ep.18 執着
「本当にあるかどうか分からないものを・・俺が、よしさんを探る・・・」
弥切は、掴まれて皺の寄った着物を直している。
「そんなに深刻になるな。尾張家のルートは絶望的だが、他にもルートはある。と言っても、あとは江戸のお偉方に、直で渡す事くらいしか思いつかねえがな。それが簡単に出来るのなら苦労はしねえし、まあ、慌てず騒がずじっくりやるさ」
「江戸の役人に渡すルートが、あるのか?」
「ああ、お前にな」
弥切はニヤと笑った。
弥切が言ってる意味は、かつて江戸で奉行所の廻り方同心の下で、御用聞きをしていた俺だから、その筋(ルート)を当たれということだ。
「俺には、もう江戸で頼れる知り合いはいない。俺の知ってる同心衆はみんな死んでしまったから」
「知り合いは他にも居るだろ? いざとなりゃあ、どんな手でも使うのが当たり前じゃねえか? なんだってやれ。俺は違うルートを行く」
「違うルート?」
「お前がやってるだろう、ソの河の橋梁工事だ。あれは、尾張家というよりも、幕府のお偉方(年寄、徳川家の政務を司った重臣、老中)から直々に、和久家に降りて来た話だそうだ
「どこかの姫が内密に通る為の道造り、その一環だって噂もあるが、コトが上(幕府の中枢)過ぎて、俺らにそんな真偽が分かるはずもない。ただ凄え話だってことはわかる。俺たちが一生、拝む事すら出来無いような連中が絡んでるって話だ」
弥切は、腰掛けを跨ぎ、定吉を正面から見据えた。
「ともかく、橋梁工事と和久家の役人を世話して来たおかげで、か細いが幕府との繋がりができた。ここからは弥切か助五郎か、どちらが先に幕府に太いパイプを造れるかが分かれ道になる
「俺とお前は、それぞれのルートを探して、幕府に道を繋げる。どちらかが成功すりゃ良いんだ。おそらくこれがラストチャンス。ただ、どちらにしても、嘆願書がこの世に無いなら、この話は無駄になる」
...俺が由さんを探る・・まるで、こいつの密偵だ。いや、もう親子の暮らしを、密かに助五郎に報告している。すでに密偵なのか・・ それに弥切の言う通り、嘆願書が無ければ、今までのことは全て無意味になる
在りし日の陶の笑顔が頭に浮かんだ。
どこの馬の骨とも分からない定吉に、八九三の男。
こんな二人が、子毛の町代の助五郎の悪行を訴え出たところで、御公儀が耳を貸すはずがない。
だが、定吉が仕えていた、江戸奉行所の廻り方同心を動かした陶なら、それが直筆の嘆願書であれば御公儀が再考する可能性もある。
定吉は、これが成功する可能性を考え始めた。
...いきなり、お奉行に。いや、今の町奉行と俺はすこぶる相性が悪い。まだ知り合いの同心は、どこかに居るだろうか?
その定吉の思考を、弥切の言葉が遮る。
「悩んでるところ悪いがな、お前、よしのところに旅の女がいるのを知っているだろう」
急に話が変わり、思考の迷路にはまっていた定吉の頭はついていけてなかった。
...女? たえ? 誰のことだ
「おいおい、お前はボケちまったのか?」
弥切が呆れたように言った。
突っ立ってる定吉の袖を引き、無理やり座らせる。
「オヤジ、そこのこんにゃくと、たまごもくれ」
売り物のおでんが煮詰まるのを心配した、店主が戻っていた。
注文通りに皿に乗せ、弥切は受け取ると、それを定吉の前に置いた。
弥切は定吉の顔を覗き込みニコリと笑う。
憎めない顔だ、人たらしとは、こういう奴の事を言うのかもしれないと思った。
「女ってのは、お前が以前に子毛まで送って来たと言った、目暗の、石って言ったか? そいつの女房のことだ」
「・・・なぜ知ってる?」
「俺は地獄耳だぜ。此処ら一帯の情報は、全て俺の耳に入る。石が、宴会の残りもんを捨てに現場に行った助五郎たちとも揉めた事も知ってる
「鬼造は恥を欠かされたらしいじゃないか、えらく石と女房を恨んでいたが、居場所が分からねえじゃしょうがない。今のところはダンナも、石の女房が由の家に居る事は知らないようだがな」
「そうか・・・」
弦と石の顔が、頭に浮かんだ。
そして、まだ助五郎が知らないことに、ホッとした。
「もう一つ頼まれてくれ」
「よしさんを探るとは、一言も言ってないぞ」
「分かったよ。よしの家のことを今まで通り気にかけてやってればいいさ、その中で嘆願書の情報がありゃ、俺に教えてくれ」
弥切は定吉に近寄ると、肩に手を回して町外れを指差した。
「この方向に、朽ち果てたと言ってもいいようなボロボロの木賃宿がある。そこから石が按摩の客のところに通ってるようだが、知ってたか?」
定吉は、一瞬返事に迷った、だが正直に答えた。
「知ってる」
弥切は、ニタっと嗤った。
俺は、『お前が正直に言うと分かっていた』と言われた気がした。
この男は、ハッタリではなく調べた『事実』を質問して相手の出方を見る。
それは、目の前の相手が信用が出来る相手かどうかを見極める一つのやり方。
正直に答えるのか、嘘をつくのか。
嘘をつく時は、どんな言い訳をするのか? 仕草、表情を見る。
ときには怒らせたり宥め賺したりして、色んな方法を試して、相手を理解しようとする。
相手を上手く利用する自信があり、相手の人間性を深く理解しておくことは、いざと言う時どれほど役に立つか、分かった上でのことだろう。
「定吉、石に(按摩の)客を世話してやると言え。客は俺が見つけてある。心配するな、金払いのいい上客だ。それならいいだろ?」
「何のために?」
「ただ、石って云う目暗に興味があるだけだ。とは言っても、それほど大した理由があるわけじゃねえがな」
弥切の態度は、言葉と裏腹に石に対して強い執着を感じさせる。
ただ、その表情に策略や計算は見えなかった。
定吉は、初めてこの男の素の部分を見た気がした。
「断ってもいいんだよな?」
「お前がか?」
「いや、石さんが客をだ」
弥切は、腰掛けを跨いでいた足を戻すと、杯に酒を注いだ。
そして、杯に満たされた酒の水面をぼんやり見つめる。
「まあ、頼むわ」
ポツッ と弥切は呟き、それからしばらくの間、二人とも前を向いて黙っていた。
ふいに、弥切が紙包みを懐から取り出してテーブルに置いた。
「金平糖、甘菓子だそうだ。俺は酒呑みで辛党だから、甘いのは苦手でな。たえに持って帰ってやれ」
定吉の手は動かなかった。
八九三と云うものは、どんな所からでも相手に恩を着せて関係を深めようとする。
こういう小さな、何でも無いような事から恩を押し付けて、普通の人間の良心に訴えかけて、頼み事を断りづらくし、最後には絡め取る。
「そう警戒するな、これは、俺の個人的な話だ。おまえは仕事の話だけしてくれりゃいい。子供じゃねえんだ。その後、どうなろうとおまえに関係ねえし、石には、良い稼ぎになる。悪かねえ話のはずだぜ」
定吉が受け取ろうとしない金平糖の包みを、弥切がチラと見る。
「俺が持って帰ったってしょうがねえだろ? 要らねえなら捨てちまえよ、じゃあな」
バイバイと手を振り、弥切は話を切った。
定吉はまだ、紙包みを見て考えている。
...なぜか分からないが、石さんが現れてから子毛も俺たちも急激に変わり始めた気がする。あの人は一体何者なんだ?
目の前の六つ切り鍋のなかで、グツグツ煮えるおでんを、会話の途切れた二人が所在なく見つめていた。
「あんたは、石さんと知り合いなのか?」
どうしてもそれを聞いておきたかった。
「さあな? ただ向こうは知らねぇだろう、まあ、俺の片思いか」
フヘヘ。 弥切は、自分の発した表現に、気色悪そうに薄ら嗤いを浮かべた。
一家のナンバー2ともいわれる代貸し、助五郎の裏仕事を全て仕切っている男。
相手に隙を見せない厄介な男だが、なぜか弥切が、いま言った言葉は腑に落ちた。
...おそらく上客を紹介してくれるのは本当だろう。それに石さんを害する気は・・無いように思う。どちらかと言えば、弥切は石さんに対して、敵意より憧れを抱いているような雰囲気さえある
定吉は深く息を吸い、溜息のように吐いた。
「もし嘆願書の話をどこかで聞いたなら、あんたの耳に入れる。石さんには客の話を伝える、それだけだ」
「それで構わねえ」
弥切は、定吉に紹介する客の素性と按摩に行く屋敷の場所を伝えた。
そして木賃宿に、誰かを迎えに行かせると話した。
話は終わり、定吉は席を立った。
「おやじさん、ここにおいとくよ」
いつも自分が食べた分の金額をテーブルに置く。
『無料で食えるモノにわざわざ銭を払う馬鹿な奴』
弥切はそう思いながら、素知らぬふりをしていた。
定吉にとっては、八九三に借りは作らないという意思表示だが、そんな事は弥切も分かっている。
定吉は、特に気にするふうでもない弥切を、おそらくバカ正直な奴と内心嘲笑ってるのだろうと思いながら見ていた。
「これは、あんたの為に貰っておく。持って帰って、たえに必ず渡す」
わざわざ、大事に包み紙で覆って持ってきたものだ。
本心から、妙に渡す為に持ってきたのだろう。
弥切は答えず、箸を持ち直しておでんをつまみながら、酒を口にしている。
...よく分からない男だ
定吉は小さく溜息をついた
見つめていると、視線を感じたのだろう。
振り向きもせず、弥切は不愉快そうに言った。
「なんだ? まだあるのか」
「もう一つ聞きたい、助五郎の旦那が残りもんを捨てに行ったとはどう云う事だ」
「食えたもんじゃなかっただろう?」
そう言うと、定吉は苦虫を噛み潰したような顔で背を向けた。
背後から声がする。
「今まで通り、子毛に来たら必ず帰りに寄れよ」
定吉は無言のまま、その場を離れた。
しばらく離れてから振り返ると、弥切が店の親父と笑いながら話し込んでいるのが見えた。
定吉は、棒鼻を過ぎ子毛の山道へと出た。
そこをしばらく歩くと、脇の小道に入る。
帰りに石の泊まる木賃宿へ立ち寄るつもりだったので、小道の宿へと続く細長い畦道を進む。
しばらく行くと、遠くに竿を持ち、ひとり川岸で佇んでいる石が見えた。
「おーい、石さん。釣れてるかい?」
定吉が声をかけると、石は答えた。
「ぼうず(一匹も釣れてない)だよ。皆が飯の残り汁を撒くもんだから、あしのマズイ餌なんか食いつきゃしねえ」
地団駄踏む石と、その言い草に笑う定吉。
定吉の気分は、自然と晴れやかになっていた。




