ep.12 妻殺し
冬の寒さがやってくるのが、例年より早く感じていた、ある日の日中。
屋敷の一室で算盤をはじきながら、博打場の収支を書き入れた裏帳簿と向かい合うという、面倒な作業を行っていた弥切を、奉公人の女性が呼びに来た。
「旦那さまが、お呼びです」
...後にしてくれ
と思い、「何用なのか聞いて来てくれ」と弥切は言ったが、埒が明かない。
その女性は酷く脅えていた。
...まだ仕事の途中なんだがな
渋々、助五郎が呼んでいる場所に行く。
そこは蘭の部屋や陶の部屋がある、屋敷の最奥へと続く廊下。
その途中に、助五郎は仁王立ちしていた。
顔を見ただけで、何かあったと分かった。
「ダンナ、何か有りましたか...」
「直ぐに、すえの部屋にいけ!」
弥切の言葉を遮り、助五郎が怒鳴った。
陶が自分を呼んでいるなら、必ず多和という奉公人の女性を通すはずだが、助五郎から言われたのは始めてだ。
「何用でしょうか?」
助五郎は、弥切の問いには答えず、
「全て終わったら、ワシの部屋に来い!」
と言って去っていった。
...全て終わるとは... なんの話だ?
仕方なく、弥切は陶が居る部屋に向かった。
廊下から、陶を呼んでみるが返事がない。
眠っているのかと耳を澄ましてみるが、寝息も聞こえない。
音もなく静まり返る部屋を不審に思い、部屋の障子を少し開けて中を覗き込む。
すると布団に横たわる陶らしき人の姿が見えた。
「失礼致しました。就寝のところ申し訳ありません。助五郎の言いつけで伺ったのですが、何か御用だったでしょうか?」
返事はない。チラと覗いてみる。
目の端に一瞬、畳に広がる黒いシミが見えた。
...なんだあの黒いのは?
「お怒りは後で受けますので、失礼致します」
弥切は、そろりと部屋に足を踏み入れた。
そして、立ち止まった。
赤く染まった布を顔に被せた陶らしき人物が布団に仰向けに眠っている。
眠っている? 頭の中で、それを否定する。
...呼吸をしていない
畳の黒い染みを避けながら近づいて、布団に横たわる人物の顔にかかった赤く染まった布を剥ぐ。
その下には、血の気を失った陶の顔。すでに、事切れていた。
頭がフル回転した。
いま大袈裟に騒げば誰かに見つかり、その口から陶の死が屋敷の内外に漏れる。
しかも、この状況を見れば誰でも変死だと思うだろう。
...マズイ。助五郎は、全ての責任を俺に負わせるつもりだ
『全て終わったら、部屋に来い!』
助五郎の言葉が、頭の中に谺した。
弥切は、陶の頭から肩にかけての部分を持ち上げ、じっくりと見た。
陶の喉は、強い衝撃で押し潰されている。おそらく即死だったろう。
その後に口から血が溢れ、蒲団には吸いきれずに流れ落ちたものが畳に染み込んだようだ。
...苦しまずに死ねただろうか
頭に浮かんだ憐憫を振り払う。
...ともかく多の屋の屋敷で人殺しがあったなどと云う事は、絶対に知られてはいけない
多の屋は、子毛で古い名家だ。
その一人娘で、現当主の妻が殺されたとなれば、町の住人たちも黙ってはいられまい。
そうなれば、この宿場町の代官でもある和久家が正式な取り調べを始める。
そして、住民の怒りを沈める為に下手人(犯人)を必ず挙げる。
...俺がその下手人にされる。この件を上手く処理できなければ、助五郎に
助五郎が弥切に期待してるのは、この件を穏便に始末する事。
出来なければ罪を被れ!だ。
助五郎と弥切。
それ以外に屋敷の中に、陶が死んだことを知る者は居ない。
本当の下手人が誰かなんて、誰も知るよしもない。
何故、どうやって陶が殺されたか?そんな事を考えている余裕はない。
弥切は白いシーツを別の部屋から運んでくると、陶が横たわる布団ごと全体を隠すように覆った。
ザッと遺体を調べた感じでは、外傷は首だけで他は見当たらなかった。
皮膚に内出血のような斑点があったのは、病気のせいだろう。
強い衝撃を与えられた首は、骨が砕けて触るとグラグラしており、頭を支える役目を果たしていなかった。
...陶を、この部屋から動かさなければならない
陶の顔を見下ろしながら考えていると、枕の下に何か挟まっているのに気づいた。
...なんだこれは?
手に取ると、折り畳まれた手紙だった。
助五郎に見せるべきか・・・いや、ふざけるな! という気持ちが心の中に渦巻いている。
もし罠だったらと云う考えが、脳裏をよぎるが、気付いたのに、わざと置いたという余裕は助五郎には無かっただろう。
カッ!となった殺人で、我に返ると次の手が浮かばず、後の事は全て俺になすりつけた。そんなところのはずだ。
ともかく急がねばならない。手紙を懐に突っ込み作業を進めることにした。
血の痕跡を覆い隠し、とりあえずの見た目を繕うことはできたが、まだ、この死を屋敷の人間に知られる前にやるべき事が山ほどある。
...俺一人で全てを片付けるのは無理だ
これから、この遺体の処理を手伝わせる為に誰か呼ばなければならないが、その時には、この陶の姿を見せなければならない。
今のままでは、誰が見ても殺人だと分かる。
苦肉の策だが、ひとつアイデアが浮かんだ。
だが、散々悪事に手を染めてきた弥切でも、それは吐き気を催すもので、すぐに実行するのは躊躇われた。
だが、それしか浮かばない。
弥切は部屋を出ると、しばらくして剃刀を手に戻って来た。
そして血を隠すように覆っていた白いシーツを剥ぐと、陶の首筋に剃刀の刃を当てた。
横に刃を滑らせると、あれだけ血が流れていたのに、まだ血が流れ出た。
...陶は自裁
助五郎の妻殺しの罪を、ここで消し去る。
自分が濡れ衣を着ない為の一歩目。
陶は、長年の病苦から逃れるために自裁した。辻褄など後で合わせればいい。
生温い陶の血で赤く染まった己の手を見ながら考えた。
葬儀の手順は無視する事にはなるが、檀那寺から来た検僧(検視官のような者)に、この陶の遺体を見せれば間違いなく変死扱いされ、役人に報告される。
それは、駄目だ。
檀那寺(多の屋が代々檀家となっている寺)に陶の死を伝達える前に、遺体を拭いて清めて置かなければ・・・
一人でやれる事はもう無い。
これから手伝いがいるが、信用できる奴だけで、事を進めて行く。
まずは捨八、 あとは?
弥切は部屋を出ると廊下を静かに歩き、奉公人の女性たちが居住する部屋へと向かった。




