ep.21 戸口
それから二時(約四時間)ほど経った。
人が動く気配を感じて、石はそちらの方へ意識を向けた。
少し離れたところで、小さな人影が起き上がっている。
由と一緒に寝ていた、妙だけ起きたようだ。
石は身を起こすと、妙の様子を伺った。
... 厠(トイレ)かな? 父親でもねえ、大した仲でもねえ。あしはどうすりゃ良いんだ?
弦を起こそうか? よく寝てるようだ。..昨日は遅かったし、まだ起こすのは可哀想だ...
頬を触ると、貼り着いた和紙が乾きカサカサと音がした。
弦が皮膚が削げた傷口に、何か処置をしてくれたのだろう。
手にも薬草の匂いがする。
石がどうしようかと考えてるうちに、由が目を覚ましたようだ。
由は妙を抱き寄せた。
「おしっこ?」
「うん」
石が気付かないふりで、横になろうとしていると、由に声をかけられた。
「石さん帰ってたの? 全然気づかなかったわ」
石は、また体を起こして、恥ずかしそうに頭を下げた。
「つるだけじゃねえ。結局、あしも一晩休ませてもらった、すまねえ
「由さんには感謝する事ばかりだ。本当に、有難てえと思ってる」
と言って、また頭を下げた。
薄暗い部屋に、かすかな光が差し込んで、禿げた頭頂部を照らす。
「頭を下げないで、石さん。そんな風にされたら、あたしも困るわ。つるちゃんが遊び相手になってくれるから、たえも喜んでるし
「あたしもつい甘えて、家の手伝いをしてもらって、こちらがお礼を言いたいくらいよ」
「そうかい、少しでも助けになってるんなら良かった。寝泊まりさせてもらってるんだ、気にしねえでコキ使ってくれ。それから・・・」
石は首筋に手を当て、口をモゴモゴと、なにやら言いにくそうにしている。
「旅の...路銀が心細くて、ここらで稼いで置きてえんだ。それで、あの、しばらくの間、つるを家に置いてやってもらいてえんだが、良いだろうか?」
「もちろん、良いわよ。あたしも有り難いし、たえも喜ぶから。でも、石さんはどうするの? あたしは、石さんも一緒に家にいると言うなら、それでも良いけど」
石の顔が、ぱっと明るくなった。
「あしは良いんだ。子毛で按摩の仕事を見つけたから、これからは町に泊まる事にするよ
夜中最中だって、客に呼ばれりゃ行かなきゃならねえんで、町に近えほうが便利だしな。ともかく、つるを頼む」
石は、由に向かい手を合わせた。
「もう、今度は手を合わせて。そんな拝まなくたって、大丈夫よ。あたしの方が、つるちゃんに助けてもらえる話だから
「それより石さん。その按摩の仕事って、もしかしたら、多の屋の紹介じゃ...」
由の言葉を遮るように、妙が、由の着物に縋りついた。
「お母ちゃん...」
見下ろすと、もう我慢できない様子で『早く連れて行って』と妙がねだっている。
由は話をやめて妙を抱き上げると、石にお辞儀してから、家の外へと出ていった。
石は一人腕組みする。
...嗚呼は言っても、アテは無え
按摩の客の話はウソで、町で泊まる所も見つかってない。
昨日は屋敷から逃げて、暗闇の連中から逃げて、頭のイカレた人殺しから逃げただけ。
つまりは、今のところは何も決まって無い。
良かったのは、弦の朝夕の飯と寝泊まりできる家が、確保出来た事だ。
今はそれで十分。あとは、干上がる前に、自分の宿と飯のアテを見つければ良い。
安心したら、少し寂しい気持ちが湧いてきた。
「しばらく離ればなれだなぁ、つる。・・まあ、今生の別れでもねえか」
ヒヒヒ、と笑う。
此処の所、野宿や農家の納屋を借りたり、祠で寝泊まりしたりと、離れる事が無かった。
そのせいか、そんな心持ちになったようだ。
石は早速、身支度を始めた。
朝日がかすかに差し込む中、身支度をする石に背を向けた弦は、目を開いてじっとしていた。
...さて、いつ起きよう? いっさんの支度は手伝わないと・・・
由の家にしばらく居るのは良いが、昨夜、子毛で何があったかが気になる。
...この人は聞いても、まともに答えないだろうし
背後でバタバタと身支度をする石の要領の悪さに、イライラしながら考えようとするが、気になってまとまらない。
...この人は、私一人を置いて行ったりはしない。いつか、大事なことは話してくれるだろう・うるさいわ
旅に出るわけでもないのに、身支度一つで、どうしてこんなに騒々しいの...
弦は、ゆ っ く り と身体を起こした。
...ともかく、私はこの家で過ごせば良いんでしょ
自分にそう言い聞かせ、石を振り向いた。
「五月蝿い! もう少し静かに、身支度できませんか?」
ビクッ! として、石が固まった。
「それを渡して下さい。ともかく荷物を小分けにしましょう。持って行く物なんてそんなに無いのに、どうしてこんなに散らかすんですか? まず持って行く物と、置いていくものを分けて下さい」
石はバツが悪そうに頭を掻いた。
「つる、あしはしばらく留守にするが、お前が寝てる間に、よしさんに此処に置いてもらえるよう頼んだから」
そう話す石は手に、弦の巾着袋を握りしめている。
...私の巾着を何処に持って行くつもりなの?
「私の心配は必要ありません、何とでもしますから。それより、怪我のほうはどうですか? 痛みはありませんか?
「それと、まだ寒いでしょうから厚着して、洗い替えも一つは必要です。放って置くと、いつも同じ物を着てるんですから、ちゃんと洗って、使うんですよ」
弦はブツブツ言いながら、そばに置いてあった網袋から、畳まれた下着の替えと、手拭いを取り出した。
自分と離れた後、困らないように石の暮らしに必要なものと不要なものを小分けしていく。
...あの間に、何があったのかしら?
由が妙を連れて厠から戻ってくると、項垂れた石が、一人で仕分けする弦の後ろで、正座で終わるのを待っていた。




