Part.22:教師の導き、再び
親たちが敷いた強固な監視網と、社会的な圧力によって進退窮まったタケルたち四人。
彼らが救いを求めて向かった先は、やはりあの場所しかなかった。夏休みも終わりに近づいているにもかかわらず、その教師は案の定、助手のアンドロイド、アヤメと共に、冷房の効いた物理準備室に出勤していた。
ガララ、と引き戸を開ける。冷気と共に、コーヒーの苦い香りと、ハンダの焼ける匂いが漂ってきた。
準備室の中は、前回訪れた時よりも明らかに荒れていた。作業台の上には、分解された機械の部品や、手書きの計算式が書かれたレポート用紙が雪崩のように乱雑に広げられている。デスクの端には、飲みかけのコーヒーカップや栄養ドリンクの空き瓶が林立し、彼のここ数日の不摂生を物語っていた。
部屋の主であるシミズ先生は、椅子の背もたれに深く沈み込み、どこか疲弊し、苛ついたような顔で天井を仰いでいた。タケルたちが部屋に入ると、傍らに控えていたアヤメが静かに告げた。
「先生。待ち望んでいた『お客様』がいらっしゃいました」
「……余計な形容詞をつけなくていい、アヤメ」
シミズは気だるげに作業台から顔を上げ、入り口に立つ子どもたちを一瞥した。
「おや、君たちか。夏休みも終わりだというのに、随分と熱心だね」
彼は鼻に乗った眼鏡を中指で押し上げ、子どもたちの顔からふいと目を逸らすと、わざとらしいほど大きな声で喋りだした。
「アヤメがこんなことを言っているが、勘違いしないでくれたまえよ。別に私は、君たちが来るのを待っていた訳じゃないぞ。私はただ、この新しいアンドロイドの倫理モジュールの解析が終わらないから、仕事をしていないと落ち着かなかっただけだ」
その不必要なほどの自己弁護は、逆に子どもたちに十分すぎるほど伝わった。 この部屋の荒れ様、そして彼の消耗した表情。彼が今回の「大人の拒絶」と「暴力未遂」という事件について、どれほど心を痛め、悩み続けていたか。その言葉一つで明確に理解できた。
シミズは、この街でアンドロイドの献身を論理的に理解できる数少ない大人だ。だからこそ、イリスの純粋な献身と、カズキの彼女に対する必死の愛情を、「精神異常者の悪行」「危険な機械」として一方的に拒絶した「大人の世界」の非論理性が、彼自身の理性を苛んでいたのだろう。
「……先生。聞いてください」
タケルは一礼し、一歩前に出た。彼は、あの白い家で育まれた、歪んでいるけれど純粋な愛情の形。カズキが怒った本当の理由――自分ではなく、イリスへの侮辱に対する悲鳴であったこと。そして今、親たちの監視体制が敷かれ、カズキとイリスに近づくことすらできなくなってしまった現状を、包み隠さず全て話した。
シミズは、腕を組み、目を閉じてタケルの話を聞いていた。 全てを聞き終えると、彼は静かに、深くため息をつき、顔を上げた。
「……事情は理解しました。確かに、タケル様方のやり方は……結果論から言えば、完璧でなかった面もございます」
アヤメが言った。
シミズは作業台のパーツを指先で弾いた。
「だが、それでも。君たちが取り組んだ『安寧の進化』の試みは……最も非論理的な大人の偏見や、事なかれ主義によって阻止されていいほど、無意味なものではなかったはずだ」
彼の声には、強い熱が宿っていた。 それは、論理的に見て正しい試みが、感情的な壁によって無力化されたことへの、科学者としての、そして教育者としての強い憤りだった。
「偏見というノイズが、美しい数式を汚すのを黙って見ているのは、私の性分じゃない」
シミズは椅子を回転させ、子どもたちの方へと向き直った。その目には、変わり者の研究者としての光ではなく、子どもたちの未来を導こうとする、教師としての使命感が宿っていた。
「もちろん、私が君たちに協力したいという意思は変わらないよ。……さあ、君たちは次に何がしたい? このまま諦めるか、それとも――」
シミズは試すように問いかけた。
「君たちは、どんな未来を望むんだい?」
「ぼくは……」
シミズの問いかけに対し、真っ先に手を挙げたのはやはりハルだった。彼は真っ直ぐな瞳で、心の底からの願いを叫んだ。
「ぼくは、カズキ兄ちゃんとイリスさんと一緒に、キャンプに行きたい!!」
「……キャンプ?」
予想外の牧歌的な単語に、シミズは目をぱちくりとさせた。タケルが慌てて補足する。
「実は、あの事件の少し前に、みんなでキャンプに行く約束をしていたんです。カズキさんも『人目のないところなら』と承諾してくれて、イリスさんも『屋外での療養』として準備を進めてくれていました」
タケルは悔しげに拳を握りしめた。
「ですが……今は家も親たちに見張られていて、僕たちが近づくことも、ましてやカズキさんたちが出発することもできません。あの家は今、完全な牢獄、軟禁状態です」
シミズは腕を組み、険しい表情で話を聞いていた。彼は、子どもたちの純粋な計画が、「大人の偏見」という見えない壁によって物理的に封鎖されている現状を痛感していた。
「なるほど。社会的な監視、か。君たちの『安寧の進化』の試みを、最も原始的な『村八分』という暴力で封じ込めているわけだ。非論理的極まりない」
シミズ先生は忌々しげに現状をそう断じると、椅子を揺らして天井を仰いだ。しばらくの沈黙の後、彼の頭の中で何かの回路が繋がったのか、ふっと口元が緩んだ。それは科学者が実験の成功を確信した時の、不敵な笑みだった。
「……だが、それなら話は簡単だ」
彼は作業台の上の乱雑な資料の山から、一冊のファイルを乱暴に引き抜いた。表紙には『アンドロイド倫理と社会適合性』と書かれている。まさにイリスのことだ。
「彼ら、監視している親たちを、あの家の周りから一時的にでも引き剥がせればいいわけだろう?」
シミズは目を細め、ニヤリと笑った。
「ならば、私が囮になろう。彼らを対象に、学校で緊急の講習会を開くんだ。題して――『夏休み特別企画! AI社会における児童教育とリスク管理、及び家庭内のテクノロジーの役割について』とか」
「……説明会、ですか?」
「ああ。どうせ彼らは今、君たちのおかげで『危険なアンドロイド論』には興味津々だ」
シミズは眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「そこへ来て、『専門知識を持つ教師』が『リスク管理』の話をするとなれば、彼らは飛びついてくる。権威に弱い彼らのことだ、自分たちの正義を補強する材料があると思い込んで、喜んで集まるさ」
彼の作戦はこうだ。親たちが学校に集められ、シミズの難解な講義に釘付けになっている数時間の空白。その隙に、子どもたちがカズキたちを連れ出し、街を脱出する。彼らが目の前の『論理的な話(という名の安心)』に気を取られている間に、子どもたちは『非論理的な幸福』を追求してしまえばいい。
だが、タケルはこの作戦の鮮やかさに感心すると同時に、その後に待ち受けるリスクを懸念せずにはいられなかった。
「でも、先生! それだと……僕たちが逃げた後、親たちに責められるのは先生じゃないですか?」
もしカズキたちの外出が発覚すれば、親たちの怒りの矛先は、陽動を行ったシミズに向かうだろう。「教師がグルになって危険人物を野放しにした」と糾弾されれば、彼の立場も危うくなる。
「先生の負担が大きすぎます。僕たちのためにそこまで……」
タケルの純粋な心配に対し、シミズはふっと表情を和らげた。そこには、いつもの変わり者な研究者の顔ではなく、生徒を守ろうとする大人の優しさと、深い決意が滲んでいた。
「心配するな。私はこう見えても一応、アンドロイド倫理の専門家だ。彼らを言いくるめる……いや、説得するくらい造作もないさ」
彼は椅子から立ち上がり、白衣を翻した。
「それに……私自身も、彼らの偏見と傲慢さには、一度ガツンと言ってやりたいと思っていたところなんだ」
シミズの瞳に、静かだが熱い炎が宿る。
「『論理的な正義』と『感情的な偏見』。どちらが人として正しい在り方なのか、教師として、証明してやろうじゃないか」
それは単なる子どもたちへの協力宣言ではなかった。「大人の偏見」に対する、「大人の論理」による宣戦布告だ。
「さあ、善は急げだ。私はすぐにPTAの連絡網を使って招集をかける。君たちは準備をして、明日の正午、作戦開始だ」
「……はい!」
タケルたちは力強く頷いた。 大人の理不尽によって閉ざされた扉。それをこじ開けるための最後の鍵を、彼らは手に入れたのだ。
「――お待ちください、タケル様」
ハルたちが先に廊下へ飛び出し、最後にタケルが準備室を出て行こうとしたその時。それまで無言で控えていたアヤメが、静かに彼を呼び止めた。
「……先ほどは、幼い彼らの前でしたので申し上げませんでしたが」
アヤメは変わらぬ無表情のまま、少し声を潜めた。
「先生の計画には、一つだけ……致命的な穴、いえ、不確定な障害がございます」
このタイミングで、わざわざアンドロイドであるアヤメが警告してくる意味。タケルは瞬時にその意図を察した。
「……イリスさん、ですね」
タケルの脳裏に浮かんだのは、最後に目にした光景だ。泣き崩れるカズキを守るように抱きしめながら、その背中でタケルを無言で拒絶していた、あの鉄壁の姿。
「はい。機体の主人である男性の意志にもよりますが、今回の暴行未遂の一件を受け、そのMAU-2502型は『主人をこれ以上外界のリスクに晒さない』という方向で、論理的な結論を固めている可能性が極めて高いと思われます」
アヤメの指摘はもっともだった。イリスの最優先事項はカズキの安寧だ。彼女が外界に彼を傷つける要素しかないと最終的な判断を下せば、彼女は喜んで彼を一生部屋の中に閉じ込めるだろう。それが最も確実な安全策だからだ。その場合、外部からの説得は困難を極める。
だが。タケルはアヤメの瞳を見つめ返し、問いかけた。
「アヤメさん。……今回の計画は、正直言ってシミズ先生にはリスクしかありません。学校や保護者との関係が悪化するかもしれない。それでも、あなたが先生を全く止めようとしなかったのは、なぜですか?」
アヤメは一瞬、瞬きをした。
「それは……マスターの決定に従うのが、我々アンドロイドの基本職務でございますので」
「それだけですか?」
タケルが重ねて問うと、アヤメは視線をわずかに泳がせた。そして、一拍置いて、少しだけ人間臭く、照れくさそうに続けた。
「……それに、あの方はやる時はやるお方です。普段は生活能力が欠落しており、少々『抜け作』ではございますが。……ここ一番では正しい選択をし、困難を乗り越えると、私は信じております」
それは、論理を超えた信頼だった。タケルは微笑んだ。
「イリスさんも、同じだと思うんです」
「え?」
「あの人も、心から主人であるカズキさんのことを想っています。だから、もしカズキさんが『外に出たい』と本気で思っているなら……あの人はそれを信じて、どんな危険からも彼を守って、支えてくれるはずです。あなたと同じように」
タケルの言葉に、アヤメは論理的な反論を試みた。
「ですが……そもそも今となっては、深い精神的ダメージを負ったカズキ様が、それを望んでいるかさえ定かではありません。確率は極めて低いかと」
「大丈夫ですよ。……多分ですけど」
「なぜ、そのような不確定なことが言えるのでしょうか」
タケルはドアノブに手をかけ、振り返った。
「ぼくたち……友達なので」
根拠はない。論理もない。なんなら、直近では肯定の言葉すらもらえなかった。けれど、それ以上の理由は必要なかった。タケルは一礼すると、ハルたちの待つ廊下へと駆けていった。
その背中が見えなくなるまで見送っていたアヤメの肩を、背後からポンとシミズが叩いた。
「……タケル様、少し先生に似てきたかと思われます」
アヤメがため息をつきながら言うと、シミズ先生は苦笑交じりに答えた。
「えっと、アヤメ。それは褒めているのかな?」
「半々でございますよ、先生」
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




