ep.3 出会い
十数年前、助五郎は数人の舎弟を連れ、八九三の生業を教えてもらった親分の一家から逃げた。
当時の八九三の足抜けは命がけだ。追っ手に見つかれば殺される可能性もある。
助五郎は堺から伊勢に来て、知り合いを訪ねて身を寄せた。
その知り合いは、強盗を生業にしていた盗賊で、宇治で押し込み強盗を計画している所だった。
助五郎は匿ってもらっている手前、断り切れず、連中が隠れ蓑にしていた堅気の茶葉を売る店に厄介になりながら、舎弟と共に強盗の準備を手伝った。
その時、偶然、参宮(伊勢参り)の為に宇治へ立ち寄った、多の屋の家族と出会った。
押し込む家の情報集めが上手く行かず、押し引きを考えていたのだが、その多の屋の主人が、押し込む家の主人と旧知の仲だと知る。
こんな偶然もあるのかと、多の屋の一家を利用する事にした。
助五郎は、旅に不慣れな多の屋の家族の為に、宿の手配からお参りの道案内をして、時には、悪い輩から守ってやった。
助五郎は、多の屋の主人を信用させる為に、家族にあれこれと世話を焼いた。
やがて目論見通りに、多の屋の主人の清兵衛は、助五郎に大きな信頼を寄せるようになった。
その副産物のようなもので、助五郎にそんな意図は無かった事だったが、清兵衛の娘の陶が、自分に好意を抱くようになった。
どのみち仕事はやり易くなる。
助五郎は、それもまた良いかと考えた。
そして、情報が集まり強盗の日が決まった。あとは待つだけとなった時、助五郎はふと思った。
...そういや、八九三には飽き飽きしてたんだよな。この一家を騙してオサラバするより、この連中と一緒に町まで行って、堅気になるのも良いな
娘も俺に気があるようだし、婿養子にでもなって、これからはのんびり暮らすのも悪くない...
そうなれば、多の屋に不利益になるような事はいずれ自分の損失になる。
助五郎は、押し込み強盗の噂をそれとなく町に流した。
多の屋が帰郷するという日、「顔が割れてるから、用心のために途中で始末しておく」と盗賊には説明し、家族と一緒に宇治を後にして子毛という宿場町へ行くことにした。
山を越え、数日かけてたどり着いた頃、風の便りで、盗賊たちが捕まったと聞いた。
...全員、死んでくれゃ良いんだがな
「どうです? 助五郎さん。ここが、私の生まれ育った町です。京には及びませんが、凄く活気がある町なんですよ」
町に着くと、陶は満面の笑顔で話した。
天下の台所と言われた堺で、何十年と過ごした助五郎の目には、ただの山田舎の町にしか見えなかったが。
「すえさんの仰る通り、素晴らしいですね。びっくりしましたよ、こんなに活気があるとは。空気も良いし、素敵な所ですね」
「そうでしょう。私は、お伊勢参りをするまで町から出た事はありませんでしたけど、やっぱりここが一番です」
若くて愛らしい十四(才)の陶。
助五郎は笑顔で返した。
...貧相な町だ
子毛で暮らすようになっても、助五郎の印象は変わらなかった。
宿場町とは聞こえはいいが、江戸時代の基幹路のひとつの中仙道からは外れた、刺激の無い山田舎の暮らし。
あの日に思った通り、助五郎は陶の夫となり、子毛では老舗の多の屋の婿養子になれた。
だが、現実はつまらない。
田舎問屋の主人の清兵衛に平頭して過ごし、何年経っても子供を産まない妻に殺意を覚えながら、我慢する日々。
そして、ようやく得たものといえば、この田舎町の町代(代表)というちっぽけ地位だった。
わしの人生はこの程度か
ガッカリしていた矢先に降って沸いた、この地域を治める和久家の御家騒動と、幕府直々の天下普請の橋梁工事。
...未来が開けた、というのに。こんな時に、ワシに悪意がある嘆願書を出されたら、後々どんなことになるか?
捕まるかもしれん、日本中を逃げ回る事になるかもしれん。逃げる所など何処にも無い。畜生め! この石女のせいで、ワシは終わるぞ...
真夏でもないのに、体中から汗が噴き出している。
助五郎は全身にビッショリと汗を掻き、陶に問いただした。
「嘆願書はどこだ」
助五郎の問いに返答は無い。
しばらく時間をおいて、陶が口を開いた。
「あなた、わた しを 少しで も、 愛してくれ た?」
言葉はかすれ、涙声となった。
助五郎は陶を見下ろし、忌々しげに睨んでいる。
...愛だと? 今そんな話をしてるか! だからお前はバカなんだ
陶の刹那で儚い心を、思いやる同情すら、助五郎は持ち合わせていなかった。
「嘆願書は、ど・こ・だ!」
陶の枕のそばで、威嚇するように、足を踏みつける。
陶の顔にかかる布は、涙で濡れていた。
陶の嗚咽が止まらない。
部屋に響く、すすり泣きにも、助五郎の心は微動だにせず。
鬼の形相で、陶をただ睨みつけていた。
しばらく続いた啜り泣きが止まる。
落ち着きを取り戻した陶は、
「言わない」
と言った。
その一言に、助五郎の顔から人間の感情が消えた。
...こいつは、生かしておく価値が無い
・・・
・・・
・・・しばらく時間が経ち、助五郎は部屋を出た。
部屋から出て、奉公人を探した。
そして奉公人を見つけると、
「弥切を呼んでこい」
とだけ、言った。
【翌日】
もう冬はとっくに過ぎたと云うのに、陶の死んだこの部屋は、あの日と同じく肌寒く感じた。
...嘆願書はどこにある? 中には何が書かれてあるんだ
この一帯を治める尾張家の旗本衆であり代官も務める和久家にも、尾張家にも多額の賄賂を渡してある。
しかも現在は幕府直々の命令でもある、ソの河の橋梁工事の真っ最中。
嘆願書が何処に渡ろうが握り潰せる、その自信はあるが、問題は、まかり間違い江戸の幕府の役人にでも渡った時だ。
その時は、『自分達には関係ない』と尾張家からも和久家からも切り捨てるだろう。
賄賂の発覚を恐れた奴らに、口封じされる可能性だってある。
...すえに、江戸の要人に物申すルートがあったとは思えないが、ともかく嘆願書は押さえた方が良い
スっと部屋の障子が開いた。
「あ、旦那さま」
奉公人の女性が驚いて、頭を下げた。
「失礼しました。お線香を取り替えに参りましたが、おいでとは気付きませんでした」
ふっくらした身体の奉公人の女性を見る。
「気にする事はない。すえと少し話がしたかっただけだ、もう出る」
立ちあがろうとした助五郎に、奉公人の女が声をかけた。
「旦那さま、弥切さんが探していたようですが」
「何の用か言ってたか?」
「昨晩、訪ねて来た人のことだそうです」
「そうか・・・線香はわしが焚いておくから、ここは良い。弥切にワシの部屋で待つと伝えてくれ」
「分かりました」
女性は去っていった。
助五郎は、自分の足裏を拳固で叩いた。
...わしを恨むな、すえ。お前が愚かだっただけだ
助五郎は立ち上がり、部屋を出ようとして思い出した。
「おっと、忘れてた」
振り返ると、適当に束で線香を掴み火をつけた。
大きく振り、もうもうと煙を出す線香を香炉に突き刺す。
「香を焚いてやるのが、ワシからのせめてもの孝行だ。有り難く思って、呪ったりするんじゃないぞ」
そして、助五郎は去っていった。




