ep.5 天女
秋にしては肌寒い、冬の手前のとある日。
先代の一人娘で現主人、多の屋助五郎の妻の陶が亡くなった。
その知らせ受けて、ソの郷の職人のひとり定吉は、心にぽっかりと穴が空いたようで暫く放心状態になっていた。
...俺は、あの方に何もしてあげられなかった
後悔が残っていた。
『聞きたいことがある。今日か明日には、一度、屋敷に来てくれ』
助五郎に、そう言って呼び出されたのは、陶の死から一ヶ月ほど経った頃。
それまで助五郎とは、問屋で仕事の事やソの郷の分村のことで何度か顔を合わせていたが、大まかな段取りを済ませると
「後は、すえと話し合ってくれ」
と言って、助五郎は居なくなった。
結局、細かな金額や詳細なスケジュールなど詰めの話は、陶と話をして決めていた。
その頃の助五郎は、ソの河の橋梁工事の話で、接渉や接待に追われていた。
問屋の事は全て、陶に任せていたが、理由は忙しい以外にもあったようだ。
一度、陶が溜め息混じりに、ぽつりと言ったことがある。
「あの人が、店に居つくことがないのは、たぶん私がここに居るからなのね」
定吉は、フォローの言葉も見つからず黙っていた。
陶とあまり親しげにしていると、子毛でどんな噂が立つか分からない。
陶とは、ソの郷の職人の代表として会っているだけ、余計な詮索は困る。
もし、定吉がソの郷に住むよりもっと前に子毛に来ていて、陶とも会っていたことを助五郎に知られたら、大袈裟ではなく命は失くなる。
定吉は、急に助五郎からの屋敷への呼び出しに、不安に陥った。
...俺の過去がバレたのかもしれない
ノコノコ屋敷に出向けば、殺されるかもしれない。
その夜は、寝床に入っても眠れず悶々と過ごした。
あたりが明るくなって、朝が来ても覚悟は決まらなかった。
...どのみち俺には、由さんや妙を置いてソの郷を出る事はできない。陶さまから、二人の行く末を託されたのだから
あきらめて、一睡も出来ないまま町へ向かう。
枷を嵌められたように足取りは重く、屋敷の玄関口に立つ頃には、土砂降りの雨に打たれたように背中はびっしょりと濡れていた。
「おお、ご苦労さま。いい天気に見えたが道中は通り雨でも降ったのか? おい、誰か身体を拭くものを持って来てくれ」
固い表情の定吉と違って、助五郎は拍子抜けするほど明るい笑顔で、玄関口まで出迎えに来た。
「定吉くん、急に呼び立てて済まなかったな。迷惑じゃなかっただろうか?」
「いえ、丁度仕事がひと段落した所でしたので」
「そうか、それは良かった。まあ、上がってくれ」
屋敷の正面玄関から上がり、大事な客人が通される立派な部屋へ連れて行かれる。
襖には、椿の絵が描かれ、広い部屋の畳のうえには座布団が二つ置かれていた。
「まあ、座ってくれ」
助五郎は一つの座布団を指し、もう一つに自分が座る。
お茶を運ばせると、定吉に勧めて話を始めた。
「話というのは、すえの頼みを聞いてくれたワシからの礼だ」
ガタッと、どこかで音がした。
...終わっ た
・・・
定吉は覚悟した。
助五郎の手下が、部屋に乗り込んで来るのを諦めて待った。
すると、スッと目の前に茶菓子が置かれた。
見ると、奉公人の女性が部屋を出ようとしている。
「たわ、戸は開けておいてくれ」
「分かりました」
奉公人の女性は、戸を開けたまま去って行った。
助五郎は、一方的に話を続けている。
まだ手下が乗り込んで来る様子は無い。
定吉は状況が呑み込めずに戸惑っていた。
「定吉くん、君には感謝してる。陶は自分が病気で寝込むようになっても、多の屋の行く末と、よしの親子のことを案じていた」
助五郎は妻を思い出したのか? 心なしか目が潤んでいるようにも見えた。
「ふたりの幸せを見届ける事なく逝ったのは、さぞかし無念だったろうと思う。わしは陶の為にも、よしと娘を幸せにしてやりたい」
定吉は全身の力が抜けた。
一睡も出来なかったこともあって、倒れそうになる。
...バレてなかった
安堵で、大きく息を吐いた。
陶の思い出を語る助五郎。
自分で勝手に追い詰められていた定吉は、苦笑いした。
...俺の空回りだったな
ようやく落ち着いて助五郎の話を聞けるようになった。
そして、聞きながら定吉も陶のことを思い出していた。
陶は定吉より年上だったが、歳の差を感じさせないフランクで明るく可愛らしい印象の女性だった。
そして明るく元気なだけではなく、会話の所々に知性を感じさせる利発な人だった。
自分が病気を患って辛くても、他人を思いやる気持ちを忘れなかった。
多の屋のこと、奉公人の身の振り方、亡くなった多の屋の先代が残した妾とその子供の将来まで考えるような慈悲深い女性だった。
定吉には、陶という女性がこの世に遣わされた天女のように見えた。
その陶に頼まれたからこそ、身重の由を引き受けて、ソの郷で彼女たちの今後を見届けると誓ったのだ。
陶に妙が生まれた事を話した時、自分の事のように顔を紅潮させて大喜びしていたのを思い出す。
「・・・、すえ・・なにか、あずか・・」
思い出に浸っていた定吉は、ようやく助五郎が、自分に何かを話しかけているのに気付いた。
「申し訳ありません。旦那、いま何を仰ってましたか?」
我に返り、定吉は聞き直した。
「何か、すえから預かったものが無かったか聞いただけだ、それはいい。今日呼んだのは、
「陶に話をしていたように、よしと娘の様子を、ワシに伝えて欲しいと言う事だ。忙しいとは思うが、すえの願いでもある。時間が出来た時で良いから、ふたりの様子を報告してくれ」
そう言って、助五郎は定吉の手を取った。
その真剣な眼差しに、定吉も応えようと思った。
「分かりました。新しく人足仕事(人材派遣業のようなもの)も始めたので、子毛に来ることも多くなります
その折には屋敷に立ち寄って、よしさん親子の様子を旦那にお話することにしましょう」
定吉は頷いて、その手を握り返した。
帰りには土産を持たされ、助五郎が表まで見送りに来た。
手厚いもてなしに、定吉も恐縮した。
土産の入った風呂敷を手に、ソの郷へ戻りながら、定吉は助五郎が口にした事を思い返した。
...すえさまから預かったものとは、いったい何の事だろう?




