Part.2:半人半機のオバケ
4人が振り向くと、そこに、「それ」が、いた。
純白のナース服を身に纏い、夜の闇の中に音もなく佇む、女性の人影が。
遠くの街灯のわずかな光が、彼女の顔をぼんやりと照らし出した。
最初は、なんて美しい女性なんだと思った。
右半分は、非の打ち所のない人間の美しさ。透き通るような白い肌、整った鼻梁、そして月光を反射するダークブラウンの髪。その完璧な姿勢で静止した佇まいは、もはや人間というより、美術館に飾られた冷たい彫刻のように見えた。
だが、彼女が侵入者である四人を見渡すために、首を僅かに動かした瞬間―― 最初は陰になって見えなかった顔の左半分が、彼らの視界に容赦なく晒された。
「ヒッ……」誰かが、小さく息を飲んだ。
彼女の顔の左半分。そこには、「顔面」がなかった。皮膚が欠落し、チタン合金のフレームと光ファイバーの配線が剥き出しになった、冷たい機械の構造だった。その無機質な空洞の奥で、彼女の左目は青白く、微かに明滅している。それは彼らの接近を解析し、データを処理する機械の光だった。
「直ちに、退去をお願いします」
彼女は自らの顔について全く気にしていないようだったが、それは、噂で聞いた「ナースのオバケ」の姿そのものだった。
タケルの論理的な思考は、完全に停止した。もし本当にそんなものが存在するなら、それは「アンドロイド」だと頭ではわかっていたはずで、実際に今の彼の前に姿を現したのはその予想を上回るものではなかったはずだ。だが、いざそれを目の前にしてみると、美と醜、完全と不完全、人間と機械が融合したその異様な姿と、あまりにも冷徹な話しぶり、そして不気味なほどの静けさが、彼の理性の一切を吹き飛ばした。本能が、目の前の存在を「理解不能な脅威」として認識し、警鐘を鳴らしている。
「え……あ、あの……す、すみません!」
タケルは絞り出すように声を出すのが精一杯だった。その声には罪悪感と恐怖が混ざっていた。
そのオバケ、いや、アンドロイドは、彼らのパニック状態を冷静に見つめながら、その恐ろしい半人半機の顔を晒し続けた。それはまるで、彼らに恐怖を刻み込むため、わざとそうしているようでもあった。
「直ちに、退去をお願いします。本機のマスターは、長期にわたる療養期間にあり、精神的および肉体的な安寧を最優先する必要があるため、外部からの不必要な刺激は許可されていません」
その言葉に、タケルの脳の片隅に残っていた理性が、反射的に問い返した。
「療養って……病気なんですか?じゃあ、あなたは……その、医療用なんですか?」
「はい。私はサイバー・アポロズ社製医療・介護支援アンドロイド、MAU-2502型です」
彼女は、剥き出しの機械部分が青白い光を微かに放ちながら、淡々と答えた。
タケルは恐怖に耐え、なんとか会話を継続した。どうしても聞かなければならない気がしたのだ。
「な、なんで、その……顔を直さないんですか!?」
この問いは、彼女にとって重要なデータだったのだろう。彼女のシステム音声は、一瞬の間を置いた。
「それはお答えできません。その質問に回答するためには、本機の職務上の機密情報を公開する必要があるためです。……繰り返します。直ちに退去し、二度と近づかないでください」
その最後の警告と共に、アンドロイドが会話の時間は終わりだとでも言わんばかりに一歩静かに前に出た。芝生を踏む音が、彼らの耳元で雷のように響いた。
限界だった。ハル、コウタ、ミサキは、恐怖で硬直していたが、近づこうとしたアンドロイドを見てタケルが緊張から大きく息を吸い込んだのを見て、連鎖的に堰を切ったように絶叫した。
「「「オバケだー!!!!!」」」
悲鳴を上げながら、三人は来た時よりも遥かに速いスピードでフェンスを飛び越え、全力でその場から逃げ去った。
「あっ、おい!……ご、ごめんなさい!!」
タケルもまた、ばつの悪さと恐怖を感じながら、彼らの後に続いて駆け出した。
夜の庭に残されたアンドロイドは、追うこともなく、ただその場に立ち尽くしていた。追うまでもなく、彼女の目的は十分に果たされたと判断していた。
アンドロイドは、彼らの心拍数の急激な上昇とアドレナリンの過剰分泌を解析しつつ、静かに彼らが逃げ去る姿を見守っていた。
夜の静まり返った住宅街を、タケル、ハル、コウタ、ミサキの四人は、息を切らし、肺が破れそうになるほどの全力で走り抜けた。「開かずの家」の前から遠く離れ、あのアンドロイドが絶対に追ってこないであろうところ、街灯の光が煌々と照らす安全な大通りに出たところで、ようやく足を止める。四人の心臓は、まだ激しい鼓動を打ち続けていた。
「ハァ……ハァ……ほら、やっぱりいたじゃん、オバケ!」
一番後ろを走っていたコウタが、恐怖と興奮で顔を紅潮させながら叫んだ。彼の声はまだ震えていたが、同時に自分の情報が正しかっただろうという優越感も混ざっていた。
タケルは壁にもたれかかり、荒い息を整えながら、コウタの言葉を即座に否定した。
「馬鹿、あれはどう見てもアンドロイドだっただろ!ご丁寧に自分の機体型番まで教えてくれたぞ。サイバー・アポロズ社製のオバケなんているわけがないだろ」
「でも、顔が半分壊れてたんだよ!顔の中の機械がむき出しで、夜中にナースさんの服で立ってて……あんなのが普通のアンドロイドなわけないよ!」
ミサキが泣きそうな声で訴える。彼女にとって、あのアンドロイドは理屈を超えた「恐怖の具現化」だった。頭では機械だと理解できても、視覚が受け入れた悍ましさは、生理的な拒絶反応として消すことができなかったのだ。
ハルは、興奮とタケルへの優越感でいっぱいだった。
「兄ちゃん、ほら、僕たちの言った通りだったじゃん!あれは普通の機械じゃないよ!看護婦さんのオバケなんだ!」
タケルは頭を抱えた。自分の論理的な認識と、視覚がもたらした強烈なインパクトとの間で、思考が激しく衝突していた。
「いや、あれはアンドロイドだ。それは間違いない」
タケルは一旦言葉を濁した。
「……ただ、顔の人工皮膚が剥がれてたんだ。意味がわからない。なんであんな見るからに高級そうな医療用アンドロイドが、わざわざ顔を壊してるんだ……修理代がないのか?いや、あんな新しい家を建てられるんだから、金がないわけない」
タケルの中で、恐怖は急速に知的好奇心に塗り替えられ始めていた。
「でもさ、タケルさん。あのアンドロイドはなんで顔を隠さないんだろう?」
コウタが冷静になり、鋭い問いを発した。
「普通、あんな顔だったら、布か何かで隠すでしょ?しかも話すときもわざわざこっちを見て、まるで自分の顔を見せつけてるみたいだったよ」
その言葉が、タケルの思考を深く突き刺した。
「ああ、そうだ。あれは隠す気がなかった。まるで、『これでいい』って見せつけてるみたいだった……」
タケルは、ただの肝試しが、人間離れした奇妙な事件に発展したことを感じ取り始めていた。彼の心の中には、恐怖よりも、あの「壊れたアンドロイド」と、「姿を見せない住人」への強い関心が湧き上がっていた。
子どもたちが恐怖の悲鳴と共に夜の闇へと消え去った後。彼らを追い返したアンドロイドは庭から静かに、音もなく室内に戻った。彼女の剥がれた左半分の顔は、室内の薄暗い照明の中でも、冷たい光沢を放っている。
玄関から室内に入り、生活感の希薄な薄暗い廊下を抜けてリビングルームへ向かう。屋内は、光と音を吸収するような静寂に包まれているようだった。
そのリビングルームの片隅、わざわざ窓のない壁に向けられたデスクに、彼女の主人は座っていた。彼は”体調不良で療養中”とそのアンドロイドが口にした通り、白いゆったりとしたTシャツを着ている。その姿は、周囲の薄闇に溶け込んでいるかのようだ。
マスターは、窓の外の子どもたちが起こした騒ぎを聞いていたのだろう。
彼女が側へ戻ってくるのを待ち、デスクに向かったまま静かに声をかけた。
「イリス、おかえり。⋯⋯⋯オバケだって?」
“イリス”。それがこのアンドロイドに与えられた、個人的な機体名のようだった。
彼の声は、その陰鬱な姿からは想像できないほど若く、響きのある低い声だった。テレビやラジオから聞こえてきても違和感なく聞けるであろう、優れた声。それは、彼の「かつて」をわずかに想起させた。
イリスはシステムログを確認するように、淡々とした音声で答えた。
「はい。申し訳ございません、マスター。私に対するこの地域での社会的評価が、『非論理的な恐怖の対象』として定着してしまったようです。子供たちにより、私の姿が目撃され、現在『ナースのオバケ』という認識で噂になっている模様です」
カズキは、机に突っ伏していた上半身をわずかに起こし、顔は見せないまま、自嘲気味に息を漏らした。
「オバケか⋯⋯。そうか、そうだよな」
乾いた笑いだった。その笑いには、悲しみも怒りもない。ただ乾いた諦念のみで構成されていた。
「醜い欠陥を身に纏い、夜にしか動かない白い人影。僕の絶望と我儘から生まれた君の姿は、まさしくこの世の理不尽を体現している」
彼はゆっくりと体を起こし、その沈痛な視線をイリスの顔に向けた。その右の瞳は、暗闇の中でも鈍く光り、イリスの機械の顔に自分の姿を映し出しているかのようだった。
「君は、僕の醜い内面を映す鏡のないこの家で、唯一の鏡の代わりを務めている。そして外の世界では、僕の罪と醜さを背負ってオバケとして認識されている」
彼は深く息を吐き、再びデスクに突っ伏した。その姿は、外界との接触を完全に拒絶し、自らの殻に閉じこもった孤独な魂そのものだった。
「それでいい。どうせ、僕も同じだ。外に出られない、内まで醜く腐りきった怪物と、外で恐れられる、機械のオバケ。どちらも外の世界では受け入れられない。だから、ここで2人で幸せに生きていられるなら、それだけでいいんだ」
イリスは、その言葉を静かに受け止めた。彼女は、マスターの言葉に「外界との関わりを拒絶する意志」を検出した。彼女の感情シミュレーションは、マスターのその感情が、彼の現在の精神状態における最適解であると判断していた。
彼女はそれ以上何も言わなかった。ただ、主人のために温かい飲み物を準備するため、静かにキッチンへと足を向ける。その半分剥がれた顔には、冷たい光だけが宿っていた。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




