Part.15:自由研究『アンドロイド』
あれから、さらに何日かが過ぎ、7月が終わり8月、夏休みの本番を迎えた。
子どもたちは連日のようにカズキの家に通い詰め、奇妙で不器用な主従との仲を深めていた。
リビングルームは、もはや彼らにとって第二の教室であり、秘密基地となっている。
「ハル様、計算式が雑です。論理的な道筋を省略することは、思考のエラーを招きます」
「うぅ……イリス先生、厳しいよぉ」
午前中は、イリスの厳格な監督下での宿題タイムだ。
リビングのテーブルでは、ハルたちがドリルと格闘し、イリスが容赦のない赤ペン指導を行っている。彼女の意識が子どもたちの教育リソースに割かれている今なら、聞かれることもないだろう。
タケルは、リビングの隅のソファで本を読んでいたカズキに、そっと声をかけた。
「カズキさん。……今、少しだけいいですか?」
カズキが顔を上げる。その表情は以前よりも幾分明るくなっていたが、タケルの真剣な眼差しを見て、居住まいを正した。
「ああ、構わないよ。どうしたんだい、改まって」
「ご不快にさせたらすみません。……あの、例の『ナースのオバケ』の噂について、どうしても一つ、聞きたいことがあるんです」
その単語が出た瞬間、カズキの細い肩がビクリと大きく震えた。
それは久々に見る、彼の傷を不用意につついたことによる「痛み」の条件反射だった。イリスが近くにいれば、即座に警告の言葉を発していただろう。
カズキは一度目を伏せ、浅い呼吸を繰り返してから、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には確かに怯えがあったが、それよりも目の前の少年に対する誠実さが勝っていた。それは、カズキからのタケルたちに対する、確かな信頼の証だった。
「……いいよ。ぼくに分かることなら、何でも話そう」
「ありがとうございます」
タケルは声を潜め、記憶にある噂のディテールを慎重に紡いだ。
「子どもたちの間で広まっていた『ナースのオバケ』の噂には、こんな一節があるんです」
タケルは一呼吸置き、告げた。
「---『夜な夜な、顔に包帯を巻いた男性を引きずるように連れて、街を徘徊している。彼は手術に失敗した、オバケの被害者である』……と」
カズキの表情が凍りつく。
「僕はこの一節が、ずっとおかしいと思っていました。イリスさんは、カズキさんを外界の視線から守る『完璧な防壁』として機能していたはずです。彼女があなたを晒し者にするような真似をするはずがない。……であれば、その噂に『カズキさんと思われる男性』が現れるのは変だ」
タケルは、カズキの目を真っ直ぐに見つめた。
「それは、誰かの見間違いなんでしょうか?」
その指摘を受けたカズキの表情は、沈痛そのものだった。
彼は初めて会った時のように深く俯き、リビングの影に溶け込むような、陰鬱な声で回答した。
「……それは、間違いなく僕だよ」
「えっ」
「実はね。この家に住むようになってからしばらくして……何度か、イリスに手を引いてもらって、人の少ない真夜中に外に出たことがあったんだ」
カズキは、自身の膝の上で握りしめた拳を見つめた。
「ずっと閉じこもっているのは良くない、リハビリだと思ったんだ。イリスも、誰もいない真夜中なら、闇に紛れてなら、危険ではないかもしれないと納得してくれた。顔を包帯で隠して、イリスに手を引かれて……」
彼は自嘲するように口元を歪めた。
「でもやっぱり、どこかで見られてたみたいだね。包帯男と、顔の壊れたナース。……そりゃあ、オバケにも見えるか」
その経験は、彼に「自分は社会に受け入れられない異物である」という事実を骨の髄まで実感させ、今も彼を蝕み続ける、猛毒のように苦い思い出だった。
彼は外に出ようとした。だが、世界は彼を恐怖の対象としてしか見なかったのだ。
だが、その告白を聞いて、タケルの中で一つの確信が生まれた。
(やっぱり、そうだ)
カズキは、外の世界を完全に諦めていたわけではなかったのだ。
彼は、恐る恐るでも、傷つきながらでも、やはり外に出ることを望んでいたのだ。ただ、その方法とタイミングが、あまりにも孤独すぎただけで。
タケルは、カズキの拳に自分の手を重ねることはしなかった。それは無責任な慰めになる気がしたからだ。
代わりに、彼は未来への提案をした。
「辛いことを思い出させてしまい、ごめんなさい」
タケルは頭を下げた。そして、顔を上げて力強く言った。
「でも……今度はぼくたちと一緒に、外に出てもらえませんか」
「え?」
「夜中じゃなくて、太陽の下へ。オバケとしてじゃなくて、僕たちの友達として。……カズキさんが、その気持ちになったときでいいので」
カズキは驚いたようにタケルを見つめた。
その瞳の奥で、諦めという名の灰の下に埋もれていた残り火が、小さく、けれど確かに揺らめいたのを、タケルは見逃さなかった。
その日の午後、ハルたち小学生三人組は、ドリルより難しい宿題に取り組んでいた。それは、自由研究。彼らはそのテーマを『アンドロイド』に定めたようだった。
そして今、彼らは目の前にいる「生きた(稼働する)教材」であるイリスに対し、取材記者さながらの熱心さで質問を投げかけている。
近年アンドロイドは急速に普及が進んでいるとはいえ、個人で所持している家庭はまだまだ珍しい。確かに、このテーマに取り組むには最高の環境と言えるかもしれない。
リビングのローテーブルには、画用紙の束と色とりどりの色鉛筆、そして学校から支給されたタブレット端末が広げられている。
ミサキが、鉛筆を片手に真剣な眼差しで尋ねた。
「ねえ、イリスさん!イリスさんのこと、もっと詳しく教えてください!どこで生まれたの?」
「好きな食べ物は?」
「必殺技はある?」
男子2人のアンドロイド博士への道は遠そうだ。
その無邪気な要望を受けたイリスは、質問の意図を「機体スペックの開示要求」と解釈した。彼女は居住まいを正し、淀みないシステム音声で回答を開始する。
「私のこと……ですか?本機はサイバー・アポロズ社製医療・介護用アンドロイド、型番はMAU-2502です。製造工場は機密情報のため開示できません。本機は昨年リリースされた最新型モデルで、主に大規模医療機関での運用を想定されています。従来の医療用アンドロイドと同様にミリ単位の誤差も許さない高い医療オペレーション精度に加え、最大の特長として患者の精神状態に寄り添うための高機能な感情シミュレーションエンジンを実装、また、動力源である大容量バッテリーは48時間以上の連続稼働が可能であり、緊急時の搬送に対応するため、成人男性の平均値を大きく上回る身体性能を備えており……」
「……あー、うん。すごいね⋯⋯」
滔々と語られるカタログスペックの羅列に、子どもたちの目が次第に死んだ魚のようになっていく。
子どもたちが求めていたのは「すごそうなエピソード」であって、「取扱説明書、または製品カタログの読み上げ」ではなかったのだ。MAU-2502型の感情共感機能は、子供相手には改善の余地があるようだった。
「えーと、なんかこう……もっと『アンドロイドっぽい』こと、できませんか?」
コウタが助け舟を出すように、SF映画のようなイメージを期待して尋ねた。
「もっとこう、ウィーン!ガシャン!みたいな。近未来な感じのやつ!」
子供たちは、その「ウィーン!ガシャン!」を無くすために技術者がどれほど努力しているかを知らないようだ。
イリスは、その「アンドロイドっぽい」という極めて抽象的かつ非論理的な要求に、一瞬戸惑いを見せて小首を傾げた。
「……この顔では、ご不満でしょうか?」
彼女は自らの左手を持ち上げ、剥き出しになった左半分の顔を指差した。
チタン合金の骨格、明滅するLED、駆動するサーボモーター。
誰がどう見ても、それは「アンドロイドそのもの」であり、SF的な非日常の象徴だ。
だが、純粋な子供たちにとって、その認識は少し違っていた。
彼らにとって、その機械の顔はもはや「恐怖の対象」でも「機械の証」でもなく、単なる「イリスさんという友達のお姉さんの個性」として馴染んでしまっていたのだ。
だからこそ、改めて「アンドロイドっぽさ」を求めようとすると、顔だけでは物足りない。
イリスはもう一度高度な演算処理を行い、彼らの言う「期待値の論理」を理解した。
彼らが求めているのは、機能説明ではなく、視覚的な驚きだ。
「……承知いたしました。では、こちらはいかがでしょうか」
イリスは立ち上がり、自らの白いナース服の左袖を、肩までゆっくりと捲り上げた。
露わになったのは、傷一つない滑らかな人工皮膚に覆われた、人間と見分けがつかない美しい腕だ。
子どもたちが固唾を飲んで注目する中、彼女の腕に微かな電子音が響く。
……カシャッ。
次の瞬間、彼女の二の腕の人工皮膚の一部が、まるでスライドドアのように滑らかに開き、内部へと収納された。
そこには骨や筋肉の代わりに、無機質な収納スペースが広がっていた。
青白い内部照明に照らされ、滅菌された注射器のアンプル、小型の診断用センサー、圧縮包帯などが、整然とラッキングされている。
「うわぁ……!!」
子どもたちから歓声が上がった。
「本機は、状況に関わらず常に迅速な医療行為を提供出来るよう、このように機体内部に緊急用医療器具を格納できる仕様になっています。これであれば、『アンドロイドっぽい』という貴方たちのご期待に添えるのではないでしょうか」
「すっげぇ!!」
「カッコいい! 秘密基地みたい!」
「イリスさん、ロボットアニメみたいだね!」
子どもたちの目は、驚きと興奮で最大限に輝いている。彼らは先を争うようにスケッチブックに向かい、そのギミックを描き写し始めた。
リビングのソファからその様子を眺めていたカズキが、隣に座るタケルに小声で問いかけた。
「……彼らはなぜ、自由研究のテーマにアンドロイドを?もっと簡単なテーマもあっただろうに」
タケルは、スケッチブックに「すごいぞ! イリスさん!」と大きな見出しを書いているハルの背中を見つめ、優しく答えた。
「あいつら、学校で発表したいらしいんですよ。『イリスさんは怖いオバケじゃない、こんなに凄くて優しい、僕たちの友達なんだぞ』って、みんなに紹介したいんだそうです」
それは、自らの大切な友達が、世間から「オバケ」として誤解されたままでは悲しいという、子どもたちの純粋で真っ直ぐな願いだった。
自分たちが知っている彼女の素晴らしさを、正しい形で世界に証明したいのだ。
「……そうか」
カズキの喉が、小さく動いた。
「それは……ありがたい話だな」
彼は口元に穏やかな笑みを浮かべていたが、その瞳の奥は、涙の膜が張ったように潤んで揺れていた。
子どもたちは、イリスのために戦おうとしている。偏見と戦い、彼女の尊厳を守ろうとしている。
なのに、その主である自分は、未だにこの家の中に隠れているままだ。
「……ぼくも」
カズキの独り言のような呟きが、タケルの耳に届いた。
「ぼくも……彼らの期待に応えるべき日が、来ているのかもしれないね」
その言葉には、これまでのような自嘲や諦めではなく、確かな決意の重さが宿っていた。
タケルは何も言わず、ただ深く頷いた。
夏休みが終わるまで、あと少し。
「箱庭」の扉が開く時は、もうすぐそこまで迫っていた。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




