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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第五章

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ep.6 暇乞い

(よし)は手紙とお金を大切に(ふところ)に仕舞い込んだ。


部屋を出て、すぐに去るつもりだったのに足が動かない。

膝から崩れ落ちた。


まるで罪人のように部屋で息をひそめている(すえ)の事を思うと、涙が溢れて止まらなかった。


...なぜ、陶さまがこんな辛い目にあわなければならないのか?


そう思うと悔しくて、仕方ない。


虫の声が聞こえる。

陶の寿命が尽きようとしている事など知りもせず、静けさのなかで、今日の夜は穏やかに過ぎていく。


腹立たしくて哀しくて、感情が右往左往している。


あれから、どれだけ時間が経ったのか分からない。

涙も枯れ果て、由は亡霊のように立ちあがった。


部屋の主に向かい深々と御辞儀をすると、足音を立てないよう静かにその場を離れた。


ゆらゆらと廊下を歩く。


まわりの景色は昨日と何も変わらないのに、今日の自分は昨日とは別の世界に居るように感じた。


今までの人生で、これほど辛いことはなかった。

心と体が離れてしまって、意識は遠くにあり痛みも感じなかった。

ここが何処なのか、自分が何をされているのかも、どうでもいい。


ヨシ、オマエハオレノ オンナダ ワスレルナ


見上げると、天井との間に自分に覆い被さる(ケダモノ)がいた。

荒い息を吐き、由の上に乗りかかり欲望を満たそうとしているようだ。


...ああ、そうだった


由は部屋へ戻る途中、助五郎(スケゴロウ)に力ずくで部屋へ引きずり込まれた事を思いだした。


ドウダ マンゾクカ ドウダ オレカラハ ハナレラレン モット ヨクシテヤル


この重たくてうざいケダモノは、どうやら自分を喜ばすことができると勘違いしてるらしい。


由は、ただ『はやく終われ』と、それだけを思った。


この世の全てが面倒で、さっさと助五郎が性欲を吐き出して、消えてくれる事を願っていた。


だが助五郎は、嫌な事しかしようとしない。

五月蠅(うるさ)く由に話しかけて、悦ぶ声を引き出そうとしている。


...望んでもなく無理やりされて、(よろこ)ぶ生き物など、この世にいるものか


冷静に考えていると、助五郎がゴソゴソと由の着物の合わせ目をまさぐり出した。

胸を(はだ)けさそうとして、ゴツゴツした(いたわ)りのかけらもない冷たい手を容赦なく入れようとして来る。


...手紙..


その瞬間、遠くにあった意識が身体に戻ってきた。


ドクン!と身体の奥に響くような心音がして、由は女ではあり得ない力を出して助五郎を跳ね飛ばした。


そして、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。


跳ね飛んだ助五郎は、目を丸くして起き上がった。

狂ったように叫ぶ由を呆然と見つめる。


由に駆け寄り口を塞ごうとすると、また助五郎の身体は弾け飛ばされた。


半狂乱で畳の上を藻搔(もが)き、手足をバタつかせ意味不明の言葉を叫ぶ由に、助五郎は怖れをなして部屋を飛び出した。


そして、転がるように逃げて行く。



...これだけは、これだけは、渡さない


陶から託されたものを絶対に守らなければならない。

その一心だけで、戦った。


この場所には誰も来ない。

物音が聞こえようが、叫び声や(すす)り泣きが聞こえようが、誰も聞かなかったことにする。

それが多の屋で働く者の暗黙の了解となっている部屋。


ドタドタと音を立て、無様に逃げた助五郎の足音も、由の狂ったような叫び声も、屋敷の何処かで誰かが聞いても騒ぐことはない。



やがて、明けの明星の光がうっすらと部屋の中に差し込み、その頃には由も正気を取り戻していた。


もう部屋には自分の他に誰も居ない。

懐のものを確かめた。

そこには、確かに陶から渡されたものが二通あり、由は安堵(あんど)して大きな溜息をついた。


乱れた着物を直すと、息を整え立ちあがる。

廊下と隔てた障子を開くと、もう朝の気配が漂っていた。


由は、部屋に戻り手早く身支度を済ませると、何事もなかったように堂々と屋敷を出る。


しばらくまわりを眺めながら待っていると、定吉(さだよし)がやって来るのが見えた。


定吉は驚いたようで、慌てて駆け寄って来た。


「荷物は、それだけでいいのかい?」


風呂敷包みひとつ抱えただけの由に、定吉は尋ねた。


「はい。これからお世話になります」


由は頭を下げた。


そして後ろを振り返り、深々と御辞儀をした。


...もう多の屋(ここ)へは戻らない。


そう決意して、由は歩き出した。





ソの郷に来てから、数か月経たずして無事に子供は生まれた。


働けない間の暮らしを(まかな)えたのも、水茶屋の店を持つことができたのも、ひとえに陶が渡してくれたお金のおかげだった。

由が陶にどれだけ感謝をしているか、きっと誰も知らない。


陶が亡くなった後も由が多の屋を訪ねる事は無く、周囲にはお世話になったはずなのに薄情な女だと、悪い噂話をする人も居たが、由は一切気にしなかった。


「名前はもう決めたのかい?」


「はい」


生まれた子供には、(たえ)と名付けた。

それは、娘が生まれたら付けようと心に決めていた名前。


「おかぁちゃん」


カタコトで自分を呼び、つかまり立ちで歩きはじめ、日毎(ひごと)に成長していく娘。


天涯孤独だった、わたしに家族が居る。

辛い時も哀しい事もあったけれど、娘の笑顔を見ると忘れられた。

こんな幸せが訪れたのは、陶さまのおかげだといつも思う。


陶に渡された物は、今でも大切に保管しているが、まだ目を通したことは無い。


陶が書いた字を見ると、会えない辛さと、最後まで身の回りのことを出来なかった後悔と、お墓参りも出来ていない罪悪感とが入り交じり、涙が溢れて止まらないからだ。


ずっとずっと、何年も大切に仕舞ってある手紙。


たまに陶が自分に何を伝えようとしたのかと、ふと考えることがある。


今日もそんな夜だった。





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