Part.14:課金コンテンツは全てを解決する
そんなゲーム三昧の楽しい、夢のように幸福な日々(小学生の基準に依る)が数日続いた、ある日の夕暮れ時。
帰り支度を始めた子どもたちに向けて、カズキが唐突に爆弾を落とした。
「ところで君たち、夏休みの宿題はやっているのかな?」
その一言が放たれた瞬間、玄関の空気が凍りついた。
ハル、コウタ、ミサキの三人は、「ギクッ」という擬音が聞こえんばかりの勢いで、ピタリと動きを止める。
背中から冷や汗が流れる音が聞こえてきそうなほどの硬直ぶりだ。
視線が泳ぎ、誰もカズキの目を見ようとしない。答えを聞くまでもなく、彼らがまだページの一つもめくっていないことは明白だった。
カズキは呆れたように、しかし楽しげに告げた。
「……なるほど、状況は理解した。なら、明日からはルール変更だ。ここに来るなら宿題を持ってきなさい。その日のノルマが終わるまで、ゲームは禁止だ」
「ええーーっ!?」
「そんなぁ……」
阿鼻叫喚の悲鳴が上がるが、カズキの決定は覆らない。これは「箱庭」の主としての、教育的指導だった。
そして翌日。
カズキの鶴の一言に従い、彼らは重い足取りで、真っ白な……本当に驚くほど手付かずの宿題セットを持ってやってきた。
リビングのローテーブルにはドリルやプリントが広げられたが、鉛筆の動く音は聞こえてこない。聞こえるのは唸り声と、消しゴムを使う音だけだ。
開始から三十分。
一番最初に限界を迎えたのは、やはりハルだった。
「……ダメだ、わかんないよ〜〜! なにこれ、暗号!?」
ハルは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。そして、救いを求めるように、部屋の隅で待機していた人間離れした知能を備える万能の存在を見上げた。
「イリスさーん、教えてー!」
だが、イリスの反応は冷ややかだった。
彼女は姿勢を正したまま、いつものシステム音声で即答する。
「以前より何度も申し上げていますが、当機は『医療・介護用』アンドロイドです。児童の学習指導は、私の職務に含まれておりません」
イリスのいつもの”論理的否定”。完璧な正論だ。彼女の仕事はカズキの看護であって、児童館の運営ではない。
だが、数日この家に通い詰めている子どもたちもさる者だ。彼らは既にこの鉄壁の防御を突破する術を学習していた。
『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』ならぬ、『馬を動かさんと欲すれば先ず将を射よ』だ。
イリスの同意を得たければ、まずはカズキに声をかければいい。ハルは即座にターゲットを変更した。
「ねぇカズキ兄ちゃん、イリスさんに勉強教えてもらいたいんだけど、ダメ?」
ソファで本を読んでいたカズキは、顔を上げて苦笑した。
「……それ、僕じゃダメなのかな? 一応、高校までは出てるんだけど」
元俳優で(半分だけ見れば)美形の兄貴分よりも、同じく半壊した顔のアンドロイドの方が教師として人気がある現実に、カズキは少しだけ拗ねたような顔をした。
だが、ハルの懇願するような目には勝てない。
「……まあいいや。イリス、教えてあげなよ。ただし、答えをただ教えるだけじゃダメだぞ。ちゃんと解法を理解させるんだ。教育的意義がないと意味がないからな」
マスターからの命令。子供たちの思惑通り、これでイリスは動くはずだ。
だが、今日のイリスは珍しくそれでも難色を示した。
「お言葉ですが、マスター。私はあくまで医療用に特化した機体です」
彼女は困ったように眉を寄せた。
「マスターの命令ということであれば『児童への教育』も実行しますが、私の現在のデータベースでは、彼らの学力レベルに合わせた適切な指導法や、モチベーション管理といった教育的アプローチにおいて、マスターにご納得いただけるクオリティを提供することは困難かと推測されます」
つまるところ、論理の申し子である彼女は完璧主義者なのだ。中途半端な仕事は、彼女のプライド(あるいはプログラム)が許さないらしい。
イリスはカズキを直視し、続けて解決策を提示した。
「よって、私はサイバー・アポロズ社が提供する拡張オプション、”教育用学習データパッチ(小学生高学年向け)”の適用を希望いたします」
拡張オプション、つまりアンドロイドに機能を追加するコンテンツデータのことである。
“今の自分にはそもそもその機能がないから、インストールさせてほしい”という主張だ。
カズキは嫌な予感がして尋ねた。
「……それ、もしかしなくても、有料かい?」
「有料です」
イリスは表情一つ変えずに即答した。
カズキは深いため息をつきながら、手元のタブレットを開いた。所有者のみがアクセスできるイリスの管理画面にアクセスし、オプションストアを検索する。
表示された「教育用学習データパッチ(小学生高学年向け)」の価格は……大人のカズキなら当然買える額だが、小学生の夏休みのドリルを教えるためだけに払うには、決して安くはない金額だった。
「……商魂たくましいな、サイバー・アポロズ社は」
カズキはぼやきつつも、購入ボタンをタップした。認証が完了し、データがイリスへと送信される。
数秒後。
イリスの左目、青いLEDが一度強く瞬いた。
インストール完了。彼女の雰囲気が、ふわりと変化した気がした。医療従事者の厳格さの中に、教育者の理知的なオーラが加わったようだ。
「パッチの適用を確認しました。……ありがとうございます、マスター」
イリスはどこか満足そうに一礼すると、ハルたちの待つテーブルへと歩み寄った。
その足取りには、新たな機能を手に入れたことによる自信が満ち溢れていた。
「マスターの命令を実行します」
イリスはハルの隣に膝をつき、彼の手元にある算数ドリルをスキャンした。
そして、ニッコリと……完璧すぎて逆に恐ろしいほどの笑顔で言った。
「では、始めましょうか。……まずは貴方たちの、論理性の欠如および基礎的演算処理能力の不足を修正するための、徹底的な指導から開始します」
「「「えっ」」」
ハルたちの顔が引きつった。
彼らが期待していたのは「優しく答えを教えてくれるお姉さん先生」だったが、代わりにそこに現れたのは「データに基づき最短効率で脳みそを叩き直すスパルタ女教師」だったのだ。
「逃げ場はありませんよ。さあ、鉛筆を持って」
この日、リビングには子どもたちの悲鳴にも似た勉強の声が、夕方まで響き渡ることとなった。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




