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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第五章

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ep.3 屈辱

多の屋で働き始めて一ヶ月が過ぎた頃から、(よし)は微熱と身体のだるさに悩まされるようになった。


...風邪かしら? でもそれくらいで休むわけにはいかない。今は頑張らないと


自分を雇ってくれた(すえ)に恩返しをしたい。

由は疲れを感じながら、自分を叱咤(しった)して懸命に働いた。


他にも気になる事があった。


月のものが一向に来ない、もともと前の職業柄、安定していなかったが、今回はかなり遅れてる。

そのうち胸が張り、痛みが伴うようになると、これは普通とは違う身体の異変だと思うようになった。


思い当たる事がある、でもそれは考えないようにして過ごしていたが、吐き気が襲い、酸っぱいものを身体が欲しがるようになると、もう逃げられないと悟った。


...あたしは、子供を身籠(みごも)ってる


多の屋で働き始め、二ヶ月目。

こんなタイミングで、しばらく休みたいと言い出せるはずもない。


周囲に、最初から妊娠してると分かっていて、多の屋の人達の情に付け込む為に来たと勘繰られるかもしれない。

自分は元遊女、屋敷の奉公人たちからの印象は良くなかった。


同じ頃、陶の具合は日に日に悪くなっていた。


...お体の悪い奥様に、こんな相談はできない


せっかく得た安住の地を追い出されるかもしれない。

働くことで、不安を忘れるように一日を過ごしていた。


そんなある日・・・


最悪の出来事が起きた。

その日の事を、由はよく思い出せない。

あまりのショックに、記憶の中から消してしまったのだろう。

多の屋の主人で陶の夫の助五郎(スケゴロウ)に、凌辱されたことを。


・・・助五郎が去った後の空虚な自分。

頭は働き、生きてるけど感情が死んでいる。

ぼんやり天井を眺める自分の心に、(いや)しい思いがひとつ浮かんだ。


『多の屋の主人の手が付いた。(めかけ)として生きる道もある。子供を産んでも路頭に迷わずに済む


『何より、この生活を失わなくて済むかもしれない』


その打算を慌てて打ち消したが、心は弱く、それから、屋敷の人達に気付かれないよう、助五郎の部屋に通うようになった。

その度に、行き場のないあたしには他に選択肢が無いと自分に言い訳する。

でも、後ろめたさが消える事は無かった。


助五郎に身体を弄ばれても、心も身体も麻痺したように何も感じない。

助五郎を受け入れるためではなく、自分の体を守るために『ほと』が濡れる、それだけが救い。

江戸の暮らしで身についた諦めるという事、それも由の心の均衡を保つのに役立った。


暗闇を明かりを探して手探りで歩く。

そんな暮らしが続いて三ヶ月(みつき)が過ぎた頃、体調が急激に悪くなった陶は、一日のほとんどを自室で寝て過ごすようになった。


由は部屋替えし、陶の隣の部屋に移った。

移ってから、身体が思うように動けない陶の代わりに、身の回りの世話から家内向きの仕事、問屋(みせ)の諸事と、由は一日を忙殺されるようになった。


同じ屋敷内に居ても、助五郎は陶の部屋を避けていた。

四六時中、由は陶の側に居た。常に離れず、仕事をする。

そのせいか、助五郎に部屋へ呼び出される事が無くなった。


由の心も落ち着いてきた、ある日。

その日は陶の部屋で、得意先に出すお礼状の書き付けをしていた。

陶の言う文言を聴きながら書き記し、出せる準備をする。

それが終わった後、陶が何気なく言った。


「よし、あなた子供ができたの?」


心にその一言が突き刺さる。

もうこの頃には、お腹で新しい命が動いているのを感じるようになっていた。


いずれ仕事が出来なくなる、と分かっていても、由には、その事実を打ち明ける勇気が無くただ時間だけが過ぎていた。


相手は分かっていた。

年季が明ける前、もう一度だけと最後に寝床を共にした馴染みの客。

惚れた男という訳でもない。


ただ、情にほだされただけ。

その男の子供を産んだとしても、男に告げるつもりはない。


部屋の片隅で身を固くした由が見つめた方向には、布団の上に、打掛けを肩からかけて座る陶がいる。


「助五郎の子供ではないわね。...だってあの男は、子供が出来ないもの」


陶は助五郎を嘲笑(あざけ)るように、声に出し嗤った。

初めて見る陶の(すさ)んだ顔。

そんな風に人を馬鹿にする姿を、由は今まで見たことがなかった。


それは陶が、由に初めて見せる心の内の毒々しい嫉妬、悔しさ、妻の立場を踏み(にじ)られた屈辱に満ちた女の(さが)だったのかもしれない。


淡い(べに)を引いた口元が歪む。

おそろしいまでの妖しさがあった。


由はショックに言葉がなかった。

助五郎との関係を知られていたという怖れ。

恩を(あだ)で返したという罪悪感。


由の身体の震えが止まらなくなった。


由は、わなわなと震える両手を畳に這わせ、(ひたい)を擦りつけるように頭を下げた。

顔を上げ、陶の顔を見る勇気はなかった。


「も もう.し わけござ.いません、奥様。...こんなに目を掛けて頂いたのに、うらぎってしまい...」


涙が次々と(あふ)れ出し、言葉が続かない。

我が身可愛さのあまり、自分の事しか考えられなくなっていたことを恥じた。


「いいのよ。あの男はそういう男だから。謝るのは多分わたしのほう、...ごめんなさい」


陶は、それ以上何も言わなかった。







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