ep.48 身支度
石が眠ってから、二時(約四時間)ほど経った。
人が動く気配を感じて、石はそちらの方へ意識を向ける。離れたところで、小さな人影が起き上がっていた。
由と一緒に寝ていた、妙のようだ。一人だけ起きてしまったらしい。
石は身を起こすと、妙の様子を伺った。
……厠かな? 父親でもねえ、大した仲でもねえ。こういう時、あしはどうすりゃ良いんだ? 弦を起こすか? いや、よく寝てる。昨日は遅かったし、起こすのは可哀想だ
頬を触ると、貼り着いた和紙が乾きカサカサと音がした。弦が皮膚が削げた傷口に、何か処置をしてくれたのだろう。手にも薬草の匂いがする。
石がどうしようかと考えてるうちに、由が目を覚ました。
彼女は身体を起こすと、娘をそっと抱き寄せて小声で話しかけた。
「おしっこ?」
「うん」
石は寝たふりをしてやり過ごそうと二人に背中を向ける。その背中に由のおだやかな声がかけられた。
「石さん帰ってたの? 全然気づかなかったわ」
石は…間を置いて振り返ると、恥ずかしそうに頭を下げた。
「つるだけじゃねえ。結局、あしも一晩休ませてもらったよ。由さんには感謝する事ばかりだ。本当に有難てえ、そう思ってる」
そう言って、石は深く頭を下げた。薄暗い部屋に、差し込む陽の光が石の禿げた頭頂部に当たって、光輝く。
「頭を下げないで、石さん。そんな風にされたら、あたしも困るわ。つるちゃんが遊び相手になってくれるから、たえも喜んでるし。あたしもつい甘えて、家の手伝いまでしてもらって、こちらがお礼を言いたいくらいよ」
「そうかい? 少しでも助けになってるんなら良かった。寝泊まりさせてもらってるんだ、気にしねえでコキ使ってくれ。それから……」
石は首筋に手を当て、口をモゴモゴと、なにやら言いにくそうにしている。
「旅の…路銀が心細くて、ここらで稼いで置きてえんだ。それで、あの、しばらくの間、つるをこの家に置いてやってもらいてえんだが、良いだろうか?」
「もちろん、良いわよ。あたしも有り難いし、たえも喜ぶから。でも、石さんはどうするの? あたしは、石さんも一緒に家にいると言うなら、それでも良いけど」
石の顔が、ぱっと明るくなった。
「あしは良いんだ。子毛で按摩の仕事を見つけたから、これからは町に泊まる事にするよ。夜中最中だって、客に呼ばれりゃ行かなきゃならねえんで、町に近えほうが便利だしな。ともかく、つるを頼む」
石は、由に向かい手を合わせた。
「もう、今度は手を合わせて。そんな拝まなくたって、大丈夫よ。あたしの方が、つるちゃんに助けてもらえる話だから。それより石さん。その按摩の仕事って、もしかしたら、多の屋の紹介じゃ…」
由の言葉を遮るように、妙が、彼女の着物に縋りついた。
「お母ちゃん...」
見下ろすと、もう我慢できない様子で『早く連れて行って』とねだっている。
由は話をやめて、妙を抱き上げると、石にお辞儀してから家の外へと出ていった。
石はそれを送り、その後、一人座ったまま腕組みして考えていた。
……嗚呼は言ったものの、アテがあるわけじゃねえ
按摩の客の話はウソで、町で泊まる所も見つかってない。
昨日は、あの助五郎の屋敷から逃げて、町を出たら襲って来たチンケな連中から逃げて、次は街道で頭のイカレた人殺しから逃げた。
つまり昨日の夜は、ただ暗闇を逃げ回っていただけだ。
だから、今のところ何も決まってはいない。
良かったことと言えば、弦の寝泊まりできる家が確保出来た事、由の家なら食事に困る事はないだろう。
今はそれで十分。あとは、干上がる前に、自分の宿と飯のアテを見つければ良い。
安心したら、少し寂しい気持ちが湧いてきた。
「しばらく離ればなれだなぁ、つる。……まあ、今生の別れってわけでもねえか」
……センチになるのはあしの性分に合わねえ
ヒヒヒ、と石は笑った。
ここの処、野宿や農家の納屋を借りたり、祠で寝泊まりしたりと、弦と離れる事が無かったので、感傷的な心持ちになったようだ。
石はそれを振り切ると、早速、身支度を始めた。
朝日がかすかに差し込む中、身支度をする石に背を向けている弦は、目を見開いてじっとしていた。
……さて、いつ起きよう? いっさんの支度を手伝わないと…
由の家にしばらく居るのは良いが、昨夜、子毛で何があったかが気になっていた。
……この人に聞いても、まともに答えないだろうしなあ…
背後でバタバタとうるさく身支度する、その要領の悪さにイライラしながら、考えをまとめようとするが、まとまらない。
……この人は、私一人を置いて行ったりはしない。大事なことなら話してくれるだろう。そこは信用できる、うるさいけど……いまから遠く旅に出るわけでもないのに、町に行くだけの身支度一つで、どうしてこんなに騒々しいのかしら、うるさいわ
弦は、ゆ っ く り と身体を起こした。
……ともかく、私はこの家で過ごせば良いんでしょ
自分にそう言い聞かせて、石の方へと振り向く。
「うるさい! もう少し静かに、支度をできませんか?」
ビクッ! とした石が、弦の巾着袋を握って固まっていた。
「それは、渡して下さい。ともかく荷物を小分けにすること。持って行く物なんてそんなに無いのに、どうしてこんなに散らかすんですか? まず持って行く物と、置いていくものに分けましょう」
石はバツが悪そうに頭を掻き、気まずそうに目を泳がせた。
「つる、あしはしばらく町に泊まるが、お前が寝てる間に、よしさんにこの家に置いてもらえるよう頼んでおいた。だから心配はいらねえからな」
そう言う石は、まだ手に持った弦の巾着袋を離そうとしない。
……私の巾着を、どこに持って行くつもりなの?
「私は、何も心配してませんよ。心配なのは、いっさんの方です。怪我のほうはどうですか? 痛みはありませんか?」
話しながら、弦はもう手を動かしている。
「まだ寒いでしょうから厚着して、洗い替えも一つは必要です。放って置くと、いつも同じものを着てるんですから、ちゃんと洗って使うんですよ」
弦はブツブツ言いながら、そばに置いてあった網袋から、畳まれた下着の替えと、手拭いを取り出した。
そして、自分と離れた後に困らないよう、町での暮らしに必要なものと不要なものを小分けしていく。
「お酒もほどほどにして、飲み過ぎないように、お金を気前良く使わないで節約して下さい。カッコつけて人にあげたり、お付き合いもあるでしょうけど、あまり奢ったりしないで下さいね」
「それから……」
しばらくして、由が妙を連れて厠から戻ってくると、そこには奇妙な主従の図が広がっていた。
テキパキと荷造りをする弦の背後で、項垂れた石が正座し、作業が終わるのを大人しく待っている。
……あの間に、何があったのかしら?
由は不思議そうにその光景を眺めていたが、二人の様子に思わず、クスッと笑ってしまっていた。




