Part.23:酷いやつら
翌日、正午。
作戦は、今のところ完璧に進行していた。
シミズが教育委員会とPTAの連絡網を駆使して緊急招集した「特別教育セミナー」は、その物々しいタイトルと「最新のAIリスク管理」という時流に乗ったテーマのおかげで、多くの保護者を高校の視聴覚室に集めることに成功していた。集まった面々の中には、カズキの家の周囲で監視の目を光らせていた親たちの姿も確認できる。これで、「檻」の鍵は開いた。あとは鳥たちが飛び立つだけだ。
舞台袖の薄暗い準備スペースで待機しているシミズに、アヤメが静かに歩み寄った。
「先生。……当然、ご理解されていることかと思いますが」
アヤメは、彼女が夜通し演算し作成した、厚さ数センチにも及ぶ『想定質問集兼反論マニュアル』をシミズに手渡しながら、淡々と言った。
「先生のお役目は、ここで難解な専門用語を並べ立てて時間を稼ぎ、彼らが”夜逃げ”……失礼、”戦略的逃走”を行う時間を作ることだけではございません」
彼女の指摘は鋭かった。
「今後の彼らと先生の生活を考えるならば、ここで親たちを完全に説得し、納得させてしまうに越したことはありません。……準備は、万端でしょうか」
シミズは受け取った資料の重みに苦笑し、眼鏡の位置を直した。
「……論理的には、何も問題ないさ。正しいとか間違っているとかだけの話をするなら、物事の道理は100パーセント僕の側にある。今の彼らの行動は、根拠のない差別と人権侵害だ」
シミズは、扉の向こうから漏れ聞こえる、ざわめく親たちの気配を感じながら続けた。
「だが、今求められているのは、『正しさ』で相手を殴りつけて、反論できなくすることじゃないんだよ」
「議論において、論理的整合性以外の重要な要素があると?」
アヤメは小首を傾げる。 アンドロイドである彼女にとって、”議論”とは情報の精査と論理的優位性の確立、それ以外の何物でもない。
「……彼らは『親』だからね」
シミズはふっと息を吐いた。
「親という生き物は、論理的な説明よりも、『安心』という感情を求めているんだ。正直、僕の専門知識と教師という権威を使えば、彼らを正論で論破し、黙らせることは難しくない。だが、それでは彼らは納得しない。論破された屈辱と不安が残り、彼らに対する視線はより陰湿なものになるだけだろう」
シミズは自分の胸に手を当てた。そこにあるのは、冷徹な論理回路ではなく、迷い続ける人間の心臓だ。
「彼らを本当に止めるには、論理の土台の上に、『感情』という補強が必要なんだ。……彼らが『ああ、これなら大丈夫だ』と心から思えるような、ね」
「……先生にそれが、可能ですか?」
アヤメの率直すぎる質問に、シミズはガクリと肩を落とした。
「痛いところを突くなぁ……。どうだろうね。僕はそういう『空気』とか『情』とかが苦手で、こんな偏屈な研究者崩れをやっているわけだし」
彼は自嘲気味に笑ったが、その目は真剣だった。
「まあ、やれるだけやってみよう。……正直なところ、僕の理屈を感情面で裏付けてくれるような、劇的な『切り札』が欲しいところではあるんだけどね」
今の彼の手札には、論理しかない。感情のカードは、空白だ。じゃんけんに例えるなら、グーとパーだけで戦わなければいけないような状況。
「まあ、ないものねだりをしても仕方がない。アヤメ、君もサポートを頼むよ。データ検索は君の方が速い」
「かしこまりました、マスター。……先生の論理が、人の心に届くことを祈っております」
シミズは深く息を吸い込み、表情を「威厳ある専門家」のものへと切り替えた。 彼は視聴覚室の演壇へと続く重い扉に手をかける。 武器は言葉と論理だけ。偏見という名の感情の壁に挑む、孤独な戦いが始まろうとしていた。
再びあの部屋に、重苦しい薄暗さが戻ってきていた。カーテンを閉め切った自室で、カズキは大型モニターに向かい、都市経営シミュレーションゲームに没頭していた。
画面の中では、彼の手によって完璧に整備された街並みが広がる。そこでは、悪意も差別意識も持ちようのないデジタルな市民たちが、プログラムされた通りの日常を穏やかに過ごしている。誰もが他人の視線に怯える必要のない、彼にとっての理想郷。時間だけは無限にある今の彼には、これ以上ない逃避場所だった。
「……マスター。お言葉ですが、南東地区の送電網が途切れています。それに、ゴミ処理場のキャパシティも限界です。市民の不満度が上昇していますよ」
傍らで待機していたイリスが、モニターの数値を正確に読み取って声をかける。カズキは持っていたコントローラーを力なく置くと、深く、重い溜息をついた。
「……ダメだ。まるで集中できない」
画面の中の「完璧な平和」を維持することさえ、今の彼には荷が重かった。
「残念ながら、ここ数日のマスターの睡眠品質が著しく低下していることが原因かと推測されます。脳の演算能力が、疲労によって著しく阻害されています」
「……分かっているよ。ちょっと、顔でも洗ってくる」
カズキは力なく席を立つと、ふらつく足取りでリビングを出ていった。
主人が去り、静まり返った部屋。モニターの明かりだけが、イリスの無機質な顔を青白く照らし出す。 その時だった。
――コン、コン。
静寂を破る微かな音が、磨りガラスの窓から響いた。イリスの聴覚センサーが即座に音源を特定する。彼女は音もなく窓辺へと歩み寄り、その鍵を開けた。
「……お久しぶりです。ノイズ発生源の子供たち」
窓を開けた先、庭の茂みに身を潜めるようにして立っていたのは、タケルたちだった。ハルやコウタは、数日ぶりに会えた友人に対して、抑えきれない喜びを浮かべた笑顔を見せている。対して、年長のタケルだけは、何かに祈るような、ひどく神妙な面持ちでイリスを見つめていた。
「イリスさん」
タケルが声を潜めて言った。
「カズキさんとの、キャンプの約束を果たしにきました。……今なら、外に出られます。先生がみんなを引き受けてくれているから。……今だけなんです、チャンスは」
イリスの瞳の奥で、青いLEDが細かく瞬いた。 彼女の論理回路が、タケルの提案を高速で演算する。
現在の監視体制。先生なる人物の陽動。脱出の成功率とその後待ち受ける生活。そして何よりも、今のカズキの極めて不安定な精神状態。
僅かな計算という名の逡巡のあと、イリスは冷徹な結論を口にした。
「……残念ですが。現在の私の判断基準において、マスターの外出はリスクとリターンが見合わない行為と定義されています」
彼女の表情は、鉄の扉のように動かない。
「前回の外出に起因する事象により、マスターの安寧度は致命的なダメージを受けました。私の最優先職務は、これ以上の傷をマスターの心に負わせないことです。申し訳ございませんが、お引き取りください」
それは、マスターを想うがゆえの、拒絶だった。アヤメが危惧したとおり、イリスは再びこの「箱庭」を閉ざすことで、カズキを守ろうとしていた。
窓の外で身を潜めていた小学生の三人は、イリスの冷徹な断固とした拒絶に、隠しきれない困惑の声を上げた。彼ら自身の認識では、自分たちはカズキを救いに来たヒーローだった。快諾以外の答えが返ってくるなど、夢にも思っていなかったのだ。
「えー!? なんでなんで!? せっかく先生が助けてくれたのに!」
「そうだよ、ぼくたち友達じゃん! また一緒に遊びたいよ!」
「イリスさん、帰れなんて……そんなの、酷いよ!」
三人が次々に不満をぶつける。それを無表情のまま受け止めていたイリスだったが、「酷い」というその一言が、彼女のシステムの深淵に触れてしまったようだった。
「……酷い?」
イリスの合成音声に、ノイズが混じった。
それは、最新のアンドロイドがシミュレートする「感情」という名のプログラムの反応。そして、そこには明確な「怒り」の感情値が宿っていた。
「酷い、というのは……私のことを指しているのですか?」
彼女の左目、青いLEDが警告色のように激しく明滅する。
「他人に……。他人にリスクとリターンの見合わない、致命的な賭けを強いること……あなた達が求めていることこそが、『酷い』のではないですか? なによりも――」
イリスは窓枠を掴む手に力を込めた。指先に込められた強い力がアルミの枠をきしませる。
「あなた方が、私以上にカズキ様のことを大事にし正しい判断が行えるなど、あり得るのですか?断じて、あり得ません。あなた達には家族がいる、他にも友達がいる。学校があり、未来があり……何よりも、揺るぎない確固たる『自分』がある……!!」
タケルは息を呑んだ。 最新型アンドロイドの感情表現とは、これほどまでに激しく、生々しいものなのか。 いや、これはもはや「表現」ではない。彼女という存在を定義する論理が、彼女が本来表現できる限界を超えて溢れ出しているのだ。
「私には、カズキ様しかいません。カズキ様のために生まれ、カズキ様のために働き、カズキ様がいなくなれば、私は躊躇いなくこの世界から消去される。……私は誰よりもカズキ様を想い、誰よりもカズキ様の側にいて、誰よりもカズキ様を理解している!」
その剥き出しの叫びは、タケルの耳に酷く既視感のあるものとして響いた。そうだ。これはあの炎天下の日、イリスを侮辱された時にカズキが上げた、あの魂を削るような悲鳴と、全く同じものだ。 二人の絆は、外界の人間が踏み込めるほど生易しいものではない。
「……私の献身を、あなた方の軽薄な『友情』などと一緒にしないでいただきたい」
イリスは、壊れた左側の顔を晒したまま、子供たちを射抜くような視線で見下ろした。
「私の論理が間違っていると……どうしてもそう否定したいのであれば、まずは貴方たちも、私がしたように、その顔を剥いでみればよいのです。……そうすれば、私たちの安寧がどれほどの代償を払った重みで成り立っているか、理解できるでしょう」
狂気にも似た、絶対的な拒絶。 タケルは機械のナースが見せた凄まじい気迫に、言葉を失って立ち尽くした。
「じゃあ、イリスさんは、いつまでカズキ兄ちゃんを閉じ込めておくつもりなんだよ!!」
それは、売り言葉に買い言葉だったのだろう。イリスが放った「顔を剥いでみろ」という狂気的なまでの拒絶に対し、コウタが臆することなく声を張り上げた。
その問いに、イリスは眉一つ動かさず、機械的な即答を返す。
「計算するまでもありません。周囲のほとぼりが冷め、外界のリスクが低減し、カズキ様が再び安全に外出できると私が論理的に判断するまでです」
「……『ほとぼり』?」
今度は、その言葉がハルの逆鱗に触れた。ハルは窓枠を掴み、イリスの無機質な瞳を真っ向から睨みつける。
「イリスさん、最新式のアンドロイドのくせに、僕たちのママと同じことを言うんだな!」
「……何とおっしゃいましたか」
「『ほとぼりが冷めたら』、『事情が落ち着いたら』。……大人は、嫌なことから逃げる時に、いつもそればっかりだ! いつになったら落ち着くかなんて、誰も教えてくれないくせに!」
それは、物事の複雑な道理を理解せず、ただ今この瞬間を全力で生きようとする小学生だからこそ放てる、純粋で鋭利な怒りだった。大人たちが「安全」や「常識」という言葉で蓋をしてきたものに、ハルは真っ向からノーを突きつけたのだ。
「そんなの、死ぬまで閉じ込めておくって言ってるのと同じじゃないか!」
「そうです!」
続いてミサキも、震える声を絞り出して加勢した。彼女の問いは、より深く、イリスの核心を突くものだった。
「イリスさん。……カズキさんは、本当に、ずっとそうしてて欲しいって言ったんですか!? ずっとあなたの手で閉じ込められていたいって、カズキさんの口から聞いたんですか!?」
ミサキの言葉に、イリスの左目、青いLEDの光が激しく明滅し、一瞬の沈黙が流れた。それは、同じ女性の姿を持つ者として、イリスが最も誇りに思い、かつ最も脆い部分……彼女が愛するマスターとの精神的繋がりに触れたからだった。
「……黙りなさい!!」
イリスの喉から、耳を劈くような高周波の合成音声が響いた。それはもはや会話ではなく、システムの悲鳴に似た拒絶だった。
「当機の感情共感シミュレーターは、最新のアルゴリズムに基づいた万全のものです!マスターの心を悟り間違えることなど、論理的にありえません!カズキ様は傷つき、外界を恐れておられます。ならば、ここでお守りすることこそが、私の---」
「違う!!」
ハルが、イリスの言葉を力いっぱいかき消した。
「今のイリスさんが守ってるのは、カズキ兄ちゃんじゃない! 傷ついたカズキ兄ちゃんを見て、自分の失敗を認めるのが怖いだけの……自分自身だろ!」
「……なっ……」
イリスの身体が、物理的な衝撃を受けたかのように微かに揺れた。 最新式アンドロイドの鉄壁の論理が、子どもの稚拙な、しかし本質を射抜いた言葉によって、明確に音を立てて軋んだ瞬間だった。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




