Part.3:究極の”共感”モデル
「開かずの家」から全速力で逃げ帰り、冷たいシャワーを浴びて強制的に頭を冷却した後も、タケルの心臓はまだ不規則なリズムを刻んでいた。 自室のベッドに倒れ込み、天井を見上げる。濡れた髪から落ちる雫が枕を濡らすが、拭う気にもなれない。肉体は安堵しているはずなのに、頭だけが興奮と恐怖の残響に支配され、熱を帯びていた。
瞼を閉じると、あの異形の姿がフラッシュバックする。しかし、最も彼の思考を占めたのは、あの「ナースのオバケ」の姿そのものではなく、彼女の口から発せられた言葉の断片だった。
「私有地内です」「当家の世帯主の安寧を乱していると私は判断しています。」「本機のマスターは、長期にわたる療養期間にあり……」
タケルは布団の中で、枕に顔を埋めたまま、その冷たいシステム音声を反芻する。オバケではない。あれは高度な知能を持った機械だ。その証拠に、彼女は明確に「主人」の存在を示唆していた。ここは現実だ。オバケを従える主人などいるわけがない。
彼はふと思いつき、自身のスマホに手を伸ばした。
「”MAU-2502”……」
彼は、あのアンドロイドが口にした自身の機体型番を検索窓に打ち込んだ。指が震え、何度か入力ミスをしたが、すぐに検索結果が画面に表示される。
トップに出てきたのは、彼女自身も口にしていた”サイバー・アポロズ社”の医療・介護用アンドロイドの製品ページだった。
『MAU(Medical Assistant Unit)-2502型:究極の”共感”モデル』
画面をスクロールすると、洗練された明朝体のキャッチコピーが躍る。
「従来の高レベルな医療オペレーションはそのままに、高精度な感情シミュレーション機能を実装」「彼女にとって、人の感情はもはや”バグ”ではありません」「傍らに、完璧な”安らぎ”を。 医療ケアは、新たな献身の時代へ」
そんな美辞麗句と共にタケルの目に飛び込んできたのは、広告写真に写るあのアンドロイドの姿---顔の左側も完全性を保つ、非の打ち所のない美貌のアンドロイドだった。その姿は、今夜タケルが目撃した、機械が剥き出しになり、青白い光を明滅させていた異形とは、あまりにもかけ離れていた。
そして、ページの下部に記載された製品価格。そこには、高級自家用車、いや、郊外の中古住宅なら買えてしまいそうな、高校生の彼にとっては途方もない金額が記されていた。
「……なんだよ、これ」
タケルは、画面上の完璧な美しさと、脳裏に焼き付いたあの「壊れた顔」との強烈な矛盾に、息を呑んだ。
「そういえば、世帯主がどうとか言ってたよな⋯⋯」
彼女が主人に仕える医療用アンドロイドであり、これほど高価な機体であることを鑑みれば、あの家に誰か他の人間---おそらくはアンドロイドの”マスター”---が住んでいるのは確実だ。
だが、その論理が、すぐに次の疑問に突き当たる。
『どんな”マスター”が、あんな恐ろしい容貌のアンドロイドと2人っきりで閉じこもって暮らしているというのだ?』
彼は、あのアンドロイドの姿を思い浮かべた。白い清潔なナース服と、完璧な美貌。そしてその美貌を文字通りに真っ二つに台無しにする、冷たい機械を露出させる大きな欠損。
「修理代がない?いや、それはありえない」
あの家はモダンな新築だし、これほど高級な業務用アンドロイドを購入できる財力があるのだ。金に困って修理できないとは考えにくい。だとしたら、理由は一つしかない。
「じゃあ……わざと、なのか?」
タケルは、「誰かが自分の趣味や悪意で、あの完璧なアンドロイドをあの姿にしたのではないか」という、世間的な憶測の一つに辿り着いた。だが、それ以上の考えは濃霧に包まれたように進まない。
・なぜわざわざ、あんな姿に? それが医療行為に必要だというのか?
・なぜ、そのマスターは姿を見せない?見せられない事情があるのか?
・マスターが「療養期間」であることと、あの顔の損傷に何か関係があるのか?
タケルはその疑問が、自分の人生経験と、高校生という年齢の「論理」で処理できる範囲を超えていることを悟らざるを得なかった。
彼は、人の深い絶望や罪の意識、そして歪んだ献身が、アンドロイドというテクノロジーを媒介にして結びついているこの事件の悲劇的な真実の、入口にすらまだ到達していなかったのだ。
「くそっ、わかんねえ……」
タケルは苛立ちと、新たな謎への強い関心を抱きながら、その夜を終えることになった。
夏休み3日目。太陽は高く昇り、近所の公園は真夏の光に照らされていた。タケル、ハル、コウタ、ミサキの四人は、滑り台の陰にあるベンチに集まっていた。昨夜の肝試しと、そこで遭遇した「ナースのオバケ」の話題で彼らの頭はいっぱいだった。
「もう二度とあんな怖いもの見たくないよ……」
ミサキはまだ昨晩味わった恐怖の余韻から抜け出せず、青ざめた顔で膝を抱えている。あの異形の姿は、彼女の小さな心に深い爪痕を残してしまったようだ。
対照的にハルは興奮が冷めきっておらず、「でもやっぱり、あれはオバケだと思うよ!!兄ちゃんはアンドロイドだって言ってたけど、アンドロイドが壊れた顔を直さないって、おかしくない?」とタケルに詰め寄った。
ハルの主張はこれに関してはもっともだった。常識的に考えれば、故障した機械は修理されるべきだ。それがなされていないという事実は、タケルの心にも引っかかっていた棘だった。
「確かにおかしい。あの家には金がある。あのナースのアンドロイド、MAU-2502も、高性能の医療機関用のものだった。修理しない理由がわからない」
その時だった。それまで黙って足元の砂場に木の枝で無意味な線を描いていたコウタが、手を止めて顔を上げた。そして、背筋が凍るような推測を、独り言のようにぼそりと呟いた。
「ねぇ、もし本当にオバケじゃなくてアンドロイドなら、もしかしてあの人、虐待されてたりするんじゃないかな」
その言葉は、タケルの思考の霧を一瞬で晴らし、一つの残酷な可能性へと強く引き寄せた。
「虐待……」
タケルはその言葉を反芻する。
彼は社会を席巻するアンドロイドのニュースを思い出した。脳裏に浮かんだのは、昨今テレビやネットニュースを騒がせている、彼らを取り巻く社会問題だ。人間と見紛う外見と高度な感情AIを備えたアンドロイドが普及するに伴い、所有者が日々のストレスや歪んだ支配欲のはけ口として自らが所有するアンドロイドを故意に破損(これすらもオブラートに包んだ表現だ)させ、修理もせずに放置するという事案が後を絶たない。現状、彼らは法的に「物」として扱われるため、自分の所有物をどれだけ傷つけようと罪には問われない。だが、その法の穴を突くような残忍な行為に対し、「アンドロイドの権利」に関する法整備が急ピッチで進められている――そんなニュースを、タケルも見た覚えがあった。
「確かに、あの壊れた顔を放置してわざわざ隠さずに外に出させるなんて、普通じゃない。あれを見せつけているのは、所有者の意思なんじゃないか?」
タケルの中で、散らばっていたパズルのピースが、嫌な音を立てて組み合わさり、『あの家の中で顔を破損するほど虐待を行う残忍な主人と、それでも従うしかない哀れなアンドロイド』という絵が出来上がっていく。
・世帯主は、あのアンドロイドに顔の傷を負わせた犯人である。
・アンドロイドの「剥がされた顔」は、その暴行の動かぬ証拠である。
この結論は、タケルの高校生という浅い人生経験と、昨夜得た限定的な情報から導き出せる中では、最も合理的で、そして最も人間的な感情に訴える推測だった。何より、その時の彼は、あの理解不能な恐怖に対し、自分が納得できる「正解」を欲していたのだ。
「だとしたら……」
タケルは拳を握りしめた。姿を見せない住人への強い疑問と不信感。そして何より、あの痛々しい顔で「退去してください」と告げたアンドロイドへの、同情にも似たわずかな共感。彼女は酷い暴力を受けているにも関わらず、逆らえない命令に従って自分たちを追い返したのではないか。
それらが混ざり合い、タケルの中に「彼女を救出するべきではないか」「実態を暴くべきではないか」という、義憤にも似た新たな行動原理が芽生え始めていた。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




