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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第四章

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ep.16 密偵

助五郎(スケゴロウ)への報告が終わり、追われるように屋敷を出た後、梅雨空(つゆぞら)を見上げて定吉(さだよし)は思った。


...俺は何をするために子毛(ここ)に戻って来たんだ。あの人を、陰ながら助けてあげたいと思ったからじゃないのか? それがなんだこのザマは


一年ぶりに会った(すえ)は、(やまい)を患い()せ細っていた。

心配すると、「大丈夫だから、少し風邪が長引いているだけ」と言って彼女は微笑んだ。


病状は、一向に良くなる事はなかった。

寝床(とこ)に伏せることが多くなり、やがて姿を見せなくなった。

お見舞いを願い出ても会う事は許されず、亡くなる前の最後の言葉は、奉公人の女性から伝えられた。


「ありがとう」


その一言だった。


陶は何故(なぜ)、定吉に嘆願書の事を何も話さなかったのか?


...聞くまでも無い、理由など自分が一番よく分かっている。・・俺が無能で無力だから


梅雨の小休止で、今日は雨が()んでいる。


この合間に用事を済ませようと、家に閉じこもっていた人達が出て来て、町は多くの人が行き交っている。

大通りを避け棒鼻(ぼうはな)に向かい歩いていると、いつの間にやら、弥切(やキり)がいつも待っている屋台へと足が向かっていた。


嘆願書が灰になった今、弥切と話をする理由など無いが、来てしまったなら仕方ない。

定吉は、弥切とこれまでの事のケリをつける事にした。


弥切は自分の過去を助五郎にバラすと脅すかもしれない。

でも、この時はどうにでもなれと半分(なか)ばヤケになっていた。


...俺は、役立たずの出来損ない。彼女に助けてもらう事ばかりで、なんの恩も返せなかった


陶の遺言(ゆいごん)と言っても良い嘆願書。

それを公儀(おかみ)に届け、助五郎の悪行に鉄槌(てっつい)を下してもらう。


...嘆願書の存在を知った時、俺は、それに命を賭けようと思った


屋台に座る弥切の姿が見えた。

弥切も、こちらを見つけたようだ。

仲の良い関係なら、ここで手を振るのかもしれないが、俺たちは、互いに相容(あいい)れない相手。


笑顔とは真逆の、互いに睨み合うように距離が縮まって行く。


弥切は、何処で身につけたものか分からないが教養があり、子毛(こげ)のような山奥の田舎町には、二人と居ない頭の回る知恵者(ちえもの)


普通、田舎者の八九三(ヤクザ)など、暴力しか取り柄がなく、それ以外に解決の方法を知らない。

助五郎の手下で云えば、右馬(ウマ)鬼造(オニゾウ)とその他大勢。

その中で、弥切はたった一人異質な存在。頭を使って穏便に利益を得て、暴力は最終手段として使う。


こんな奴が、助五郎の手下として、こんな場所で(くすぶ)ってるのが不思議でしかない。


定吉がソの郷の職人として会った頃は、堅気(かたぎ)に混ざって問屋(みせ)の仕事をしていた。

礼儀をわきまえ、読み書き算盤(そろばん)も出来たこの男を、陶さまも重宝していたようだ。

陶さまが亡くなってからは、この男が問屋みせと裏稼業。その両方の仕入れと仕切り、帳簿の管理を預かっていると噂に聞いた。


助五郎は喜怒哀楽が激しく、感情が顔に出るので、危ない時が分かる。

だが、この男は同じようにはいかない。

言葉尻を取られただけで、後でどんな厄介事を押し付けられる事になるか、分かったものではなかった。


いつも弥切とは神経戦。

会うたびにグッタリしていたが、今日でそれも終わり。

明日からは気が楽になる。


屋台の商品のおでんはグツグツ煮えているが、主人(あるじ)は何処かに消えている。

込み入った話の時は、いつもどこかに消えている。


定吉は黙って、長椅子に腰を掛けた。


「今日は助五郎(ダンナ)と、何か話をしたか?」


「さあな?」


見ると、弥切は自分の目の前で徳利(とっくり)を揺らしていた。


「ソの河の工事が進んでないだろ、その事を言われたか?」


「それなら、夏までに完成すればいいという話だった」


コトッ 弥切は徳利をテーブルに置いた。


「へぇ、和久(わく)家の役人に、『期日までに間に合うのか』と毎日のように催促(せっつか)れてるはずなのに。ダンナは寛大だな、お前もそう思うだろう」


定吉は、返答に詰まった。


「・・ああ」

「嘘つけ」


定吉の表情が強張(こわば)る。

弥切は、そんな定吉の表情(かお)を見て嘲笑った。


「酒は?」


「まだ仕事がある」


「そりゃご苦労だな。駄賃(だちん)に俺の銭で飲んでも良いんだぜ」


弥切はそう言って酒を(あお)った。


助五郎なら『俺の酒が飲めないのか」と言い出しそうな気もするが、弥切はタイプが違う。

そんな事は気にしない。

感情に流される事がなく、冷酷なほど合理的だ。


最近の助五郎との会話は、そのほとんどが(よし)の事。

そんな話を、この男が聞きたいとは思わない。


「よしの話はしたか?」


ふいを突かれて、定吉はドキリとしたが、平静を(よそお)う。


「いつものことだ。教えて欲しいか?」


「いいや、要らんな」


...一体この男は、何を考えているのか?


ふと、屋敷内の至る所に弥切の息のかかった密偵(スパイ)がいて、何処かで聞き耳を立ててる光景が浮かんだ。


...もうどうでも良い。俺とこの男は、酒を呑んでバカ話をするような仲でもない。これで終わりだ


定吉は、自分の人生も終わりのような気がした。

これから、何を目的に生きて行けば良いのか


「もう話をするのは、これで最後にしよう。俺にはあんたと話す理由が無い」


「そうか」


弥切は、興味が無さそうだ。

定吉は椅子から立ち上がった。


「俺が見つけた嘆願書は灰にしたが、まだ他に、嘆願書は存在(ある)はずだ」


定吉は、殺気だった目で弥切を見下ろした。






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