Part.13:電子の洗礼onゲーム
その翌日。タケルが目を覚ました時、窓の外の日差しは既に完全に真上の位置にあった。昨日の興奮と緊張の糸が切れたのか、あるいは単に夏休みの魔力か。彼は高校生らしく、たっぷりと惰眠を貪ってしまったようだ。
のそのそとリビングへ降りていくと、そこには既に弟の姿はなかった。キッチンで昼食の支度をしていた母親が、欠伸をするタケルに背中を向けたまま言った。
「あら、やっと起きたの。おはよう、寝坊助さん」
「……うっす。ハルは?」
「あの子なら、朝ご飯を食べたらすぐに飛び出していったわよ。『新しいお友達の家に行くんだ!』って。……ねえタケル、あの子、夏休みになってから毎日出かけてるけど、あんまり朝早くからお邪魔して、先方に迷惑じゃないかしら?」
母親の何気ない言葉に、タケルの脳裏にあの「箱庭」の住人たちの顔が浮かんだ。朝早くから小学生たちの襲撃を受けた、カズキの困ったような苦笑と、イリスの感情の読めない無機質な瞳。……彼らが実際にどう感じているかはさておき、社会的常識で照らし合わせれば、間違いなく迷惑だ。あそこは児童館ではない。
(あいつら、調子に乗りすぎだろ……)
イリスがカズキに提供する「安寧維持プロセス」が、ハルの騒々しさを「排除すべきノイズ」と再認定しない保証はない。自分もさっさと追いかけて、弟の手綱を握った方が良いかもしれない。タケルがそう考え、きびすを返そうとしたその時だった。
「ちょっと、待ちなさい」
母親の声色が、少しだけ変わった。それは、日常の会話から、親としての指導モードへと切り替わった合図だった。
「あなたもあなたよ。昨日もその前も、ハルたちと遊んでたでしょ。……ちゃんと、将来のこと考えてるんでしょうね?」
タケルの背中に、冷や水を浴びせられたような感覚が走った。それは、高校生を持つ親ならば誰でも口にする、さして深い意味を持たない小言だ。悪気などない、ただの心配。だが、なんとなく将来のビジョンが思い描けず、焦点の定まらない日々を送っていたタケルにとって、それは最も痛い場所を正確に刺す針のような言葉だった。
「……考えてることは考えてるんだけど、まだ全然決まってないと言うか……」
タケルは振り返らず、モゴモゴと歯切れ悪く答えた。自分は結局、何をしたいのか?答えを知りたいのは彼自身だ。今、彼の頭の中を占めているのは、あの「開かずの家」のことばかり。カズキとイリス、あの奇妙で悲しい主従の助けになりたいという思い、彼らを「箱庭」から連れ出したいという情熱は、間違いなく本物だと思う。だが、それが将来の役に立つのか? アンドロイド工学? 心理学? 福祉?どれもピンとこない。今の活動は、ただの夏休みの思い出作りで終わるのか、それとも……。
その答えにたどり着けないタケルを見透かすように、母親はため息交じりに言った。
「そうなの? まあ、じっくり考えるのも大事だけど……それでスタートが出遅れてたら意味ないからねぇ。とりあえずでも、ちゃんと勉強は進めておかなきゃダメよ。選択肢が減っちゃうんだから」
正論だった。 今のカズキが「選択肢」を失って苦しんでいる姿を見ているだけに、その言葉は重く響いた。
「わ、わかってるよ……!」
タケルは逃げるように声を張り上げた。この場に漂う、じめっとした現実の空気から逃げ出したかった。
「ハルのやつ、相手の迷惑も考えないで上がり込んでるかもしれないから!俺、迎えに行ってくる!」
「あ、ちょっと! ご飯は!?」
「いらない!」
弟を出汁に使い、タケルは朝食も摂らずに家を飛び出した。玄関のドアを閉め、真夏の熱気の中に飛び込む。アスファルトからの照り返しが肌を焼くが、家の中の重苦しさよりはずっとマシだった。タケルは、自分の将来という「見えない不安」から目を逸らすように、自転車のペダルを全力で踏み込んだ。
そして、進路という重たい現実から逃げるように自転車を飛ばし、汗だくになってタケルが「開かずの家」のリビングに辿り着いた時。そこには、彼の憂鬱を吹き飛ばすような、熱気ある光景が広がっていた。
大型モニターの前で、弟のハルがコントローラーを握りしめ、全力で向き合っていたのは……人生の壁ではなく、対戦アクションゲームの強敵だった。その背後にはコウタとミサキも同様に控えており、どうやら三人掛かりで挑んでいるらしい。タケルは壁の時計を見た。まだ午前中だが、この熱中ぶりを見るに、彼らは早朝から押しかけていたに違いない。
「……ああっ、くそっ! また負けたー!!!!」
ハルの絶叫と共に、画面に無情な「GAME SET」の文字が浮かび上がった。ハルががっくりとソファに崩れ落ちる。その対面のソファで、カズキが涼しい顔でコントローラーを置いていた。どうやら、この元・俳優、現・引きこもりの青年は、ゲームの腕前も相当なものらしい。
「ははは、まだまだ甘いな、ハル。動きが単調だぞ」
「うぅ……カズキ兄ちゃん、強すぎるぞ。手加減してよ!」
まだ半日しか経っていないにも関わらず、早くも「カズキ兄ちゃん」呼びが定着していることにタケルは呆れつつも、この奇妙な空間が、子どもたちにとって居心地の良い場所になっていることには安堵した。
だが、その熱狂に冷水を浴びせる影があった。それまでソファの脇で完璧な姿勢で直立し、戦況を見守っていたイリスが、静かに一歩前に出た。
「マスター、及びゲストの皆様。そろそろ昼食の時間です」
彼女の機械的な声が、ゲームのBGMを切り裂いた。
「連続した長時間の視覚的・精神的興奮状態は、自律神経の乱れに繋がります。健康のためにも一度ゲームを中断し、休息を取られることを強く推奨します」
確かに、いい時間だ。というより、朝からやっているなら長すぎる。
「……ん、そうだな。もうそんな時間か」
イリスの言葉を聞くとカズキは素直にコントローラーを脇に置き、伸びをした。彼は信頼する彼女の管理指導には絶対服従なのだ。
「一旦休憩にしようか。イリス、彼らの分もお昼ご飯を用意できるかな……?」
「ご安心ください、マスター。そう仰られると予測し、既に追加で四名分の食材の準備を完了しております」
「さすがだな。メニューは?」
「本日の気候と皆様の運動量を考慮し、喉越しの良い素麺と、タンパク質補給のための茹でチキンのサラダをご用意いたしました」
相変わらず、イリスは完璧な従者だ。無駄が一切ない。
だが、ゲームで負けっぱなしの子どもたちは納得できない。
「えー、やだ! まだ遊びたいよ!」
「そうだよ、一回も勝ててないのにご飯なんて食べられない!」
ハルとコウタがブーイングを上げる。そして、コウタが起死回生の一計を思いついたかのように、顔を輝かせながらイリスを指差した。
「そうだ! 僕たちばっかりずるいよ。イリスさんも一緒に遊ぼうよー!」
その提案に、リビングの空気が一瞬凍りついた。
タケルは確かにそれを見た。コウタの無遠慮な誘いを受けた瞬間、イリスの右半分の美しい顔、その整った眉が、ピクリと微細に跳ね上がったのを。
(……あ、怒った?)
いや、違う。それは感情的な怒りではない。それはおそらく彼女のAIが、マスターの休息を妨害しようとする子どもたちに対し、「教育的指導」が必要であると判断した合図だ。
イリスはゆっくりと首を巡らせ、カズキを見た。
「マスター、よろしいですか?」
「え? まあ、ぼくは良いんだけど……」
イリスのしようとしていることを察したのか、カズキは苦笑いを浮かべ、子どもたちの方を見た。
「やめとけって。悪いことは言わない。ぼくにすら勝てない君たちじゃ、イリス相手じゃ勝負にならないぞ?」
だが、その忠告は逆に子どもたちの闘争心に火をつける。イリスは、カズキの手からコントローラーを恭しく受け取ると、ソファには座らず画面の前に立った。直立不動。ナース服のアンドロイドが、最新ゲームのコントローラーを握る。その光景はシュールだが、彼女が放つオーラは真剣そのものだった。
「それでは、1ゲームだけお付き合いさせていただきます」
イリスの声は、氷点下の冷たさ。
「条件を提示します。もし私が勝ったら、即座にゲームを終了し、大人しく昼食休憩を取っていただきます。……構いませんね?」
「「「のぞむところだ!」」」
ハルたちがコントローラーを構え直す。
「ハンディキャップと時短を兼ねて、貴方達は三人一斉にかかってきて構いません。協力プレイで私に挑んでください」
イリスの左目、青いLEDが鋭く光った。
「ただし……私は手抜きは一切しませんよ。医療用とは言え、最新型アンドロイドのスペックを、甘く見ないことです」
試合開始のブザーが鳴った。
その後の数分間を、タケルは生涯忘れないだろう。それはゲームではなかった。一方的な蹂躙であり、電子の洗礼だった。
イリスの指の動きは、人間の目には残像しか見えなかった。無駄な動きが一切ない。最適化された入力速度は早すぎることはなく、ゲーム機の処理限界ギリギリを完璧に攻めていた。画面の中の彼女のキャラクターは、まるで未来予知でもしているかのように、子どもたちの攻撃を全て最小限の動きで回避し、正確無比なカウンターを叩き込んでいく。
「え、ちょ、まっ、動けな……!?」 「わあああ! なんでそっちにいるの!?」 「無理無理無理! 当たんない!」
リビングに阿鼻叫喚が響き渡る。3人がかりでも、彼らはイリスのキャラクターにかすり傷ひとつ負わせることができなかった。イリスは、右半分の美しい顔も、左半分の機械の顔も、一切表情を崩さないまま、淡々と、しかし慈悲なく、子どもたちの心をへし折っていく。
「GAME SET」
画面に表示された文字が、死刑宣告のように見えた。完封負け。ハルたちは真っ白な灰のようになってソファに沈むこととなった。
イリスは、少し熱を持ったコントローラーを静かにテーブルに置くと、完璧な姿勢で3人に一礼した。
「ーーーお粗末様でした。では、約束通り、昼食の時間とさせていただきます。皆様、手を洗ってダイニングへ移動してください」
当然だがその声に、勝利の喜びはなかった。ただ、スケジュールを遂行する管理者の淡々とした対処。 子どもたちは、主人を守ろうとするアンドロイドに逆らうことの、恐ろしさを疑似的に知ることとなった。彼らは無言で立ち上がり、トボトボと洗面所へ向かう。
タケルは、その様子を「言わんこっちゃない」という顔で見ていたカズキと顔を見合わせ、声を殺して笑った。この家には、やはりカズキとイリスなりの、奇妙だが確かな「秩序」があるのだ。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




