Part.11:愛する2人は美しい
「……やっぱり、幼い子たちは純粋だな」
カズキは、目を細めてハルたちを見つめた。その眼差しには、相変わらず乾いた諦念が滲んでいたものの、同時にどこか懐かしむような、温かい感情も宿っているようにタケルには感じられた。ハルたちの迷いのない言葉は、凍りついていたカズキの心に、久方ぶりの温もりを運んできたのだ。カズキ自身も確かにそれを認めた。
だが同時に、彼はこうも考えていた。その純粋さは、世界の残酷さを知らないが故のものだ、と。
自分の抱える絶望の重さ、犯した罪の深さをまだ理解できないからこそ、彼らは無邪気に「遊ぼう」などと言えるのだ。自分がイリスの血にまみれた自らの手で彼らのそれを安易に握り返すことは、汚れた自分が彼らを巻き込む無責任な行為ではないのか……そんな自制心が、彼の心を縛り付けていた。
だからこそ、カズキは視線を外し、改めてタケルの方に向き直った。リビングの白い照明の下、彼の左側にある痛々しい傷跡が影を落とし、タケルへの無言の圧力となってのしかかる。カズキは、この子どもたちのグループの中で唯一、タケルだけが「大人の論理」に片足を突っ込んでいる存在だと見抜いていた。
「君は……この子たちの中では、一番大人だろう」
カズキの言葉には、「感情論だけではなく、私が納得できる論理で答えてくれ」という無言の期待と要求が含まれていた。彼の鋭い視線は、タケルの思考の深部を探っているようだった。
「君は何がしたくて、ここに来たんだい? ……本当の理由があるなら、教えてくれ」
ただの肝試しや、彼らの遊びに付き合わされただけというなら、ここで引き返すべきだ。
カズキは言外にそう言っていた。
同時に、彼は試していた。タケルが単なる好奇心や、安っぽい正義感だけでこの危険な「開かずの家」に足を踏み入れたのではないことを、彼は期待していたのだ。自分自身がこの家に閉じこもっている正当性……それを否定してくれる論理的な試みを、彼は心のどこかで求めているようだった。
タケルは喉をごくりと鳴らした。カズキの射抜くような期待と、その横で瞳を明滅させながら沈黙を保ちつつ解析を続けるイリスの視線。その二つのプレッシャーに晒されながらも、タケルは逃げなかった。彼は意を決して口を開いた。
彼の答えは、シミズ先生から受け取った「大人の知恵」と、弟たちから受け取った「純粋な情熱」を融合させた、新たな論理だった。
「ぼくがここに来た理由は二つあります」
タケルは声を震わせないよう、腹にぐっと力を込めた。
「一つは、イリスさんへの誤解を解き、彼女の献身を認めるためです」
イリスの眉がピクリと動く。 タケルは一呼吸置き、核心へと踏み込んだ。
「もう一つは、より最適化された『安寧』をあなたに提示するためです」
「安寧の、提示?」
カズキが怪訝そうに眉をひそめる。
「はい。カズキさんが今、この家で得ているのは、『外界からの苦痛を徹底的に排除すること』だけで成り立つ、消極的な安寧です。それは確かに安全ですが、はっきり言ってしまえば、将来性がありません。……しかし、僕たちが提示したいのは、『新しい幸福という経験を、積極的に積み重ねる』ことで成り立つ、より強固で、動的な安寧です」
タケルは、ハルの「もったいない」という直感的な感情を、カズキにも、そしてイリスにも理解できる「論理的な結論」へと変換してぶつけた。
「カズキさんは先ほど、ご自身を『醜くなった』と自嘲しました。……しかし、イリスさんはどうでしょうか。彼女の顔の傷も本来なら欠損ですが、彼女はそれをあなたと共有することで、『献身』という尊い機能へと昇華させています」
タケルはまっすぐカズキを見た。
「ならば、彼女の”マスター”であるあなたもまた、外界との関わりを通じて……その『罪』という意識を、『新しい幸福』へと上書きできるはずです。……いえ、するべきです」
タケルは、カズキの傷ついた左側から目を逸らさず、まっすぐに見つめた。
「私たちは、あなたの『罪』の代償として、あなたを責めたり、断罪したりしに来た存在ではありません。……あなたとイリスさんの『安寧の進化』のための、新しい要素になりたくて、ここに来ました。僕たちを排除し、これまでの生活をただ継続することは……論理的に言って、その『進化』の機会を損失していることになります」
タケルの言葉がそこで途切れると、重い沈黙が降りた。だが、それは単なる拒絶の沈黙ではなかった。カズキの瞳に、戸惑いと、そして微かな探求心の光が灯っていた。彼の思考システムは、タケルが提示した「安寧の進化」という概念を、単なる理想論として切り捨てることができず、すぐには拒否できない「検討すべきデータ」として受け取り始めていたのだ。
「……そして、これは」
タケルは一度言葉を切り、深く息を吸い込んだ。これまで武器にしてきた「論理」の鎧を、自ら脱ぎ捨てるように。
「これは、ぼく個人の……『感情』の話ですが」
タケルは、先ほどまでの分析的な口調から一転し、不器用だが最も誠実な言葉を、カズキにぶつけた。論理で扉を開き、感情で心を動かす。それが、今の彼にできる全てだった。
「そもそも、最初は彼らを連れて興味本位でやってきただけのぼくを、信用してもらうのは難しいかもしれません。それに、カズキさんの絶望や苦しみがわかります、などとは……口が裂けても言えません」
高校生が軽々しく「わかる」と言っていい重さではない。それはカズキへの侮辱になる。だが、『理解しようとする』こと、『受け入れる』はできる。
「ですが、カズキさんが今、『イリスさん以外の誰も信用できない』という状態にあることは……理解しているつもりです。そうなっても無理のない状態であることも」
タケルは、カズキが抱えるトラウマと、世界に対する鋭い猜疑心を否定しなかった。「信じてくれ」と迫るのではなく、「信じられない状態であるあなた」を受け入れた上で、言葉を継ぐ。
「……でも。ぼくは本当に、カズキさんとイリスさんは、『醜く』なんてないと思っています」
その言葉は、カズキが囚われている「醜くなった」という自己否定を、真っ向から否定する刃だった。その瞬間、自分を守る盾に触れられる痛みにカズキの身体がビクリと震えたのを、タケルは確かに見た。
「お互いを思い合う二人の姿が、醜いなんてことはない、そう言われてはいけないと信じています。……イリスさんの顔の傷も、あなたの傷も」
タケルは、イリスの機械仕掛けの顔と、カズキの傷ついた顔を交互に見つめた。
「あなたが言うような『罪』の証なんかじゃない。『二人がどれほど強く結びついているか』の、証だと……ぼくは思っています」
罪と罰ではない。それは、献身と愛の形だ。タケルは、カズキ自身が「罪の証」と定義し、イリスが「論理の帰結」と定義したものを、「絆」という概念へと変換し、提示した。
「少なくとも……ぼくには、そう見えています。とても、綺麗だと」
嘘偽りのない本心だった。確かに見た目は異様かもしれない。そして内実は歪んでいるかもしれない。けれど、互いのために傷を負い、互いを守り合うその姿は、タケルの目には痛々しいほどに尊く映っていた。
「だから、ぼくたちを、外の世界に出る最初の一歩だと思って使って欲しいんです。僕たちの純粋な好奇心と、友達になりたいという誘いを、外の世界に出るための『道具』として利用してください」
タケルはあえて、イリスのような言い回しを選んだ。あなたのためになるなら、道具でいい。利用すればいい。だから、出てきてほしい。それは、カズキにとって最も受け入れやすく、かつ拒絶しにくい、信用できる根拠の提示だった。
カズキは静かに沈黙した。俯いた彼の表情は、前髪に隠れて依然として見えない。だが、タケルの論理と感情が織り交ざった言葉は、彼の内側に波紋を広げ、凍りついた時間を揺り動かしていた。そして、彼の傍らに直立するイリス。彼女の左目、その奥にあるLEDは、激しく点滅を繰り返している。 彼女のシステムは今、全力で演算を行っているのだ。『タケルの提案がマスターの安寧に与える貢献度』と、『現状維持を辞めることのリスク』。
その天秤が、ガタガタと音を立てて揺れている。
お読みいただきありがとうございました。
既に執筆の方は全て完了しておりますので、
最後まで週2回程度のペースで更新していこうと思います。
もしよければお付き合いいただければ幸いです。




