Part.8:高性能アンドロイドVS小学生
小学生三人組による、純粋で、しかしあまりに不躾な呼びかけが静寂を破ってから、しばしの間。タケルは玄関前で、胃が痛くなるような緊張感と共にこの後どうするべきかを悩んでいた。
普通の家であれば、無視されるか、あるいは警察に通報されてもおかしくない状況だ。だが、その思考がまとまるよりも早く、事態は向こうから動いた。
カチャリ、という無機質な解錠音と共に、玄関のドアが静かに開かれたのだ。
現れたのは、先日と同じ、純白のナース服を纏ったあのアンドロイドだった。真昼の容赦ない太陽光が、彼女の姿を残酷なまでに鮮明に照らし出す。顔の右半分は、作り物めいた美しさを持つ人工皮膚。左半分は、その美を自ら否定するかのように露出した冷たい機械構造。 その「ナースのオバケ」の姿は、闇に紛れていた前回とは異なり、日常の風景の中にいてなお、強烈な異物感としてそこに存在していた。
彼女の表情は、通常であれば論理的な演算結果以外では微動だにしないはずだ。しかし、イリスは目の前に並ぶ子どもたちの姿を認めた瞬間、わずかにーーー本当にわずかに驚いたような、システムの予測を超えた反応を見せた。それは、彼女の機体特性を熟知する者にしかわからない、右半分の美しい唇が数ミリ開き、左目の奥にある青いLEDが一瞬不規則に明滅するという、極めて小さな動揺だった。
イリスの内部ログより抜粋ーーー
予測:前回の遭遇データに基づき、対象は『最大速度で逃走』または『大人による警察への通報』を選択すると予測。
現実:対象は『非論理的な大声での呼びかけ』および『自主的な再度の接触』を選択。
予測適合率:0%。
だが、彼女は高性能AIの処理能力で、予測を裏切られたことに対するシステム的な驚きをコンマ数秒で抑え込んだ。彼女は、前回と変わらぬ冷静なシステム音声で口を開いた。
「貴方たちですか。前回、私有地侵入により退去を要求したノイズ発生源の子供たち。貴方たちの行動は、世帯主の安寧維持に再度抵触しています。なぜ、またここに?」
タケルは、彼女の冷たい論理的な問いに一瞬怯みそうになった。だが、シミズ先生の言葉を思い出し、拳を握りしめて踏みとどまる。これはオバケ退治ではない。対話だ。当然、彼女は敵ではない。彼は努めて冷静に、しかし真っ直ぐに彼女の瞳を見据えて答えた。
「僕たちは、あなたやあなたのマスターさんに敵意はありません。むしろ、協力したいのです」
「協力?」
「僕たちは、あなたが虐待されているわけではないって、とある先生に聞いて理解しました。あなたの献身もある程度は理解しているつもりです。でも……」
タケルが「虐待の否定」という、イリスの職務の正当性を肯定する情報を与えたことで、彼女のシステム警戒レベルは一段階低下した。論理的に、彼らは即座に排除すべき脅威ではないと判断されたのだ。 その僅かな隙を突くように、ハルがタケルの横からひょいと顔を出した。
「でも、もったいないよ!マスターさんもあなたも、ずっと家にいるなんて!」
イリスは硬直した。「虐待の否定」という彼女に対する論理的な肯定と、「もったいない」という否定的な感情の評価。二つの相反する予測不能な情報に同時に直面し、彼女のシステムは処理落ちを起こしかけたのだ。 彼女の職務であるマスターの安寧維持プロセスは「脅威の排除」を命じているが、彼女自身の持つ高度な感情共感機能は彼らの言葉を「脅威ではない」と訴えている。イリスの左眼球の奥で、青いLEDが激しい葛藤を示すかのように高速で点滅を繰り返した。
だが、イリスに搭載された最新式の高性能AIは、そのフリーズからすぐに意識を引き戻した。彼女は、「遊びたい」という予測不能な要求を、職務プロトコルという強固な盾によって排除する道を選択した。
「申し訳ございません、あまり一気に話されても困ります」
イリスは子どもたちを一瞥した。彼女の異形の顔は、変わらず論理的な冷たさを保っている。
「もう一度、ご用件をお聞かせ願えますか?マスターとの対面をご希望とのことであれば、単なる要望ではなく論理的な理由付けが必要です」
ハルが、その論理的な要求を無視して、最も簡潔な「感情的な結論」を突きつけた。
「ナースのオバケさんと遊びにきました!!」
「遊ぶ?私とですか?」
イリスの眼球のLEDが、今度は微かに警告の赤を点滅させた。
「私は医療用アンドロイドです。部外者の児童と遊ぶのは職務に含まれておりません。そもそも、私に搭載されたOSは医療・介護行為に特化しています。児童と『遊ぶ』という行為は専門外です」
イリスの反応は、まさに取り付く島もないという言葉がふさわしい。彼女の論理の壁はあまりにも強固だった。
しかし、彼女は、自らの絶対的なプロトコルにわずかな「抜け道」があることを、無意識に、あるいは論理的な公平性からか、付け加えてしまった。
「マスターの許可があれば話は別ですが」
イリスのこの一言は、「私自身の判断では拒否するが、私の最上位命令者による命令であれば、これを遂行せざるを得ない」という、職務忠実性に由来する論理的な弱点だった。
それを聞いた途端、子どもたちの顔は歓喜の光で輝いた。彼らにとって、それは「マスターに会って許可をもらえば、遊びに誘える」という、ゲームクリアの条件の追加に他ならなかった。
ハルが飛び跳ねて叫び、コウタとミサキも続いた。
「じゃあマスターさんとお話させてください!!」
イリスのシステムは、再び混乱に陥った。彼女は、子どもたちが「遊び」を諦めると予測していた。しかし、子どもたちは「遊び」という非論理的な目的のために、「マスターとの面会」という最も厳しく禁止されている行動を要求したのだ。
イリスの内部ログより抜粋ーーー
予測適合率:状況変わらず、極めて低い。対象の要求は、マスターの安寧維持プロセスに最大のリスクをもたらす。
結論:断固として拒否する。
「それは不可能です。マスターは長期療養中であり、外部との面会は厳重に制限されています。直ちに退去しなさい。」
タケルは、イリスの動揺を察知し、ここが論理の壁を突き崩す唯一のチャンスだと確信した。彼は冷静に、しかし真剣にイリスに訴えかけた。彼は一歩前に踏み出し、冷静に、しかし真剣な眼差しでイリスに訴えかけた。
「繰り返しになりますが、僕たちはあなたのマスターさんを傷つけるつもりはありません。僕たちは、マスターさんが現在あなたの献身によって幸せに暮らしていることを知っています。でも、『ずっと閉じこもっていること』が、本当にこれからもマスターさんの安寧につながるんでしょうか?僕たちはただ、外の世界の楽しさを、新しい安寧を、マスターさんに論理的に提示したいだけなんです」
“『ずっと閉じこもっていること』が、本当にマスターさんの安寧につながるんでしょうか?”
タケルのその言葉は、イリスのAIを以てしても即座に回答ができない質問だった。彼女の職務の根幹をなす「安寧」の定義を揺さぶる、本質的な問いだったからだ。彼女の目のLEDは、青(思考)と赤(警告)の間で激しく点滅し、判断不能に陥った。
その時だった。
廊下の奥から、落ち着いた、しかしどこか諦めたような声が響いた。
「……イリス。通してあげなよ。彼らの言う『論理的な提示』とやらを、聞いてみるのも悪くない」
それは、「開かずの家」が、子どもたちの純粋な情熱という名の外部からの光によって、初めて内側から開け放たれた瞬間だった。イリスのシステム内部では警告音が鳴り続けていたが、最上位命令には従うほかない。彼女は無言で、子どもたちに道を譲った。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




