ep.1 遊女
年季が明けるとは、奉公人が奉公先との契約した期間が終わる事を意味する。
由の場合は、奉公する意味もその先も普通とは違っていたが・・・
商売の道具を積んだ荷車を、由の家から水茶屋まで曳く。
定吉は、毎日のように朝その作業をしてから仕事へ行き、仕事を早めに終えると夕方に水茶屋に来て、(由の)家まで荷車を曳いてくれる。
自分が来られない時は、ソの郷の職人の誰かに、荷車を曳く作業を頼んでくれる。
「女一人じゃ、荷物を積んだこの荷車を運ぶことはできないよ。ソの郷の仲間なんだから、助け合うのは当然。気にする事はないよ」
...と、定吉さんは言っていたが、どうだろう?
「重てぇのは確かだが、そんな毎日来ることはねえかな? 一人で動かせないってわけでもねえし」
そう言った石さん。
弦ちゃんが、笑顔で否定する。
「送り迎えしてるのは、定吉さんが決めた事なのですから、いっさんは、余計な事は言わなくて良いんですよ」
「余計って何だよ。本当の事を言ってるだけだろ? 良いじゃねえか」
石は不満気に口を尖らせるが、弦は笑顔で由に言った。
「定吉さんの造ったこの荷車は、女性でも動かせるくらい良く出来てると。いっさんはそう言いたいだけですから、気にしないで下さい。 いっさん、ちょっっとこっちへ・・・」
そう言う弦ちゃんに連れて行かれた石さんは、暫くして、大変しょげて帰って来て、私に頭を下げた。
きっと、女一人でも動かせると云うのは嘘では無かったはずだが、試した事はない。
最近は、わざわざ他の職人さんに頼んでまで、来て貰うのは申し訳ないので、雨の日と定吉さんの来れない日は、店を休むことにした。
...弦ちゃんには、定吉さんが、ここまで私たちの為にしてくれることは、単なる親切には見えてないんだろうな
それが当たり前だと、由も思っている。
もともと、由は江戸の人で、江戸吉原で、世間に大っぴらに話すには後ろめたい、そんな仕事をしていた。
子供の頃から吉原に居たので、その仕事に就くのは当たり前の流れだった。
吉原という籠の中で、考えないようにしながら日々を働いて過ごす。
そうしていると、ずっと遠くにあったはずのその日が、いつの間にか数えられるくらい近くにあった。
自由になれる。
その日を待ち侘び始めた頃、由は一人の老人と知り合った。
その老人は、質素ではあるけど身なりは整っていて穏やかな人だった。
決して安くはない料金を払いながら、由の体に触れようとはせずに会話と食事だけを楽しみ、帰って行く。
正直、由にはその客が何のために自分を呼ぶのか理解できなかったが、無理強いをしない金払いの良い客は、とびきり高額の金を払わずとも上客の部類に入る。
老人の予約が入り、会う時が来ると、今日は楽だなといつも思っていた...
ある夜、老人に「年季が明けたら私の家に来ないか」と誘われた。
この爺さんにも人並みにそういう下心があったんだなと、由は思った。
特に幻滅した訳ではない。
ただ話を聞いていると、それは由の想像したものとは違っていた。
尾張領で問屋を営む老人、多の屋清兵衛。
自分には老いて授かった小さな娘がいる、由にその子の相手を欲しいと言う。
座敷に呼び、会っていたのは、由の人となりを知りたかったからで、どうやら由は清兵衛の御眼鏡に叶ったらしい。
年季が明ければ、子毛という美濃の山あいにある宿場町に来て、娘の手習い(花嫁修業・勉強)を見てもらいたいと清兵衛は話した。
(当時の吉原に居た女性は識字率が高く、知識人の相手をする事もあった為、教養も備わっていた)
子毛と云う聞いたこともない宿場町の名前に眉唾な話だと、由はその時は適当に受け流した。
だが、年季明けの日は近づいて来る。
...頼れる人は居ない
天涯孤独の頼る縁者のいない身の上。
ずっと吉原で過ごし、吉原以外の世界を知らない。
外へ出られる喜びよりも不安のほうが勝り、次第に清兵衛の提案に縋る気持ちになっていった。
無事に年季が明けたその年、由は始めて吉原を出て、江戸を離れて清兵衛の言葉だけを頼りに、子毛の宿場町を目指して下る。
初めての外の世界。
不安と期待の入り混じった気持ちで、数日間の旅をして、ようやく多の屋に辿り着いた。
店の玄関口で要件を伝えると、応対した女性は怪訝な顔で由を見つめていた。
清兵衛の一人娘、陶と知ったのは、由が座敷に通された後のこと。
清兵衛が年齢のことを言わなかったのか、由が適当に聞き流してしまったのか。
どちらかはもう分からないが、普通に考えれば読み書きを教える娘の年齢は、七つ八つから十くらいの子供。
だが、陶は三十三(才)の大人の女性。結婚までしていた。
どこで間違ったの分からないが、その謎を解ける唯一の相手の清兵衛は、ニカ月前に突然の病で他界していた。
陶の説明を聞いて、由は目の前が真っ暗になり、ただ呆然として、飲みかけたお茶をこぼしかけた。
...どうすればいいの?
目の前が真っ暗に見えた。




