Part18:Happy End…
嵐のような子供たちの興奮がようやく一旦収まり、揉みくちゃにされていたカズキは、なんとか彼らの輪から解放された。
だが、もう一人の主役はまだ捕まったままだ。
「すっげー! 腕の中、本当に秘密基地みたいになってる!」
「ねえねえ、触ってもいい?」
店の奥、駄菓子が積まれた棚の前では、イリスが依然として子どもたちの好奇心の波に飲まれていた。
彼女は「過剰な物理的接触は推奨されません」と冷静なシステム音声で警告しつつも、その場を動こうとはしない。されるがままに腕のハッチを開閉し、機械部分を見せている。
彼女の半分剥き出しになった機械の顔は、子どもたちの好奇心の対象であり、同時に彼らを拒絶せず受け入れる、不思議な引力となっていた。
カズキは、そんなイリスの様子を、少し離れたレジ横の柱にもたれかかりながら休息を兼ねて見つめていた。
薄暗い店内。埃と甘い砂糖の匂いが混じる空間で、彼の顔の左側にある大きな傷跡は、蛍光灯の下で痛々しく陰影を落としている。
ふと、視線を感じて横を向くと、店番台に座った小柄な老婆が、分厚い眼鏡の奥から人懐こい笑みでじっとカズキを見ていた。
その眼差しには、通りすがりの人々が向けるような無遠慮な好奇心も、生理的な嫌悪もなく、ただそこにいる客を見るような、穏やかで静かな色が宿っている。
カズキは、見られることに対する条件反射的な居心地の悪さと、湧き上がる小さな疑問に突き動かされ、ぽつりと口を開いた。
「……あなたは、ぼくの顔を見ても驚かないんですね」
店主のおばあさんは、ふふっと笑い、顔中に深い皺を刻んだ。カズキの言いたいことなど、誰にでもわかる。
「『こんな顔を見ても……』って言いたいんだろうけどね。歳をとるとね、見た目の綺麗さなんて大した問題じゃなくなるんだよ」
彼女は自分の顔を指さしながら、快活に言った。
「私を見てごらんよ。若い頃はそりゃあ美人だったかもしれないけど、今は梅干しみたいなしわくちゃさ。でも、誰も驚きやしないだろ?」
おばあさんは、カズキの傷跡から視線を外し、自分の胸元をポンと叩いた。
「大事なのは、心。内面だよ、内面。あんたがどんな顔をしてようと、ここが腐ってなけりゃ、人間は美しいもんさ」
彼女の言葉は、道徳の教科書にあるような、ありふれた慰めのように聞こえるかもしれない。その教えはカズキの心の最も柔らかな部分に、深く、鋭く突き刺さった。だが、それは癒しではない。
「心、ですか……。確かに、そうですね」
見た目よりも、心。それは否定出来ない道徳的真理だ。
だからこそ、辛い。
カズキの視線が、子どもたちに囲まれるイリスの背中に吸い寄せられる。
白衣の天使のような彼女の顔を半分奪ったのは、不慮の事故ではない。カズキ自身の醜い嫉妬と絶望、そして言葉の暴力だった。彼女の傷は、彼のそれとは違う。
「でも、ぼくは……それすらも……」
僕は、その心すら醜く歪んでしまった人間だ。
彼女をあんな姿にした罪人が、「内面は美しいです」なんて、文字通り口が裂けても言えるはずがない。
カズキの顔が、傷の痛みとは違う、内側からの苦痛で歪む。
そんな彼の沈んだ様子を見て、おばあさんは彼の抱える事情の深さを察したようだった。
彼女は、それ以上深くは聞こうとしなかった。
「……話したくなければ、話さなくてもいいよ」
代わりにおばあさんは、「よっこいしょ」とゆっくり立ち上がり、ブーンと低い音を立てている古びた冷蔵ケースへと歩み寄った。
「……でも、覚えておきな。あんたのその身体の傷は治らないかもしれない。でもね」
彼女はケースの扉を開けた。
「身体と違って、その気になれば、心はいくらでも綺麗になれるんだよ」
ガコン、という音と共に、彼女はケースの中からよく冷えた瓶を取り出した。
水滴のついたガラス瓶が、カズキの目の前に差し出される。
「これは見舞いの品だよ。暑い中、よく来たね」
手渡されたのは、ビー玉の入った冷たいラムネだった。
カズキは、その冷たさが手のひらから全身に染み渡るのを感じた。それは、自分の醜さを否定せず、ただ「これから」の可能性を許してくれた、温かい冷たさだった。
カズキは、瓶を両手で包み込むように持ち、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……。これは、ラムネのお礼です」
彼はポケットから小銭を取り出し、店番台に置こうとした。
それは単なる代金の支払いではなく、彼女のくれた言葉と、一瞬の救いに対する、精一杯の感謝のしるしだった。
だが、おばあさんはしわくちゃの手でそれを押しとどめた。
「『今日は』お代はいらないよ」
彼女はカズキの目を見て、ニカっと笑った。
「……その代わり、また来な。また来て、その時2倍払ってちょうだいな」
それは、「二度と来るな」と拒絶され続けてきた彼に対する、「また来てもいい」という許可証であり、未来への約束だった。
カズキは、握りしめた小銭と冷たいラムネの感触を噛み締めながら、何度も頷いた。
駄菓子屋を後にした一行が家路につく頃には、空は燃えるような茜色に染まっていた。
昼間の暴力的な日差しは鳴りを潜め、川面を渡る風が少しだけ涼しさを運んでくる。
5人と1機を包む雰囲気は、夕闇とは対照的に明るかった。
それも当然だろう。子どもたちにとっての現在の最大目標である、「カズキ兄ちゃんを外に連れ出す」というミッションが、これ以上ない形でつつがなく完了したのだから。
まるでRPGのクエストを達成した冒険者パーティーのような、誇らしげな凱旋だった。
「いやー、ラムネ美味かったな!」
「おばあちゃん、面白かったね」
ただただ無邪気に喜んでいる小学生三人組はもちろんだが、最後尾を歩くタケルもまた、胸の奥で深い感慨を噛み締めていた。
彼は、シミズ先生から託された「夏休みの宿題」---『開かずの家』の扉を開けるという難題を、ようやくこなすことができたのだ。肩の荷が降りるような安堵感が、心地よい疲労と共に全身に広がる。
(……悪くないな、こういうのも)
誰かのために動き、悩み、そして結果として誰かが救われる。
この成功体験は、まだピンボケしたままで定まらない彼の将来のビジョンを、具体的に描きだすための重要な部品の一つになるかもしれない。そんな予感がした。
「………4人とも」
不意に、前を歩いていたカズキが足を止め、振り返った。
夕日を背負った彼の顔は逆光でよく見えないが、その声は穏やかで、芯が通っていた。
「本当に、ありがとう。君たちがいなければ、ぼくは今でもあの暗いリビングに、ただ膝を抱えて閉じこもっていただけだったろう」
それは、飾り気のない本心からの感謝だった。
その言葉を聞いたハルは、照れ隠しのようにニカっと笑うと、カズキの背中をバンと叩いた。
「水くさいこと言うなよな〜。俺たち、もう友達だろ!」
「……いてっ。はは、そうだな」
苦笑するカズキと、得意げなハル。
今更だが、少しは年齢差と相手の怪我を弁えてほしいものだ……とタケルは呆れつつも、その光景を微笑ましく見守った。
その時、ハルが何か良いことを思いついたとばかりに、ポンと手を打った。
「そうだ! ねぇ、みんなでキャンプに行こうよ!」
「ええー、またキャンプぅ?去年も行ったじゃん」
コウタが呆れた声を上げるが、ハルは止まらない。
「だって、夏休みだぜ? せっかくカズキ兄ちゃんも外に出られたんだし、もっと遠くに行こうよ! 星とか見てさ、バーベキューしてさ!」
またハルの思いつきが始まったか。タケルが制止しようと口を開きかけたが、意外なことに、カズキが顎に手を当てて考え込んだ。
「キャンプ、か……。そうだな、あまり人のいないところなら、いいかもな」
カズキの顔には、拒絶ではなく、前向きな検討の色が浮かんでいた。
彼は傍らに控えるイリスに視線を向けた。
「……イリス。キャンプ場の選定と、道具の準備ってできるかい? もちろん、君も一緒だ」
マスターからの具体的なオーダー。
普段なら、食い気味に「最適解」を即答するはずの彼女だが、この時は違った。
「…………」
イリスの反応は、珍しくコンマ数秒ほど遅れた。
まるで、並列処理で何か別の、重い計算を行っているかのように。
「――かしこまりました、マスター。人数、場所、及びマスターの体調を考慮し、最適なプランの準備を進めておきます」
一瞬の空白の後、彼女はいつもの完璧なシステム音声で答えた。
「やったー! キャンプだキャンプだ!」
「カレー作りたい!」
「海が見えるところがいいな!」
子どもたちは歓声を上げ、和気あいあいとキャンプの計画を立て始める。その輪の中心で、カズキも楽しそうに相槌を打っている。
だが、唯一その幸福な輪に入らない存在がいた。
イリスだ。
彼女は一歩引いた位置から、夕焼けに染まる楽しげな一行を見つめていた。
彼女の左の瞳、その奥にある青いLEDが、不規則に、そして激しく明滅を繰り返している。
それは、処理落ちの合図ではない。
システムが、差し迫った脅威を検知し、警戒レベルを引き上げていることを告げる、無言の警告信号だった。
まるで、この穏やかな時間が、このまま何事もなく終わるはずがないということを、彼女だけが予見しているかのように。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




