ep.14 おでん屋
弥切は待っていた。いつもの屋台でいつものように。
梅雨が来て、いつ何時、雨が降ってもおかしくない天気が続いている。
そのせいで、ソの河の橋梁工事は、作業が全く進んでないらしい。
助五郎に呼び出されて、定吉は、いま子毛に居る。
その心中が穏やかじゃないのは、間違いないだろう。
助五郎の気分次第では、職人達を犠牲にしてでも工事を進めるしかなくなる。
助五郎との話が早く終わるか遅くなるのかは助五郎次第で、定吉は、いつ解放されるか分からない。
もしかしたら、俺が嘆願書は焼いたと言ったから、キレた定吉はもう屋台には来ないかもしれない。
嘘をついて誤魔化しても良かったが、嘆願書のコトになると、定吉は必死だ。
後々の面倒を避けるために、正直に話すしかなかった。
「お前は、すえが隠した嘆願書のある場所を知ってるんじゃないのか?」
ある日、助五郎が急にそんな事を言い出した。
「嘆願書、 はあ...」
弥切は、呆けた返事をしながら、...何処からそんな話を聞き入れたのか? と考えた。
知らないふりの芝居をしているが、脇汗は尋常じゃない。
「もし見つけたらワシに必ず報告しろ」
で話は終わったが、弥切はその後、すぐに屋敷を出て嘆願書を焼いた。
あの嘆願書を焼いても惜しくはない。
最初から、使い物に為らないと分かっていたからだ。
整った形式で丁寧に綴ってはあったが、文字は拙く、おそらく子供が書いたモノ。
書いた人間に思い当たる節が無い訳でもないが、それを追求したところで意味は無い。
内容は、助五郎の悪行を丹念に調べあげ、時系列に並べて記したものだった。
正確さは間違いないモノだったが、問題は公儀に出せるような正式な嘆願書と云えるかどうかだ。
...陶は、手紙や礼状、大事なものは常に自筆だった。嘆願書のような重要なものを、自分で書かないはずがない
どこかに陶が書いた自筆の嘆願書がきっとある
...陶が自筆で書いたものなら、公儀の目に触れても問題はないはずだ
弥切は、定吉に「お前に見せる気はない」と突っぱねた。
それは、それが子供の字で書かれた嘆願書だったからと云う事もある。
...定吉を利用する為には、嘆願書と云う希望が必要だった。わざわざ使いものにはならないモノを見せ落胆させる必要はない
だから、あの場はそう言っておいた。
昼を過ぎて、おでん屋の主人の住む長屋に行き、玄関の引き戸を蹴つり飛ばしてやると、オヤジが怯えて顔を出した。
「店を開けろ。急げ」
「勘弁してくださいよ、あたしはもう少しゆっくり仕事をしたいんです。まだ寝れる時間だってのに、こんなに早く店を開けさせられたら弱りますよ」
店のオヤジはそう言ったが、弥切は問答無用で、昼間から店を開けさせた。
「普段なら今時分は一丁先の小料理屋の所だろ、おまえの女房がボヤいてたぞ。小料理屋の若い茶屋女(給仕兼遊女)に入れ込んでるってな。若い女は、お前みたいなオヤジなんかまともに相手しねえ。金を搾り取るだけ取ったら用無しだ。古くなっても、お前の面倒をみてくれる女房を大事にしろよ」
そう言うと、おでんの蓋を開け、勝手に具材を取っていく。
「金は払うんだ。茶屋女に毟られて損する時間、儲けることができるんだから有り難いと思え」
「そんなぁ」
ニヤニヤ笑いながら、弥切は、あつあつのハンペンを口に運んだ。
・・・
それから一刻半(約3時間)は過ぎたが、まだ定吉は現れない。いつ何時になるか、来るかどうかも分からない定吉をひたすら待つ。
...俺はあいつの女か?
弥切は自然と自嘲ていた。
店のオヤジが、気味悪い顔で自分を見ているのに気付いたが、それを無視して、弥切は酒をあおる。
気がつくといつもの癖で、酒が半分入った徳利を目の前で揺らしていた。
「酒、入れましょうか?」
オヤジが聞いてきた。
徳利を振っていたので酒の催促と勘違いしたのだろう。
「いまは要らねえ」と返す。
徳利を揺らし、ぼんやりと見つめる。
頭に、陶と初めて会った日の事が思い出された。




