↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/30

Part.26:告白①

市立高校の視聴覚室には、エアコンの冷気さえも凍りつかせるような、重苦しい沈黙が満ちていた。

教壇に立つシミズは、手元の資料に一度も目を落とすことなく、真っ直ぐに保護者たちの視線を受け止めていた。彼は「アンドロイド倫理と社会適合性」という極めて硬い演題のもと、カズキとイリスの関係を論理的に擁護しようと試みていた。

「――結論から申し上げましょう。例のアンドロイドの顔の損傷は、残虐な虐待の結果でも、不幸な故障でも、狂気の象徴でもありません。それは、患者の安寧を確保するための、医療用アンドロイドの『職務忠実性』が導き出した究極の論理的手段なのです」

シミズの声は、広い教室に涼やかに響く。

「彼女は、主人と同じ傷を負うことで、物理的な『治療』を超えた精神的な『共感』を成立させた。そして、彼は子どもたちとの交流で『幸福』を思い出し、社会復帰を果たそうとしている。……当然、そこに皆さんが恐れる『害意』など、分子レベルで探しても存在しません」

彼の説明は、隙のない完璧な正論だった。「教師」という社会的な権威と、数値化された客観的なデータを前に、親たちも目立った反論を差し挟むことはできなかった。

だが、彼らの顔に納得の色はなかった。 親たちが抱く「自分たちの純粋な子どもが、実際に暴力に頼ろうとした不気味な男と、半面が壊れた機械に懐いている」という生理的な不安と拒絶は、冷徹な論理だけで取り払えるほど薄いものではなかった。感情という名の強固な壁が、正論を無慈悲に跳ね返している。

(……やはり、論理だけでは人の心は動かせないか)

シミズは内心で奥歯を噛んだ。自分が用意した「道」が、いかに細く、頼りないものであるかを痛感していた。

「先生がなんと言おうと、あのアンドロイドは危険だ!!」

一人の親が、耐えきれずに立ち上がって叫んだ。

「夜な夜な、顔に包帯を巻いた男性を無理やり引きずり回しているという不気味な噂もある! そんな異常なものに、子どもたちの安全を任せられるわけがない!」

「それは単なる誤解で――」

シミズが言いかけたその時だった。

ゴォォン……!

視聴覚室の重い遮音扉が、外側から力強く押し開かれた。 全ての視線が、入り口へと一斉に向けられる。シミズもまた、目を見開いて振り向いた。

逆光の中に浮かび上がったのは、ここにいるはずのない、そして今最もこの場にいてはならないはずの、カズキとイリス。そして、彼らの後ろにはタケルたち子どもたち四人の姿があった。

「なっ……!?」 「どうしてここに……!」

親たちの間に、爆発的な動揺が広がる。子どもたちを人質に取って乱入してきたのか、あるいは逆上して襲撃に来たのか。彼らの顔に、瞬時に「恐怖」という色が付着した。

カズキは、突き刺さるような憎悪と疑念の視線を一身に浴びながら、先頭に立って一歩を踏み出そうとした。 だが、連日の心労とあまりの緊張からだろう。踏み出した一歩目がもつれ、彼は膝から崩れ落ちそうになった。

その瞬間、隣にいたイリスが、流れるような動作で彼を支えた。 それは、暴漢を「拘束」する動きでも、囚人を「連行」する動きでもなかった。 震える主人の身体をしっかりと、しかし壊れ物を扱うように優しく包み込む、紛れもない「扶助」の仕草。

静まり返った教室内で、カズキは肩を貸すイリスに支えられながら、バツの悪そうな、しかし毅然とした顔で親たちを見据えた。

「……突然お邪魔して、すみません。でも、これだけは言わせてください」

カズキの声は、震えていた。それでも、はっきりと室内の隅々まで届いた。

「誰も、引きずられてなどいませんよ。……彼女はずっと、歩けない僕を支えてくれていただけです。あの夜も、そして……これまでも、これからも」

「君が……カズキ君か。しかし、一体なぜここに」

壇上から駆け寄ったシミズが、驚愕と共に問いかけた。 カズキは、自分を「化け物」と呼ぶ親たちの瞳を見つめ返し、静かに、しかし決然と答えた。

「はじめまして、そして、ありがとうございます、先生。…逃げるつもりは、ありませんよ。……僕たちの安寧が、外界から見て『醜い』ものか、それとも僕たちにとっての『幸福』か。……論理ではなく、僕自身が直接証明しに来ました」

その言葉と同時に、イリスが職務忠実な医療用アンドロイドとして、一歩前に進み出た。 彼女の左眼に宿る青い光が、親たちの正義という名の刃を、真っ向から受け止めるかのように静かに輝いた。



シミズは迷っていた。 目の前に立つカズキは、あまりにも危うく、脆い存在に見えたからだ。このまま彼に「証明」の重責を任せてしまって、彼の心が再び折れてしまわないだろうか。

迷うシミズの背中に、アヤメがそっと近づき、機械的ながらも確信に満ちた小声で囁いた。

「先生。このまま続けても、貴方の論理のみで彼らを納得させられる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。……ここは『当事者』という名のノイズに、賭けてみる価値があります」

シミズはアヤメを一瞥し、そして短く息を吐いて一歩退いた。 教壇は今、一人の「被告人」に明け渡された。


視聴覚室の蛍光灯は、逃げ場のないほどに明るく、カズキの顔にある大きな火傷の傷跡を、一切の陰影なく白日の下に晒していた。その背後にはイリスが静かに佇み、彼女の半分機械の顔もまた、冷たい光を反射している。イリスの隣には、タケルたち四人の子どもたちが、震えながらも真っ直ぐな瞳でカズキの背中を見守っていた。

カズキは、親たちの驚愕、怒り、そして露骨な嫌悪が入り混じった視線の奔流を全身に浴びながら、一歩前へ踏み出した。

かつて、華やかな舞台の上で何百人もの視線を浴びた元俳優。その身体が、かつての「技術」を思い出していた。彼は深く、そして驚くほど丁寧に頭を下げた。

「タカシロ カズキと申します。まずは……ここ数日、私の存在によって皆様に多大なる不安と不快感を与えてしまったことを、心より謝罪させてください」

彼は数秒間、その深い謝罪の姿勢を保った。静まり返った室内で、その完成された「誠実すぎる」動作は、親たちの高ぶった興奮を一時的に冷却させる効果があった。もし、彼に対する不信感が根深いものでなければ、この一礼だけで場を支配できたかもしれない。だが、刻まれた溝はあまりに深かった。

ゆっくりと顔を上げたカズキは、自らが最も忌避し続けてきた左側の傷を隠すことなく、聴衆に向けてさらけ出した。

「正直な話、ここに集まられた皆様が、アンドロイドの倫理に興味をお持ちだとは思いません。……私を、そして彼女を『信用できない』という一心でここにいらっしゃるのだと、重々承知しております。……それでも。どうか、私の話を聞いていただけないでしょうか」

自らの「醜さ」を武器にする。それは彼にとって、死よりも辛い決断だったはずだ。

「私は以前、事故でこのように顔に傷を負いました。職を失い、夢を失い、未来を失った私は、周囲の哀れみと軽蔑の視線に耐えられなくなりました。そして何より……自分の醜さを自覚する度に自分自身に抱く強烈な嫌悪感から、逃げるようにあの家に引っ越してきたのです」

カズキは隣に立つイリスに視線を向けた。彼女は主人の視線に応えるように、聴衆に向かって優雅に一礼する。その動作は、壊れた顔を差し引いても、あまりに気高く美しかった。

「ですが」

カズキは、最も深い自己嫌悪と、痛切な後悔を滲ませた言葉を、親たちの心へと投げつけた。

「私が本当に、取り返しのつかないほどに『醜く』なってしまったのは……この顔ではなかったのです」

その一言が、視聴覚室の空気を変えた。肉体の傷ではなく、もっと深い「心の傷」が自分を怪物に変えたのだという告白。親たちは、予想もしなかったカズキの言葉に毒気を抜かれ、ただ静まり返って次の言葉を待っていた。



視聴覚室の空気は、カズキの告白によって鉛のように重く凍りついていた。 親たちの視線は、もはや「顔の傷」という表面的な嫌悪を超え、その内側に潜むどろりとした「闇」を暴こうと研ぎ澄まされていた。

カズキは、自らの罪を隠すことなく、吐き出すように続けた。その声は、自己嫌悪の重圧に耐えかねたように微かに震えていた。

「事故の後、私が本当に失ってしまったのは……心でした。やり場のない絶望と怒りをどこにぶつけていいか分からず、私は……自らの意思で迎えたはずの彼女を、ただのサンドバッグのように扱い、傷つけました」

彼は、隣に立つイリスに痛切な視線を向けた。

「”イリス”という名前……。この国のアンドロイドとしては、少し珍しい響きだと思いませんか? ……そうです。僕は彼女を購入した時、名前すら付けなかった。『勝手にしろ』『なんでもいい』と吐き捨てて、彼女を人格のある存在として扱うことすら拒絶したんです」

会場が、ざわめきに包まれる。 カズキは自嘲気味に口角を上げた。

「だから、イリスという名前は、僕が贈った愛称ではありません。彼女が、膨大なデータベースの中から、無作為に、ただの個体識別用の記号として自分で選んだだけの名前に過ぎないんです」

所有者に見放され、自分自身で記号を選び取った機械。その孤独な成り立ちに、聴衆の親たちは思わず息を呑んだ。

「事実です」

イリスは、微動だにせず、ただ淡々と事実だけを補足した。

「当時のマスターによる推奨に基づき、私は乱数生成によって自らの識別名称を決定しました。そこに情緒的な意味、及びマスターからの愛着は存在しませんでした」

「私は……。そんな状態でも献身的に尽くしてくれる彼女に、八つ当たりでしかない罵声を浴びせ続けました。……それは紛れもなく、精神的な虐待でした。皆さんが僕を『危険な男』だと疑うのは、正しい。僕は、それほどまでに醜い人間だった」

「虐待」という生々しい言葉に、親たちは色めき立った。 自分たちが噂していた「虐待疑惑」が、あろうことか「加害者本人の口から」認められたのだ。会場のボルテージが不穏に上がろうとした、その時。

イリスが、カズキの安寧維持プロトコルを最優先し、システム的な擁護のために一歩前に出た。 彼女は、美しくも無機質な顔を親たちに向け、冷静なシステム音声で割り込んだ。

「マスターが気になさる必要はありません。突発的な事故によって理不尽に日常を奪われた患者が、身近な介護者に辛く当たってしまうのは、医学統計上も珍しくない事例です。それは一時的な精神状態の変容であり、マスターの倫理的な欠陥を証明するものではありません」

それは、カズキを罪の意識から救おうとする、精一杯の論理的庇護だった。 だが、カズキはそれを許さなかった。 イリスの「献身」を、そんな便利な「医学的説明」で片付けさせてはならない。そんな逃げ道を用意している限り、彼は本当の意味で彼女と向き合うことはできないのだ。

カズキは、親たちの視線を無視し、イリスの瞳を真正面から射抜いた。

「論理的に、答えてくれ。イリス。……あの時の僕の態度は、正当なものだったか?」

「マスター……」

「僕を『患者』として庇うな。僕を『人間』として裁いてくれ。君の論理回路に従って、客観的なデータを示してほしい」

イリスは、その問いに最適解を出すために、数秒間の沈黙を置いた。 聴衆全員が、アンドロイドによる冷徹な「審判」を待っていた。

「……了解しました。本機のログを解析します」

しばらくの「逡巡」という名の演算の後、イリスは人間的な配慮を一切排除した「事実」を提示した。

「――当時のマスターから発せられた言語情報の攻撃性、及び継続性によるストレスの感情値は、極めて高い数値であったと記録されています」

その声は、あまりに平坦で、それゆえに酷く残酷だった。

「もし、対象がアンドロイドではない生身の人間……すなわち、一般的な介護者であった場合。精神的な摩耗により、継続して任務を遂行することは『不可能』であったと予測されます。……つまり、人間であれば、耐え切ることはできなかったでしょう」

イリスが突きつけたのは、カズキの罪が「病気」という言葉で許される範囲を優に超えていたという、客観的なデータだった。カズキの罪の深さが、アンドロイドの冷徹な検証によって、親たち全員の前に白日の下に晒された。

会場は、墓場のような静寂に包まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。