ep.4 憂鬱
本格的な梅雨に入り、工事の作業が滞る日が続く中、定吉は助五郎に呼び出された。
屋敷内の部屋で飾られた掛軸を背に、上座に助五郎が座り、前に定吉が正座をしている。
ここは、助五郎が取るに足りない小者と会うのに使っている場所。
「水茶屋の稼ぎで、母娘の食事は賄えてます。ソの郷はみんな互いに助け合いますし、不都合があれば皆で解決します。そういえば、妙はずいぶん言葉を覚えてきました」
助五郎は顎をさすりながら、話を聞いている。
「たまに我儘を言って大人を困らせることも有りますが、物心がついたからじゃないでしょうか?
まだ拙いので、伝えたい事が分からない時も有りますが、よく話すようになったのは、自分の考えが出来てきたからだと。日々の成長を感じています」
助五郎は、顎ひげを摘みながら退屈そうに言った。
「わがままか、やっぱり女親では、躾が行き届かんのだろうな」
助五郎との会話はいつも、嚙み合わない。
ただ、それにも慣れた。
こうやって、助五郎の気まぐれで屋敷に呼び出される。
そこで助五郎が聞きたい事は、ソの河の橋梁工事の進捗よりも、由親子の様子についてだ。
...この男は、幕府から直々に拝領した大仕事に興味がないのか?
今日も呼び出され、小雨が降る中、仕事を職人達に任せてやってきたのだが、こんな事なら仕事をしていた方がマシだと思う。
唯一の楽しみは、屋敷をじっくりと観察できる事くらい。
この屋敷は、元は和久家の別宅という噂だったが、確かに腕の良い職人が良い木材を選んで建てたのが見れば分かる。
江戸でもお目にかかれないような、手間暇と金をかけた素晴らしい造りのものだ。
惚れ惚れする建物で、来るたびに感心している。
それ以外は、憂鬱な事しかない。
「あの、旦那」
「あ、なんだ?」
「ソの河の、作業のことなんですが」
「それはお前に任せてある。好きにしろ」
そう言われて言葉に詰まった。
だが、話を通しておかないと後でマズイ事になる。
定吉は、「実は・・・」と話を切り出した。
助五郎の顔色を伺いつつ、ソの河の工事の進捗について話す。
「長雨の続きで、橋脚を建てる作業は進んでません。職人達は、他の出来る作業をやって雨が止むのを待っています
「無理に、増水した川で作業を進めれば職人達の命に関わります。雨の降り終わりが来たら急ピッチで進めますので、しばらくの間、作業を中断したいと思うんですが・・」
「・・仕方ねぇな。少しぐらいなら良いが、死人が沢山出るのは駄目だ。御上からも、今回の事は祝い事だから、不要な死人は出すなと言われてる。分かった、良いだろう」
「ありがとうございます」
定吉は、深々と頭を下げた。
『なにが何でも作業をしろ!』と言われることも覚悟して来たのだが、助五郎があっさりと受け入れたので安心した。
定吉が必要以上に安堵してるので、助五郎は不思議がった。
「おかしな奴だな。職人の命を考えるのは当たり前のことじゃねぇか? ただし、夏までには『必ず』完成させろよ」
「分かってます」
助五郎にとっては何気ない一言だろうが、定吉の背中に緊張が走った。
「それより、よしだがな。変な男がついたりしてねぇだろうな?」
「虫? ですか」
「男だ! 言い寄って来る野郎や、よしが惚れた相手がいるなんて話はねえだろうな?」
険しい顔で睨む助五郎。
定吉は、呆れてすぐに言葉が出ない。
...俺たち職人が命を賭けて造ってる橋よりも、ひとりの女に男がいるかどうかが大事なのか?
定吉は、ガックリ肩を落として言った。
「よしさんは、たえを育てることで精いっぱいで、そんな暇なんてありませんよ」
「居ねぇかどうかを聞いてるんだ!」
「・・・俺が見る限り、男のカゲなんてありません」
「おお。そうか」と、助五郎は頬を緩ませた。
定吉はもう少しで、口から本音が出てきそうなのをぐっと堪えた。
...なぜこんな話をする為に、仕事を中断してまで屋敷に来なければならないのか?
雨続きの悪天候が一番の原因だが、工事が遅れている一因には、助五郎が気まぐれで、定吉を呼び出す事もある。
棟梁の定吉が現場を離れれば、作業のスピードが落ちる。
馬鹿馬鹿しいとは思うが、子毛に依存しているソの郷という小さな村では、子毛で表も裏も力を持つ助五郎の意向には逆らえない。
ずっと以前のことだ。
定吉が頻繁に呼び出され、そのたびに仕事が停滞する事に業を煮やした哲が、助五郎に直談判しに向かった事があった。
その事を、みんな後で知ったのだが、その日、哲は家族や仲間にも何処に行くとも言わず、ただ妻に「今日は帰りが遅くなるから」とだけ言って家を出た。
そして数日間、帰らなかった。
ソの郷のみんなが、ほうぼうを探したが見つからず、家族は途方に暮れ、諦めかけてた頃。
家の前で裸同然で倒れていたのを、晢の妻が見つけた。
酷い怪我で、ボロボロの体には拷問を受けた後があり、背中に刃物で犬畜生との文字が、はっきり分かるように切りつけられていた。
妻の必死の看病で晢の命は助かり、幸い一ヶ月もすると、起き上がることができるようになったが、帰って来なかった数日間の事はいまだに話そうとしない。
おそらく、しゃべれば家族に危害を加えると脅されたのだろう、ソの郷の者達も、自然とその話を避けるようになった。
今も、背中に文字が残っている為、どんなに暑くても人前で、裸になることは無い。『生きて帰れただけ儲けもの』と陰ではみな話している。
今日は満足したのか、助五郎は興味無さそうに、言った。
「もうこんな頃合いか、わしはまだ人に会わなきゃならん。お前にだけ、かまけているわけにいかんのだ。もう帰っていいぞ」
そして外を指差す。
いつもの事なので、定吉は黙って部屋を出る。
帰り際、屋敷の梁や柱を眺め、触りながら歩き、裏口から屋敷を後にした。
雨は止んでいたが、見上げるとすぐにでも雨粒が落ちてきそうな空模様で、どんよりと曇っている。
まるで定吉の心の内を、写してしているかのようだった。




