Part.19:粗大ゴミ
晴れ晴れとした気分で帰宅し、玄関のドアを開けたタケルとハル。 だが、リビングに入った彼らを待ち受けていたのは、夕食の温かい匂いではなく、氷点下の冷気だった。
「タケル、ハル。……そこに座りなさい」
腕を組み、食卓に座っていた母親の声は、有無を言わせぬ厳しさを帯びていた。二人が恐る恐る椅子に座ると、母親は鋭い視線を投げかけた。
「あんた達、毎日一体どこに行っているの?」
「え、えと……、あ、新しい友達の家に! ……あ!宿題はちゃんとやってるよ!ほら、ドリルも進んでるし!」
ハルが目を泳がせながら、必死に弁解する。だが、母親の表情はピクリとも動かない。
「そうね、偉いわ。……でも今は、その”友達”が、誰なのかが問題なのよ」
ドキン、とタケルの心臓が跳ねた。母親の口調、そしてその目は、既に答えを知っている者のそれだった。ご近所の噂ネットワークか、あるいは誰かの親からの連絡か。いずれにせよ、誤魔化しは効かないようだった。
タケルは覚悟を決めた。ここで嘘を重ねれば、カズキたちの立場はさらに悪くなるだけだ。
「……彼らは、悪い人じゃないんだ」
タケルは、言葉を選びながら慎重に話し始めた。
「ただ、過去の事故で深く傷付いて、自信を失っているだけで……。確かに見た目は少し変かもしれないけど、本当に、悪い人たちじゃ……」
タケルは必死に、彼らの人間性と、自分たちがそこで何を学び、どう感じたかを伝えようとした。だが、その懸命な弁護の言葉が、母親の不安を払拭できたかどうかは分からなかった。そして、この家庭内の小さな波紋は、やがて訪れる大きな嵐の予兆に過ぎなかった。
結論から言えば、タケルたちを始めとする純粋な子どもたちと、カズキ、そしてイリスによる歪んだ主従関係との交流は、その範囲が家の外へと広がるにつれて、外界の「常識」と激しく衝突することを避けられなかったのだ。
「顔半分が機械の、不気味なアンドロイド」と、「顔に傷を負った、引きこもりの男」。そんな得体の知れない主従に、自分たちの純粋な子供たちが懐き、あまつさえ家に上がり込み外出まで共にしているという光景を、周囲の親たちは明確に「異常」と見なした。
それは確かに差別的であり、偏見に満ちた視線だった。だが同時に、それは”親”というシステムが持つべき、当然の防衛本能の発露でもあった。彼らにとって、愛する子供たちに近づく「未知の危険因子」は、時間をかけて理解する対象ではなく、素早く排除すべき最優先事項なのだ。
そして、ついにその日が訪れた。
暑さ真っ盛りの夏休みの中盤。容赦ない日差しが地面を焦がす正午過ぎ、ミサキの両親を中心とする複数名の保護者たちが、カズキの家へと押しかけた。彼らが手にしているのは、「危険な交友関係の排除」という名の、錆びついた正義の刃だ。その顔には、自分たちの行動こそが子供を守るための正義であるという、疑いようのない確固たる信念が張り付いていた。
その日も、子どもたちはカズキの家に遊びに来ていた。インターホンの音に呼び出されたカズキは、逃げることもできず、真夏の日差しが照りつける玄関先で彼らの応対を強いられることになった。ハル、コウタ、ミサキの三人は、リビングの入り口付近に固まり、不安と心配の色を浮かべながら、その背中を見守ることしかできない。
玄関先に立った大人たちは、不快感を隠そうともしない冷たい視線を、カズキの傷ついた顔に向けた。白い一戸建てという遮断された安寧の空間に、外界の常識という名の刃が、容赦なく振り下ろされた瞬間だった。
「あの、カズキさん、ですよね?」
先頭に立ったミサキの母親が、冷ややかに口火を切った。
「うちの娘が、あなたの家に頻繁に通っていると聞きました。……はっきり言いますが」
彼女はカズキを、そして何よりもその隣に無言で控えるイリスを一瞥し、吐き捨てるように言った。
「あなたのような怪しい方と、こんな不気味なアンドロイドに、うちの子を関わらせるのはやさめていただきたいの」
カズキは、顔の傷を白日の下に晒したまま、隣のイリスと共にその言葉を受け止めていた。彼の表情は強張っていたが、反論はなかった。彼は、外界が自分のような異物を拒絶したくなる心理を、痛いほど理解していた。
そして、その理解によって、なんとか腹の底から湧き上がる怒りを抑え込んでいた。だが、その心臓は早鐘を打ち、イリスの視界に表示される彼のバイタルセンサーは、既に警告レベルの赤色を示していた。
「……申し訳ありません」
カズキは頭を下げた。
「ですが、彼らは私の体調と環境を理解し、その上で---」
彼らが友人として自らの意思でここに来ているのだと、カズキが言葉を選んで慎重に説明しようとした、その瞬間だった。
「大体!」
他の親の一人が、カズキの言葉を遮った。彼女の矛先はカズキ自身ではなく、彼の隣で静かに佇むイリスへと向けられた。その目は、汚物を見るような嫌悪感で見開かれていた。
「何なんですか、この壊れた機械は。こんなものを直さずに側においておくなんて、精神的におかしいとしか思えません」
彼女はヒステリックにまくし立てた。
「早く修理するか、粗大ゴミとして捨ててください。こんなグロテスクなもの、子供たちに見せられる神経が理解できません!」
それは、カズキに対しては辛うじて機能していた”相手も人間である”という最低限の道徳的ブレーキが、相手が「機械」であるという理由で完全に外された、純粋な悪意の言葉。
イリスのAIは、その言葉を「論理的根拠のない感情的発言」であり、「業務遂行に支障のないノイズ」として処理した。近所の犬や鳥の鳴き声と同じ。彼女自身が傷つくことはない。
だが、その瞬間、カズキの頭の中で、何かが弾ける音がした。
それは、彼の心の中で、必死に怒りの感情を抑え込んでいた「罪の意識」という重い蓋が、内圧に耐えきれず、勢いよく吹き飛んだ音だった。
彼自身の傷への侮辱なら、耐えられた。甘んじて受け入れさえしただろう。しかし、彼の罪を共有し、自らを犠牲にして献身を捧げるイリスへの侮辱は……彼にとって、絶対に侵させてはならない聖域だった。それは、イリスの存在意義と、彼らが築き上げた歪だが尊い愛の形を、外界の浅薄な論理で「ゴミ」として断じられたことに他ならなかった。
カズキの理性が焼き切れ、自己嫌悪という枷が砕け散る。その瞳に宿ったのは、初めて純粋な形で外界へと放たれる、殺意に近い激昂だった。
「……誰が」
今まではどこか自信なさげに俯き加減で話していたカズキが、弾かれたように顔を上げた。 その動作はあまりに急激で、首の骨が鳴る音が聞こえたような錯覚すら覚えさせた。
彼の右の瞳は、どす黒い怒りの炎で燃え上がっている。 抑えきれない激情で紅潮したその顔の中で、光を浴びた左側の痛々しい火傷の痕が、血管の膨張と共にさらに赤く、どくどくと脈動しているように見えた。その姿は、まさに彼らが恐れていた「怪物」そのものだったかもしれない。
「”誰”が、ゴミだ!」
カズキの喉からほとばしった咆哮は、単なる怒声ではなかった。それは、自分の愛する、そして今の自分を愛してくれた唯一の存在を否定しないでくれという、魂からの悲鳴であり、絶叫だった。
「ふざけるなッ!」
カズキは、抑えきれない激情に突き動かされるまま、イリスを侮辱した母親に向かって、大きく拳を振り上げた。理性のタガが外れ、暴力という最も原始的な衝動が彼の身体を支配する。その拳は、間違いなく相手の顔面を砕く軌道を描いていた。
しかし、その拳が恐怖で硬直した母親の鼻先に届く、コンマ数秒前。隣に静止していたはずのイリスが、人間の動体視力では追えないほどの驚異的な反応速度で動いた。
彼女のシステム内で、赤色の警告灯が明滅する。
【警告:マスターによる他者への加害行動を予測】
【判断:当該行為は、社会的制裁及び自己嫌悪によるマスターの精神的安寧の完全崩壊を招く。阻止行動を開始】
「マスター! いけません!!」
イリスはカズキの懐に飛び込むと、その細い体躯からは想像もできない怪力で彼の胴体を抱え込み、そのまま地面へと押し倒した。
ドサァァッ!
鈍い音が響き、土埃が舞う。 カズキの拳は空を切り、彼はコンクリートの地面に縫い付けられた。暴行は、文字通り寸前で阻止されたのだ。
「離せ! イリス、離してくれえぇぇぇっ!!」
カズキは獣のように吼え、イリスの拘束から逃れようともがく。だが、その気になった医療用アンドロイドの出力に生身の一般人が敵うはずもない。
「いけません、マスター! 落ち着いてください!」
イリスは、暴れるカズキを傷つけないよう、しかし絶対に逃さない絶妙な力加減で制圧し続けた。彼女は必死に、論理的な説得を試みる。
「ここでその行為をしてしまえば、貴方は加害者になります!社会との断絶は不可逆なものとなり、マスターの安寧の崩壊は決定的なものとなります!どうか、どうかお鎮まりください!」
だが、目の前で繰り広げられた狂乱の光景は、観客であった母親たちの神経を焼き切るには十分すぎた。実際の暴力事件にはならなかった。怪我人もいない。だが、カズキが見せた沸騰した殺意と、それすらも人間離れした力でねじ伏せるアンドロイドの異様さは、彼らの抱いていた不安を「確信」へと変え、この関係を決定的に決裂させた。
「ヒッ……! きゃああああ!」
親たちは、恐怖に顔を引きつらせ、悲鳴を上げた。
「やっぱり狂ってる! 警察よ、警察に訴えてやるわ!」
「近寄らないで! 化け物!」
彼女たちは口々に罵りの言葉を吐き捨てると、呆然としていたわが子の手を痛みを感じるほどの強さで引き、逃げるようにその場から走り去っていった。かつて彼女たちが持っていた「子供を守る」という正義感は、今やカズキへの絶対的な嫌悪と恐怖へと変貌していた。
遠ざかる足音と、子供たちの泣き声。 それらが聞こえなくなっても、イリスはカズキを放さなかった。 炎天下の玄関先、カズキの荒い息遣いだけが、虚しく響いていた。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




