ep.4 絶句
由はその日に暇乞いを願い出た。
陶は黙って受け入れたが、助五郎はそれを知ると不満気な顔で言った。
「急いで辞める事は無いだろう。考えたほうが良いんじゃないか?」
助五郎は未練たっぷりのようだったが、由の意思は固い。
陶が受け入れたというなら、助五郎も無理強いは出来ない。
最後には渋々「分かった」と承知した。
悪阻はあったものの、由のお腹はまだそれほど目立っていない。
屋敷の奉公人にも、妊娠を気付かれずにいた。
妊娠の噂が広がる前に、陶は密かに手を回し、身重の由が安心して子供を産み育てられるよう、定吉に由の今後を託した。
定吉は、陶の頼みを快く受け入れた。
由はソの郷に住まいを移すことになったが、少し問題があった。
その頃、助五郎に和久家を通して江戸から内密の通達があり、多の屋はその対応に追われていた。
それは、ソの河に橋をかけるという、幕府の命令である天下普請の工事。
定吉は、助五郎から工事の責任者を任され、その準備に追われている。
その為、由が子供と暮らす家の立て直しに取り掛かれずにいた。
仕方なく、ソの郷に移り住む事が決まっても、由は屋敷に留まっている。
屋敷内での今までの仕事は、完全に手から離れていた。
忙しくしていた毎日が嘘のように、静かで平穏な日々を過ごす。
住めるようになったという連絡が来て、急にその翌日の朝、出ていく事となった。
身支度はとうに済ませていたので、一日をかけて部屋を隅々まで掃除して、後は明日の定吉の迎えを待つだけとなった日の夜。
由は、陶に呼びだされた。
数日前、陶は部屋替えをしていた。
その部屋は、廊下で繋がっているが屋敷の別棟にあり、広大な敷地内で表玄関からみれば奥の奥。
助五郎が集めた人相の悪い破落戸どもが『蘭の部屋』と呼ぶ、その部屋に近い人気が全くない場所。
時折、啜り泣く女の声や悲鳴が聞こえて来る事がある。
屋敷の奉公人が怖れ、毛嫌いする場所だった。
陶がその部屋に移ってから、部屋に足を踏み入れた者はいないと聞いていた。
あれほど社交的で、人と会うのが好きだった陶が、いまは誰とも会うことなく独りひっそりと暮らしている。
身の回りの世話をする奉公人とも、障子を隔てた廊下で最低限の会話をするだけで、顔を見せることがなかった。
その部屋で、陶が待っている。
由は、この場所に来るのも初めてで、少し迷いながら長く暗い渡り廊下を歩き、ようやく部屋に辿り着いた。
緊張から手足が震え、からからの喉は、唾を飲んでも潤すことが出来ない。
なんとか絞り出した声は、自分のものとは思えないほど皺がれていた。
「奥さま、 よしが参りました」
廊下から声をかけると、かすれた声で「入りなさい」と返事があった。




