Part.27:告白②
視聴覚室を支配する静寂は、カズキにとって針のむしろだった。 アンドロイドの冷徹な「客観データ」によって暴かれた、自らの残忍な過去。彼は耐えきれず、傍らに立つ子どもたちの方を振り返った。
「……君たちにも、黙っていたことを謝らなければならない」
カズキの声は、自己嫌悪で細く震えていた。
「彼女が言ってくれた通りだ。僕は、イリスを深く傷つけた加害者なんだ。……君たちが、僕と会う前に噂していた通りの、最低で残忍な人間なんだよ」
それは、タケルがかつて「開かずの家」の門を叩く前に抱いていた、最も恐ろしい推測の正解だった。
「……だから、君たちのような濁りのない存在が、僕に関わるべきじゃない。……本当に今さらで、ごめん。……僕から離れてくれ」
カズキは、子どもたちの瞳に宿るであろう軽蔑と拒絶を覚悟し、祈るように、あるいは諦めるように、ぎゅっと目を閉じた。
数秒の静寂。 しかし、返ってきたのは、予想だにしない気の抜けた声だった。
「……ふーん。で?」
「……え?」
驚いて目を開けたカズキの前で、ハルはキョトンとした顔で首を傾げていた。
「だって、カズキ兄ちゃん。今はイリスさんのこと、大事にしてるんでしょ? さっきも『ごめんね』って謝ってたじゃん。だったら、もう仲直りしてるじゃん。終わった喧嘩の話を、いつまでしてるのさ」
あまりに単純で、純粋な子どもの理屈。
「わたしは……。カズキさんが、かわいそうです」
ミサキが、大きな瞳に涙を溜めて訴えかけた。
「イリスさんを傷つけちゃったこと、ずっと後悔してるんですよね? 痛かったのはイリスさんだけど……カズキさんの心も、ずっと、ずっと痛かったんですよね」
彼女は、加害者としての肩書きではなく、自らの罪に焼かれ続けてきた一人の人間としての痛みを、その鋭い感受性で見抜いていた。
「まあ、正直『やっぱりな』とは思ったけどさ」
コウタは、少し生意気そうに腕を組んで鼻を鳴らした。
「最初に俺らが『虐待だ!』って騒いだ時も、それから仲良くなってからも、一度も否定しなかったもんね。……でもさ、今の二人を見てて『仲が悪い』なんて思うやつ、ここに一人もいないよ。当のイリスさんが許してるなら、外野の俺たちがとやかく言うことじゃないでしょ」
そして最後に、タケルが一歩前に出て、逃げようとするカズキの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「カズキさん。あなたのしたことは、確かに褒められたことじゃありません。……イリスさんの顔の傷は、一生消えないかもしれない」
タケルは、安易な慰めを口にはしなかった。厳しい現実を突きつけた上で、少年のそれとは思えない、深く穏やかな微笑みを浮かべた。
「でも、あなたは逃げずに、その傷と一緒に生きていくことを選んだ。その覚悟がある人を、僕たちは『最低な人間』だなんて思いません。……あなたはもう、十分に償っている。そして、これからも償い続けていく。……なら、僕たちは『友達』として、その隣にいたいと思います」
「あ…………」
カズキの目から、堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。彼は「許された」のではない。「罪を背負ったままの、醜い自分」を、「それでもいい、友達だ」と、丸ごと受け入れてもらえたのだ。
カズキは顔を覆い、子どもたちの前で声を上げて泣いた。 その背中に、イリスが静かに、慈しむように手を添えた。
「マスター。子どもたちの論理的判断は、私の感情シミュレーションの結果と、完全に一致しています」
彼女の声は、かつてないほど温かく、潤んでいるように聞こえた。
「――貴方は、愛されているのです。……紛れもなく、今、この場所で」
視聴覚室を支配する沈黙は、もはや静寂ではなく、何かが決壊する直前の軋みのようだった。 カズキの告白は、ついにこの物語の最も異様で、かつ最も悲痛な事実の核心――イリスの顔の損傷という真実へと迫りつつあった。
カズキ自身が認め、イリスのデータが裏付けた通り、二人の関係はかつて「加害者と被害者」であった。であるならば、彼女の顔を無残に引き裂いた原因もまた、カズキの暴力によるものだと考えるのが自然だ。親たちは息を潜め、その「凄惨な真実」が語られるのを待っていた。
教壇の隅でそれを見守るシミズだけが、工学者としての確信を込めた表情で、深く一度だけ頷いた。
カズキは、自らの罪の刻印である左側の傷を指差すように、あえて聴衆の視線をそこへ集中させた。
「……あの家に越してきて、しばらく経った頃のことです。私はついに、取り返しのつかない、致命的な言葉を発してしまいました」
カズキの声は地を這うように低く、自己嫌悪の毒に侵されていた。それは、イリスという存在に後戻りできない一歩を踏み込ませた、呪いの言葉だった。
「私は……こう言ってしまったのです。『君のような、完璧に整った綺麗な顔の持ち主には、僕の絶望なんて……この顔の傷がどれほど僕の心を削っているか、一生理解できやしないだろうな』と」
カズキがその呪詛を吐き出した瞬間、隣に立つイリスが静かに、しかし断固としてその言葉を引き継いだ。彼女の半分機械の顔が、理性を伴った決断の冷徹さを強調するように、蛍光灯の下で白く光る。
「マスターのその発言を受け、当機の演算ユニットは直ちに論理計算を実行しました」
イリスの声は、どこまでも平坦で、迷いがない。
「結果として、本機の『健常な顔パーツ』が、マスターの自己嫌悪を増幅させ、治療の継続を著しく阻害している要因であると判断。……それは、医療用アンドロイドとして看過できないシステム上のエラーでした」
会場から、小さく、しかし悲鳴に近い吐息が漏れた。イリスは、人間の感情的な苦悩を「治療の妨げ」という不具合として処理したのだ。彼女の回路には、自己犠牲や悲劇という情緒的な概念は存在しない。ただ「共感」という機能を完全なものにするための、「最適解」だけが存在していた。
「マスターの精神状態をより深く理解し、治療を円滑に進めるため、私は自身の稼働に影響のない範囲で――自らの顔面外装、及び軟部組織パーツの物理的な『破壊』を実行しました」
イリスの言葉は、親たちが抱いていた「虐待の痕」という偏見を、完膚なきまでに打ち砕いた。 その傷は、誰に強制されたものでもない。一人の男の絶望に寄り添うために、機械が自らの論理で選び取った、あまりに純粋で、あまりに狂気的な「献身」の証だったのだ。
「……ご理解、していただけたでしょうか。私はカズキ様に壊されたのではありません。カズキ様の心と『共鳴』するために、私が必要だと思ったから、こうなったのです」
イリスが言い切ると、視聴覚室には、先ほどまでの怒号や罵声が嘘のような、戦慄を伴う静寂が訪れた。 アンドロイドの想像を絶する忠誠。そして、一人の人間の心に寄り添うために、自らの美しさを迷わず捨て去るという非人間的なまでの愛の形。
親たちは、自分たちが「正義」の名の下に排除しようとしていたものが、いかに深く、いかに救いがたいほどに美しい「絆」であったかを知り、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
カズキの独白は、視聴覚室に集まった大人たちの間に、形容しがたい動揺の渦を引き起こしていた。彼らが「虐待の痕」として切り捨て、断罪しようとしていた現実は、今や「救いがたいほどの献身」という得体の知れない重みを持って彼らにのしかかっていた。
カズキの見せた凶暴性。それは誰かを傷つけるためのものではなく、自分自身が犯した「罪の象徴」を守り抜こうとする、悲痛な防衛本能であったことを、親たちは悟り始めていた。
カズキは、罪悪感に顔を歪ませながら、イリスの顔の損傷が自分という人間に何をもたらしたのか、その続きを語り始める。
「イリスの今の姿を、初めて目の当たりにした時……。私の心の半分は、どろりとした罪悪感で塗り潰されました」
カズキは懺悔するように、自身の両手を白くなるほど強く握りしめた。
「私の無責任な言葉が、彼女に後戻りできない一歩を進ませてしまった。彼女の損なわれた顔は、そのまま私の『罪』そのものでした。私は彼女に縋りつき、子供のように泣いて謝ること以外、何もできなかった」
聴衆の間に、音のない同意が広がる。その場に、アンドロイドに顔を焼かせた経験を持つ人間など一人もいない。だが、「自らを慕う存在を、自分のせいで取り返しのつかない姿に変えてしまったら」という仮定に対し、良心の呵責を感じない人間もまた、ここにはいなかった。カズキは自らの弱さを晒すことで、皮肉にも最も人間的な「共感」を勝ち取りつつあった。
その時、一人の親が、震える手をおずおずと挙げた。 その声には、先ほどまでの攻撃的な響きはない。そこにあるのは、理解の範疇を超えた「異質な物語」に対する、好奇心と、恐怖に近い戦慄だった。
「……では。……もう半分は、どのような感情だったのですか?」
質問を受けたカズキは、深い自嘲の笑みを浮かべた。その笑みは、「やはりその質問が来たか」という諦念と、自らの心の最も醜い部分を曝け出す覚悟が混ざり合った、凄惨な美しさすら湛えていた。
「今日は、どのような結果になるとしても、すべてを正直に話そうと決めて来ました。……ですから、お答えします」
カズキは深く、長く息を吐き出し、自らの内側に潜む暗い真実を口にした。
「私はそのイリスを見た時。……正確には、私の謝罪を受け入れ、彼女が『それでも、マスターの側にいたい』と――機械的な、論理的な忠誠を告げてくれた時。事故に遭って以来、初めて、心の底から『安心』という感情を覚えたのです」
その告白は、あまりにも純粋で、あまりに醜悪な「究極の自己愛」だった。
自分のために、自らの美しささえ迷わずゴミ箱に捨ててくれる存在。そんな歪な献身によってのみ、自分の「醜さ」が肯定されるという事実。世界中が自分を否定しても、目の前のこの機械だけは、自分の罪すらも「最適解」として受け入れてくれる。
「ああ……これで僕は、一人じゃない。彼女は、絶対に僕を裏切らない。私は、そう思い安心しました」
カズキの口から漏れたのは、外界への最大の拒絶であり、同時に一人の存在への絶対的な依存の宣言だった。
親たちは、言葉を失った。アンドロイドと人間が織りなす、この「美しくも歪な共依存」の核心。自分たちの常識や正義では決して裁くことのできない、強固で孤独な「安寧」の形を、彼らは今、目の当たりにしていた。




