ep.14 厠
錫の小さな手が、石のゴツい腕を掴み、厠まで連れて行こうとしている。
連れられて歩きながら、石は困った。
...参ったな。さっきのお嬢ちゃんか
このままだと、この子が叱られてしまう、と考えているうちに、厠にたどり着いてしまった。
「お嬢ちゃん。あしは目が見えねえから、一人じゃ便所(トイレ)の穴に落ちちまう。八助を呼んで来てくれねえかな」
「あたしが支えます。どうぞおつかまり下さい」
石の脇の下にもぐりこみ、体を支えようとする錫。
体重をかければ、潰れそうな小さな体だ。
石は慌てた。
...ああ畜生、仕方ねぇ
「おい! 呑気に寝てんじゃねえ八助。あしはこんなとこじゃクソも出来ねぇ、外でしちまうぞ! そんで、そのまま逃げちまうからな!!」
ビクッ! として目を丸くする錫を、敢えて無視して大声を張り上げる。
...どうせ屋敷の最奥、住人から見放されたような場所だ、助五郎だって聞こえやしまい
しばらくするとドタドタと足音がして、寝ぼけ眼に赤ら顔の八助が、息を切らして現れた。
「この糞野郎!」
「ああ、確かにこれからクソするヤロウだよ、当たりだな。クソヤロウといやあ、明日の朝、旦那に言っとかなきゃな、八助
「お前さんの甥っ子のクソヤロウが、呑んだくれて部屋に連れてってくれねえから、クソを漏らしちまったってな」
石は嗤ながら毒づいた。
石の脇の下で身体を支えようとしていた錫は、嫌そうな顔で石を見上げている。
「コ&$#*&$あぁぁぁ‼」
呂律の回らない八助が、意味不明の叫び声を上げて、石に殴りかかった。
石は、錫を優しく横に追いやると、八助の通り道を開けてやり、厠の扉を開けてやった。
八助は拳を振り上げて勢いよく厠に飛び込み、石はバタン! と戸を閉めた。
がこん? と変な音がした。
「くぁー#”%’’せぇぁ}{」
厠の中で、泣き声がする。
排便する穴ッぽこに、片足を落として、股の間をしたたか打ちつけたようだ。
「ケ&$タマ&あぁぁぁ‼」
理解できない言葉で喚いている八助を、石は扉に身体をもたせかけて閉じ込めた。
「お嬢ちゃん、もう行きな。できりゃあ、見なかったことにして貰いてえんだがなあ、まあ・・どっちでもいいや」
へへへ、と嗤う石。
八助はどうやら、厠の下の肥溜めに落ちずに這い上がって来たようだ。
喚きながら扉を叩いている。
石はその振動を身体で感じながら、さて、これからどうするかと考えた。
...こっからどう逃げ出すかだなぁ。なにせ初めての場所だ。ここが屋敷のどの辺りで、何処へ行きゃあ良いのか? さっぱり分からねえ
「石さんは、どうするんですか?」
...おい、まだ居たのか
「早く行きな、お嬢ちゃん。お前さん、このままじゃ叱られるよ」
さてと・・・。ふと視線を感じて顔を向けると、錫はまだそこにいる。
「どうした、部屋に戻るのが怖えのか? あしは忙しいから一緒に行っては、やれねえんだ
「大声で歌いながら帰れば気も紛れるさ。あしがここで聞いてるから、怖かねえよ。元気に帰んな」
石を見上げる錫は、首を振った。
「おじさんが、八助を懲らしめてくれたから、ありがとうって言いたくて」
「ん? なんの事」
「八助は、私に嫌なことを言うから、誰か懲らしめてと、ずっと願ってたから」
「・・何を言われたんだ?」
石は優しく尋ねた。
錫は少し戸惑って、話した。
「わたしの体を触ってきて、『いつか俺が女にしてやるからな』って、意味はよく分からないけど、凄く嫌で・・」
「へぇー、訳わかんねえな」
...このクソ八助
身体の血が逆流した。
静かに扉を開く取手に手をかけた。
その時、スゥスゥと便所の中から、子供のようなかわいい鼾が聞こえて来た。
...この娘には悪いが、あしはこれ以上、助五郎とコトを荒立てるわけにはいかねえんだ
もし野太い、ゴオゴオというようた高鼾だったら、厠から引きずり出して腕をへし折ったかもしれない。
だが、可愛げのある鼾で、血の気が収まり冷静になれた。
ただ錫の為に何もしてやれない罪悪感は残った。
「・・寝たか。お嬢ちゃんには頼みたくなかったんだが仕方ねえ。この近くに外に出れるところがあるかな? ありゃ連れてって貰いてえんだが」
「どちらでもいいですか?」
「出口の大きさに文句は言わねえよ」
そう言って、石はニコリと笑った。
錫の小さな手に引かれ、雑草に囲まれた人気のない戸口へと歩く。
「ここなら、誰にも見つからずに外へ出れます」
「ありがてえ、世話になったな」
石は戸口をくぐり、くるりと振り返った。
「戸を閉めたら、真っ直ぐ自分の部屋に帰るんだ。心配いらねえよ、八助は酔っぱらって何も覚えちゃいねえし
「だいたい旦那に言いつけられたのは奴だ。お嬢ちゃんは何も言わなくていいし、何も言っちゃいけねえよ」
石は懐を探り、さっき出された酒のつまみのなかに、なぜかあった金平糖を錫に手渡した。
由の家に戻って、妙に渡そうと思って、取って置いたものだった。
「あとで食べな」
錫は手に取った包みの中の金平糖を嬉しそうに見つめ、大事に懐にしまった。
石が消えて、言われたように戸を閉めて歩き出そうとした錫。
目の前に立つ男を見て、息を呑んだ。
「すず、どいてろ」
錫は、金縛りにあったように一歩も動けない。
目の前に立つ男、弥切は、立ち尽くす錫を避けて、屋敷の外へ出る戸を開ける。
その後ろから、数人の男たちが外へと出て行った。
「俺が出たら戸を閉めとけ」
錫は、息をするのを忘れたように固まったままだ。
恐怖で、ポロポロと目から涙が溢れて止まらない。
フゥ・・と弥切は、溜息を吐いた。
「心配するな、俺とお前は共犯だ。俺は、お前に出て行ったことを黙っていてほしい。お前は、あの男を逃がしたことを黙ってほしい、そうだろ?」
弥切が穏やかに話すと、錫はしゃくり上げながら、大きく頷いた。
「俺が、八助の件は上手く処理してやる。もう一度言うぞ、俺とお前は共犯だ。俺は約束を守る奴を、必ず守る男だ、信じろ。いいな」
そう言って、弥切は出て行った。
錫は、閉められた戸口に近づき、閂をかけた。
月明かりに照らされた錫の瞼は、赤く腫れ上がり、涙も枯れ果てていた。
この小説には人の命を軽視したり侮辱するような(特に盲目の人や女性に対して)物言い、または乱暴な表現、人を貶める蔑称や男女問わず人や物、地域に対しても差別的な表現がありますが、作者はそれを良しとしているわけではありません。作品のイメージを大事にするために故意に使っている表現ですのでご了承ください。不快だと思うのであれば読まないようにしてください。読む人の選択に任せるものです。




