全く気にしない。「なら逮捕すればいい。ここでの生活も刑務所での生活も大して変わらないでしょう」全く動揺を見せない稔夫。その目は決して罪に問われることを恐れていなかった。彼は犯人じゃない。島崎はそう思った。「いえいえ。すみません失礼な言い方をしてしまいました。決してあなたを疑っていたわけではないんです」島崎がそう言っても稔夫は特に反応を示さなかった。罪に問われることを恐れていないのではなく、自分の生死に興味がない。そんな印象を受けた。「想和子さんの名を騙って殺人を犯すような人に心当たりはありませんか」沈黙に耐えかねた生嶋が質問した。「どうでしょう。私は娘のことはよくわかりませんから」稔夫の言葉に生嶋は苦笑いで対応する。「小松直子という人物をご存知ですか」島崎の質問に稔夫は一瞬だが眉をひそめた。「知りませんね」「娘さんがいじめられていたことについてお調べにならなかったんですか」「調べてもどうしようもない。娘は死んでるんですから」嘘だ。こいつは色々と調べたはずだ。それで小松直子にいきついた。だが何か制裁を加えたということはなかったのだろう。島崎は確信に近いものを感じていた。だがそれ以上追及はしなかった。


「ありがとうございました。また何かありましたらお邪魔します」そう言って島崎は立ち上がり玄関に向かおうとした。「あなたも同じですか」稔夫が突然島崎に問う。島崎はしかめっ面で振り向き。「なにがでしょう」なんについて聞かれているかはわかっていた。「あなたも娘さんを亡くしているんですよね」島崎は黙っている。敢えて自殺という言葉を使わなかったのかと思うと腹立たしかった。「あなたの雰囲気と質問してくる態度でわかりますよ」稔夫の目は島崎の目をまっすぐに捉えている。まるで考えていることを目から読み取られているようだ。島崎は目を逸らしたくなったが、引き下がるわけにはいかない。そう思って口を開こうとしたとき。「すみません。そういった質問にはお答えできません」生嶋が間に入って話を終わらせにかかる。島崎は思わず生嶋を睨んだが気にする様子はない。「そうですか。失礼いたしました」稔夫もすんなりと引き下がったので話はここで終了。島崎としては心底不本意だったが、結果として生嶋に救われた形となった。その後生嶋は別れの挨拶をしたが、島崎はお辞儀ひとつせずに出ていった。


 警察署に戻る最中も二人は全く言葉を交わさなかった。二人にとってそれは珍しいことではない。だが生嶋は気を使って口を噤んでいる。それに気づいた島崎はまた腹立たしい気持ちにさせられたのだった。

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