Part.7:覗き込むのは誰か?
翌日の昼下がり、真夏の太陽が容赦なくアスファルトを焼き、立ち昇る陽炎が景色を歪ませていた。降り注ぐ蝉時雨が、思考を遮るノイズのように響き渡る。いつもの公園、滑り台が落とす僅かな日陰にあるベンチに、タケルたち四人は再び集まっている。
シミズ先生からもらった「『開かずの家』の扉を開ける」という難題を前に、彼らは頭を突き合わせ、可能な限り影の中にひそんでいた。
「『論理的な障壁の壊し方』とか『静かなる啓発』って言われてもなぁ……」
タケルは頭を抱え、シミズの言葉を反芻する。先生の言わんとすることは理解できる。だが、肝心の「具体的な方法」が浮かばないのだ。何と言っても、相手は最新鋭のAIを搭載した論理の申し子、アンドロイドだ。その彼女が構築した鉄壁の論理的牙城を、高校生の浅知恵でどう崩せばいい?
考えれば考えるほど、あの彼女の冷徹な恐ろしい表情と、取り付く島もない拒絶の言葉が蘇り、思考が行き詰まる。
「あのさ、兄ちゃん。難しい話はもういいじゃん!」
沈黙を破ったのは、ハルだった。彼はベンチから前のめりになり、汗ばんだ顔をタケルに突きつけた。
「先生言ってたろ?あの看護師さん、マスターのこと大好きなんだって。だから、怖い人じゃないんだよ!」
ハルの瞳には、既に先日の恐怖の影はなく、逆にある種の明るい確信が宿っていた。
「だからさ、『一緒に遊んでほしい!』って言えばいいじゃん! 友達になろうって!」
コウタが頷いた。
「ぼくたち、別にオバケ退治に来たわけじゃないんだからさ。あんな広い家にいて、あんな凄いアンドロイドもいて……なのにマスターさんもアンドロイドさんも、ずっと家に引きこもってるなんて、すっごく『勿体ない』よ!」
「……わたしも、そう思う」
一番怖がっていたはずのミサキまでもが、小さく、けれどはっきりとした声で続いた。
「確かに、顔はちょっと怖いかもだけど……。でも、見た目で人を判断しちゃダメだってお母さんも言ってましたから!」
タケルは虚を突かれたように顔を上げた。三人の言葉は、あまりにも単純で、そしてあまりに力強かった。子どもたちにとって、「誰かと一緒に遊ぶ」という行為に、「高度な論理」や「倫理的な戦略」は必要ない。ただ「一緒に遊びたい」という純粋な誘いこそが、彼らの最大の武器だった。
タケルは彼らの言葉を聞いて、ハッとした。
(……そうだ。僕は高校生だからと大人ぶって、論理に囚われすぎていたのかもしれない)
アンドロイドが構築したシステマチックな牙城を崩すのは、複雑な論理ではなく、最も予測不能な、ストレートな感情なのかもしれない。なにせ、あの”MAU-2502”型は「究極の共感モデル」なのだ。であれば、逆転の発想で純粋な感情をぶつけることが、彼女のシステムの盲点を突くことになってもおかしくはない。
結局、高校生が一人では一晩悩んでも導き出せなかった結論は、小学生三人の「遊びたい」という本能と合流することで、一つの答えに達した。
彼らがたどり着いた作戦は、拍子抜けするほどシンプルだった。
1. 正面から玄関を訪ねる。(コソコソせず、悪意がないことを行動で示す)
2. アンドロイドに対し、「マスターに対する敵意はない」と明確に伝え、同時に彼女の献身を認める。(「虐待ではない」と理解していることを伝え、警戒を解く)
3. 「マスターを外に連れ出す」という、安寧に抵触しない新しい目的を提案する。(「遊び」という、ポジティブな理由を提示する)
タケルは軽く息を吐き、地面を強く踏みしめて立ち上がった。彼の背筋は、先日の恐怖の逃走から一転し、自信と使命感に満ちていた。
「わかった。綿密な計画なんて必要ない。いくぞ、みんな。今回は正々堂々だ」
彼らは、遊びたい盛りらしい軽い気持ちと、純粋な使命感を抱えて、再びあの白い一戸建てへと向かった。彼らの手には、武器になるようなものは何もない。あるのは、「ずっと家にいるのはもったいない」という、子どもらしい、最も強力な論理だけだった。
1時間後。タケル、ハル、コウタ、ミサキの四人は、再び白い一戸建ての玄関前に立った。正面にそびえる無機質な白い壁は、鉄壁の要塞のように彼らを見下ろしている。窓はカーテンで閉ざされ、人の気配を微塵も感じさせない静寂は、先日と変わらず彼らの介入を冷ややかに拒絶していた。
タケルは一歩前に出た。当然ながら、彼の脳内には、「まずはインターホンを鳴らし、居住者に挨拶をし、アポイントメントの交渉をする」という、シミズ先生も推奨する社会的なルールに則った手順が構築されていた。だが、その手がインターホンのボタンに触れるよりも早く、小学生三人の純粋な熱意と、「もったいない」という強烈な使命感が、ペースを考えずマラソンで全力疾走するランナーのようにタケルの常識を後ろから追い越していった。
「――すぅっ」
ハルが、大きく息を吸い込む音が聞こえた。
マズい。タケルは直感した。
だが、彼が「ま、待て」と制止の手を伸ばすよりも速く、ハルが先日の恐怖など忘れたかのように、大声で家のドアに向かって叫んだ。
「アンドロイドさーん!ナースのオバケさーん!一緒に遊んでくださーい!」
ハルの甲高い声が、鼓膜を揺らすほどの音量で、夏のけだるげな住宅街に響き渡った。タケルは慌ててハルの口を塞ごうとしたが、時すでに遅し。その咆哮は合図となり、コウタとミサキのリミッターをも外してしまった。
「本当に虐待されていないのか、確認に来ましたー!」
コウタは、シミズ先生が推測した真実を、最も無遠慮な形でぶつけた。最悪だ。
「夏休みだから遊びましょー!もったいないですよー!」
ミサキまでもが、彼らの最終的な動機を、デモ行進のスローガンのように叫んだ。やかましい。
彼らの非常識で、しかしあまりに純粋な声の塊は、蝉時雨さえも掻き消し、「開かずの家」の壁にぶつかっては跳ね返り、周囲の空気をビリビリと震わせた。
その声は、イリスがマスターの「安寧」を維持するために構築した防御壁を物理的に一切無視し、マスターの安息の領域、彼の後頭部へと直撃した。
リビングルームの薄闇の中。いつものようにデスクに向かい、ゲームパッドを手に画面に向かっていたマスターは、そのあまりの騒々しさに、操作する指を止め、思わず吹き出しそうになっていた。
彼はデスクに突っ伏し、肩を微かに震わせる。それは恐怖ではなく、忍び笑いだった。
「……ふ、くくっ。肝試しの次は、遊びのお誘いか。まったく、この家も随分とにぎやかになったものだね」
彼の言葉には、迷惑がる響きよりも、久しく忘れていた「外界からの予測不能な刺激」に対する戸惑いと、わずかな面白みが混じっていた。だが、彼の傍らに控える完璧な守護者は、そんなものを許容はしない。
「報告します」
イリスが、冷徹なシステム音声でマスターに告げた。薄暗がりの中で、彼女の剥き出しになった左顔面の機械部分が、普段よりもさらに冷たく、鋭い論理の光を帯びて明滅しているように見えた。
「声の大きさ、および音源の距離から解析し、乱入者は既に敷地内、玄関前にいると推測されます。これはマスターの安寧維持プロセスにおける『物理的排除』の要件を満たしたと私は判断します」
イリスは音もなく一歩前に出た。その身体からは、彼に向けたものではないとは言え、医療・介護用とは思えない気圧されるような威圧感が立ち昇っている。
「マスター、物理的排除の許可を」
彼女のシステム音声は、感情の介入を一切許さない、絶対的な職務忠実性を示していた。 もしここでマスターが首を縦に振れば、彼女は瞬きする間に玄関へ向かい、相手が子供であろうと容赦なく、その怪力で「排除」を遂行しただろう。それは彼女にとって、箒で庭の落ち葉を掃き散らすのと変わらない作業なのだ。
だが、彼はそうしなかった。代わりに彼は笑いを収め、ゲームパッドをデスクに置くと、ゆっくりと天井を仰いだ。
「いや、それはいい……かな?」
マスターは曖昧な否定を口にした。
「だけど、家の前でずっと声をあげられても迷惑なのは事実だからね。近所迷惑だし、何よりうるさい。……悪いけどイリス、適当に応対して、帰ってもらうよう誘導してあげてくれないか」
「……誘導、ですか?」
イリスがわずかに首を傾げる。強制的な排除ではなく誘導。それは彼女の予測とは異なる命令だった。
彼の頭の中では、子供たちの1人が言った「本当に虐待されていないのか」という言葉が耳に引っかかっていた。
(虐待、か……)
先日の「オバケ」という認識から、短い間に随分と具体的な言葉に変化している。もしかして、彼らはある程度この家の真相に、あるいはイリスの顔の傷の理由にたどり着いているのではないか?
その疑念が強制的な排除を彼に躊躇わせたのだった。それは、外界の論理に、自分の「安寧の箱庭」を覗き込まれることへの強い拒否感、そして、もしそうなっているなら、誰が覗き込んでいるのかを知りたいという奇妙な好奇心でもあった。深淵の側だって、一方的に覗きこまれるだけでは不愉快なものなのだ。
「ああ、行ってくれ。……ただし、手荒な真似はなしだ」
「……かしこまりました。マスターの安寧を最優先に行動します」
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




