Part.1:突撃!オバケの家に肝試し!!
記念すべき夏休みの初日。外は蝉たちも鳴く元気を失うほどの暴力的な暑さと眩しさに襲われているが、遮光カーテンの引かれたリビングルームは、エアコンの低い駆動音に支配された別世界だった。高校二年生のタケルは、革張りのソファに身体が沈み込むほど深く寝そべり、惰性でテレビゲームに興じていた。
正直なところ、タケルの指先には、熱意も焦燥もなかった。模範的な高校生であれば、来年に控えている大学受験に向けて、そろそろ計画的に勉強を始めなければならない時期であることは、頭の片隅で十分に理解している。しかし、「自分は将来何をしたいのか」「大学で何を学びたいのか」という人生の解像度が著しく低く、そのピンボケした未来図が、鉛のような重りとなって彼をソファに縫い付けているだけだった。
「兄ちゃん、兄ちゃん!明日、肝試し行こうぜ!」
停滞した空気を切り裂くように、突然、右腕に衝撃が走った。いつの間にか夏休み前最後の授業から帰ってきていた小学六年生の弟、ハルが、タケルの腕を両手で鷲掴みにしていた。
「肝試し?どこに?」
タケルは一旦付けていたヘッドホンをずらし、ゲームのコントローラーを脇に置くと、面倒くさそうに振り返った。彼の腕を掴み続けるハルは興奮で目をキラキラと輝かせていた。その横には、彼のクラスメイトであり友人のコウタとミサキが立っている。コウタの顔には恐れを知らない強い好奇心が、ミサキの顔には心底怯えているような純粋な恐怖心が、それぞれ浮かんでいた。
タケルは小さく溜息をついた。これは毎年恒例とも言える、夏休み中の弟たちの奇行の始まりだと彼は察していた。確か去年は近くの川岸でのキャンプ、その前の年は裏山での虫取り大会だったか。毎年、ハルは必ず自分を巻き込もうとしてくるのだ。
「あのさ、今年新しく建ったあの白い家!看護婦さんのオバケが出るんだって!」
ハルが興奮気味に耳打ちする。
その噂なら、タケルも耳にしていた。例の「開かずの家」にまつわる、子どもじみた怪談だ。彼はその怪異を鼻で笑った。
「オバケ?馬鹿かお前ら。またどっかの子供が適当な噂流してんのさ。あそこはどう見たって普通の住宅だろ。誰も住人を見たことがないのは……まあ、単に人付き合いが嫌いとか、夜勤の仕事をしてるとか、何か事情があるんだろうよ」
自信満々に言い切ったものの、その実はタケルもその理由には明確な理解は出来ていないのが実情だった。ただ、高校生としての理性が「オバケ」という非科学的な存在を拒絶しているに過ぎない。……それ故に、強引に主張されると少々弱い。
「違うって!コウタも見たんだよ、夜中に窓の向こうで顔が半分壊れたオバケが光ってるのを!」
ハルに促され、コウタが力強く頷く。ミサキも、恐怖で言葉少なになりながらも、その証言を裏付けた。
「ナースさんの服を着てたもん……!」
タケルは呆れたように天井を仰いだ。
「ナース服を着た顔の壊れた光るオバケ……って、それはどう考えてもアンドロイドだろ。そもそも、高性能の家庭用アンドロイドやらドローンが普及してる時代にオバケって発想が古いんだよ。顔が壊れているっていうのは、ちょっと変わった仕様のモデルか、修理中の個体だろうさ」
タケルの論理的な推論は、子どもたちのロマンチックな恐怖心を一瞬で陳腐化させた。確かに顔が壊れているという特徴は少し気にならないでもないが、最近は家庭用アンドロイドが急速に普及し始めており、所有者の趣味嗜好に合わせて外見をカスタムすることも珍しくない。持ち主が所謂「欠損萌え」の変人だっただけというオチも十分に考えられる。それなら家から出てこない理由もつこうというものだ。
しかし、ハルは諦めなかった。彼が求めているのは正解ではなく、冒険という経験なのだ。
「違う! オバケなんだよ! ……だからさ、兄ちゃんも一緒に来てよ!兄ちゃんがいれば怖くないもん!」
弟からの「兄ちゃんがいれば怖くない」という言葉は、タケルにとって抗い難いものだった。普段はクールを気取っているタケルだが、実は弟にはめっぽう甘い。
「……はぁ。わかったよ。でも、変なことになってたら俺は知らねぇからな。それと、絶対に敷地には入らないこと。ただ外から確認するだけだぞ。いいな?」
タケルは渋々承諾した。彼はもちろんオバケなど全く信じておらず、目的は弟が社会的なルールを踏み越えないよう監視することと、弟の期待に応えることだけだった。もちろん、まさか、この肝試しが、自分たちの日常を、そして「開かずの家」に閉じこもった見知らぬ住人の人生を大きく動かすきっかけになるとは、この時はまだ知る由もなかったのだ。
そして、翌日の午後8時を回った頃。1年で最も日の長い季節とは言え、太陽は蒸し暑さだけを残して完全に地平線の向こうに沈み、辺りは深い闇に包まれていた。
タケルは弟のハル、そしてコウタとミサキを引き連れ、例の「開かずの家」の前に立っていた。新興住宅地であるはずにも関わらずこの一画は、なぜか街灯の配置が疎らだ。その白い家は、光源の届かない薄闇の底に、ひっそりと沈殿しているように見えた。窓の奥からは、生活の温かみを感じさせる明かりではなく、何かを拒絶するかのようなぼんやりとした光が漏れているだけだ。物音ひとつせず、人の気配はまるで感じられない。
「おい、いいか。さっきも言ったけど、絶対に敷地内には入るなよ。不法侵入で警察に通報されたら、オバケどころじゃないからな」
タケルはそう念を押したが、ハルたちはすでに興奮の極致にあり、兄の現実的すぎる警告など、右の耳から左の耳へと素通りしているようだった。
彼らは塀の外から家の周囲を回り、爪先立って窓を覗き込んだり、隙間から庭を観察したりする。だが、その家からは「ナースのオバケ」どころか、猫一匹の気配も感じられなかった。ただあるのは、夏の夜の虫の音と、遠くで聞こえる車の走行音だけだ。
「何の気配もないな……コウタとミサキ、本当にそのオバケを見たのか?」
「絶対見たんだって!確かにいたんだ!!」
コウタが反論する。
タケルはため息をついた。彼らがなんと言おうと、現時点で何も見つからないのならこれ以上粘っても仕方がない。蚊に食われる前に撤収すべきだ。
「ほら、さっさと帰るぞ。オバケなんかいねぇよ」
タケルが踵を返そうとした、その時だった。後方で怯えていたはずのミサキが、極限まで抑えた声で囁いた。
「ねぇ、あそこ……庭の奥に何かある」
三人の視線が、庭の奥にある、植え込みに隠されたような小さな物置小屋に集まった。その扉の隙間から、ごくわずかな、青白い光が漏れているように見えた。
「あれ、オバケが隠れてるんだ!」ハルが興奮で震えた。
「いや、待て。単なる照明だろ。庭師が使った作業灯か、物置の室内灯の消し忘れだ。……よし、あそこだけ塀の外から確認して、それで終わりにするぞ」
弟たちの好奇心を完全に満たしてしまわなければ、この「肝試し」は終わらない。タケルは妥協案を示した。
だが、彼の弟たちには『塀の外から』の一言が耳に入らなかったようだ。ハルたちは躊躇うことなく敷地へ入っていく。
「おい、入るなって言っただろ!」
タケルの制止の声は、夜の空気に虚しく響くだけだった。だが置いていくわけにもいかない。タケルは舌打ちをし、覚悟を決めて彼らの後に続いた。芝生を踏みしめる音が、静寂の中でやけに大きく響く。彼らは音を立てないよう慎重に、だが足早に庭の奥へと進んだ。 物置小屋から漏れる青い光は、近づくにつれてその輝きを増し、彼らを誘い込む妖火のように揺らめいていた。
4人が物置小屋にあと数メートルというところまで近づいた、その時だった。
彼らの真後ろの暗がりから、感情の介入を一切排した、冷徹なシステム音声が突如として静寂を切り裂いて響いた。
「児童なので悪意はないと判断し、現在はまだ警察に通報はしていません」
その声には、優しさも、怒りも、警告の荒々しささえも含まれていなかった。ただ事実を羅列するだけの「情報伝達」。だが、その絶対的な静けさが、かえって彼らの心臓を冷たい手で直接握りしめるかのように締め付けた。
「しかし、ここは私有地内です。現在の貴方たちの行動は紛れもない不法侵入であり、何よりも当家の世帯主の安寧を乱していると私は判断しています」
タケルは、全身の血が一気に冷え切るのを感じた。声が聞こえた方向を、ゆっくりと振り返る。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




