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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第四章 最後の会話

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ep.13 殺意

「たわ!」


弥切(やキり)が名を呼ぶと、女が振り返った。


「弥切さん。どうかしたの?」


こんなに余裕がない弥切を見たのは初めてで、心配そうな顔で多和(たわ)が見ている。


「ついて来い」


弥切は多和の腕を掴むと、グイと引っ張りながら歩き出した。


「痛いわ。いったい何なの?」


多和は、この屋敷の奉公人で弥切の情婦(じょうふ)の一人。

世に言う『行き遅れ』の年齢で、(とつ)いだことはあったが、子供が出来ない理由で離縁りえんされた。


弥切は多和が痛がり顔をしかめるのを無視して、(すえ)の部屋へと急いだ。

何処かの間抜けが、あの部屋に行って(すえ)の遺体を発見でもしたら、もう一体、遺体の処理を増やす事になる。


弥切は気が()いて、早足になる。


騒いでいた多和も、弥切のただならぬ様子に、押し黙っていた。

陶の部屋の前に着くと、弥切は声もかけずに戸を開け、有無も言わせず多和を部屋のなかへと引っ張り込んだ。

そして戸をピタリと閉める。


「絶対に声を出すな」


弥切は多和に念を押して、部屋の真ん中の白いシーツに覆われたモノへと歩いて行く。

多和は、異様な部屋の雰囲気に呑まれ漂う血の匂いも我慢して、黙って弥切の行動を見ていた。


「来い」


弥切が押し殺した声で多和を手招きする。

おそるおそる近付くと、弥切は多和の背後に回る。

もし多和が声を出しても、すぐ片手で口を(ふさ)げるように準備してから前に手を伸ばし、白いシーツを()ぐった。


多和はシーツを剥ぐった後の光景を見てもじっとしていた。

驚きのあまり、声も出せずにいるようだ。

多和は、呼吸をするのも忘れ、シーツの下の陶の死に顔を、ずっと凝視ぎょうししている。


陶の白い首筋に血溜まりがあり、流れた血液は布団を通り抜け畳まで濡らして固まりかけている。

周りを見回し、この黒い染みが陶の身体から流れ出た血の跡だったことに、多和は気付いた。


弥切は、声の出ない多和の口にそっと手を当てた。

口を(ふさ)ぐと、耳元で(ささや)く。


「奥様は、苦しみの果てに手にした剃刀(カミソリ)で、自分の喉を裂いて自裁(じさい)なされた。病魔が頭に周り、耐えられなくなったんだろう」


弥切が口元から手を離すと、多和は一息をついた。


「お嬢さまが、自分で・・・」


多和は、嫁ぎ先から出戻って直ぐに、多の屋に奉公する事になった。

それから二十年。初めて会ったのは、陶がまだ十二(才)の歳。

それから、ずっとそばで暮らしてきた。


「泣くな、たわ。お前には手伝ってもらいたいことが山ほどあるんだ」


振り返ると、弥切の顔がぼやけて見える。

自分でも知らずに出た涙が、(あふ)れていたようだった。


弥切は、陶の死を自裁ではなく、病死と世間に公表すると話した。


「もし自裁となれば、世間の噂話のネタになる。無責任な噂が広がれば、多の屋だけじゃなく、奥様の名誉まで傷つけられかねない」


ショックで頭の働かない多和は、そうかもしれないと素直に信じた。


それから、弥切に言われるまま陶の着物を脱がせると、身体に付いた血を(ぬぐ)った。

そして真新しいシーツで(くる)むと、棄八(ステはち)がやって来て、弥切と二人で別の部屋に運び出す。

多和は放心状態のまま、後を付いて行った。


運ばれた陶の遺体は、むしろの上に寝かされて、暫くの間、多和がボゥっと遺体を眺めていると、捨八が湯の入ったタライを運んで来た。


「たわ、あとは頼んだぞ」


(コウ)が焚かれた部屋で、弥切から、陶の身体を湯潅(ゆかん)(故人をお湯で洗い清める儀式)しておくように言われる。

多和は、『寺からの検僧(けんそう)も来てないのに大丈夫か』と聞いたが、弥切は「心配ない」と言う。


「自裁した奥様の御遺体には身体の至る所に斑点(はんてん)があったはずだ。おまえもそれを見ただろう。その斑点は病気のせいだが、検僧(けんそう)は、疱瘡(ほうそう)(天然痘)を疑うかもしれない


「そうなると屋敷の住人は全て他所に隔離され、この屋敷は焼かれ子毛(こげ)に戻る事は出来なくなるだろう。俺たちの帰る場所は失くなる。多の屋は終わりだし、俺たちも後ろ指を刺され生きて行くことになる。それでも良いのか?」


そう言われると、多和は何も返すことが出来なくなった。

『奥様の部屋に戻る。何かあったら呼びに来い』と言って、弥切は捨八と、この部屋を出て行った。

多和はひとりで、陶の遺体と向き合う事になった。


美しかった肌、首筋の剃刀で裂いた跡が痛々しかった。

頬に手を触れる。あの柔らかかった感触はもう無い。

うなじと肩まわりを拭こうとして首を持ちあげると、頭がぐらぐらとして安定しない。

まるで骨が無いかの様に感じた。


弥切は多和に陶のことを任せると、ようやく檀那(だんな)寺へと使いを出した。

寺からの検僧を、待つつもりは無い。

多和が陶の湯灌(ゆかん)を終え、剃髪(ていはつ)を済ませて白衣に着替えさせれば、すぐに遺体は棺桶(かんおけ)に納めてしまうつもりだ。


檀那寺への使いには、念を入れて言い含めてある。


和久(わく)家からの『変死疑い無し証書』があるから寺からの検僧は不要。必ず、お血脈(けちみゃく)(極楽(ごくらく)往生(おうじょう)を保証するいわれる手形)を貰って帰るように』と。


「謝礼は相場より高くすると言え」


と付け加えて送り出した。


弥切は、その日から一睡(いっすい)もできないまま、陶の遺体を(ひつぎ)に納め、葬列(そうれつ)にも子毛の名家である多の屋の名に恥じないようにと人を集めた。

葬儀を済ませると墓所へ送り、墓穴に収まった棺が、かけられる土で消えていくのを眺める。


弥切が休む事は無い。

右馬(ウマ)鬼造(オニゾウ)のような世間知らずには、後のことを託すわけにはいかず、助五郎(スケゴロウ)も、それを許さなかった。


初七日(しょなぬか)の間も、香典を持って訪ねて来る客の応対をしながら、(かたわ)らでは、博打場への指示、問屋(みせ)の商いの様子の面倒と、やる事は無限にある。

これが陶の葬儀ではなく、他人の死だったら、陶が全てをとり仕切り、その差配(さはい)(指示)に従えば良いだけだから、きっと楽に過ごせただろう。


弔問(ちょうもん)客が訪ねて来ると、部屋に通し、客と雑談する助五郎の背後に控え、神妙な顔で座っていた。


助五郎はこんな時でも、自分が主役でいられることに快感を覚えるような男だった。


弔問客は、最愛の妻を亡くしたばかりの悲しみに暮れる夫を、勇気付けようとやって来た。

お悔やみと『お気を落とさずに、無理をせずにご自愛なさって』と声をかける。

助五郎は、その度に目に涙をうかべて悲劇の主人公を楽しんでいる。


助五郎の後ろに控え、黙って話を聞く弥切は、『お前の目の前に居る奴が、陶を殺した奴なんだよ』と、腹の中で嘲笑(あざわらい)、最悪な気持ちを抱えながら殊勝な面持ちで座っていた。


...もう死んでいたとはいえ、俺が陶に引導を渡した。そして、事件を隠蔽(いんぺい)下手人(げしゅにん)(犯人)を悲劇の主人公に仕立て上げた


(のど)を掻き切る時の感触と、(わず)かに残っていた陶の肌の温もりと血の生温かさは忘れようがない。


...必ず、この借りは返してもらう


怒りを噛み締め、弥切は助五郎の背中を見つめていた。






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