ep.10 和久家
今は子毛という名前がつく宿場町だが、もともとは此処に町などなかった、
あったのは、木曽路を旅する者たちが休憩する、簡素な寄り合い施設。
そこに、定住者が現れて人が集まってくると、自然と集落の形が出来る。
尾張家の上級藩士でこの地域の知行主であった和久家は、その集落が、京から江戸まで繋がる道筋にあるという利便性に気付き、早くからここへ投資を始めた。
和久家は集落を保護し、庇護を受けて集落は、その利便性を生かして、山間のただの集落から子毛という町へと一気に発展していった。
やがて、一部の人達から子毛は脇街道の宿場町として知られるようになったが、和久家は、その存在を隠して、町からの利益を独占した。
和久家の主家である尾張家は、子毛という宿場町の存在を薄々承知していながら、和久家からの多額の上納(税)があった事で黙認した。
子毛の存在は、尾張、和久の両家の利害が一致したため、幕府に知られる事なく、その間、江戸時代の日本にありながら徳川家の支配下にないという、特殊な存在となっていた。
「てめえは見えねぇからなあ・・・このお屋敷が、どんだけ立派なのか分かんねえだろうがよ
「和久が、この町の利権を独り占めしていたから、こんな豪勢な屋敷も建てられたんだ。だがなあ、世の中ってもんは、上手くいかねえもんだよなあ」
はぁぁっ...と両手を伸ばし、八助は大欠伸すると、また話を続けた。
「てめえにも分かるように言うと、隠してたことが、御上に全部バレちまったわけだ」
「そりゃ大騒ぎになったろう? 普通なら取り潰しだ。突然、無職になった侍たちは、職探しで駆けずり回ったんだろうな」
「あん? 和久は潰れてねえよ、御上の情けってやつだな。ただ、当主はその弟が継いだらしいぜ・・ハ・ハクショアイ」
八助は、大きなくしゃみをした。
この話の裏側を詳しく説明すると...
尾張家に、全ての責任を背負わされた和久家だったが、なぜか改易(家の取り潰し)はまぬがれた。
すぐに下された沙汰(幕府からの通達)は、分封(所領の分割)。
温情をかけられたと泣いて喜んだ和久家だったが、その後、正式に幕府からその内容が伝えられる。
現当主、高久は、和久家の知行(財産)の三分の二を、弟の尚久に譲れというもの。
再分割された結果、兄、高久の知行を尚久が上回ることになったため、結果的に尚久が和久家の宗家となり、事実上の当主交代となった。
これは和久家の当主、高久の実質的な廃嫡で、徳川幕府が秘密裏に行ってた、五千石以上の旗本の石高を削るという施策に叶うものだった。
高久は慌てた。
廃嫡になったことも勿論だが、それ以上に深刻な問題があった。
銭である。
寝てても入ってくる子毛の収入をアテに、高久は散財を繰り返してきた。
増大した浪費癖は、和久家の経営を圧迫して家の財政は火の車、今では、借金が収入を上回る事態になっている。
これが幕府にバレれば、せっかく免れた御家取り潰しは反故にされかねない。
高久の家格は分家の小普請(三千石以下の旗本)に引き下げられ、借金を自力で返す力は無くなった。
その上、子毛の権益を失うとなれば、今すぐ破綻することは目に見えていた。
高久は、なりふり構わず助五郎に泣きついた。
その後、二人がどんな約束を交わしたのか分からないが、助五郎は、高久の借金相手の全てと話しをつけ、一部の借金を肩代わりした。
この屋敷は、そのときの礼に高久から譲り受けて、助五郎が自分の屋敷として使っている。
そこまでの話は、八助は知らない。
八助は、助五郎が来ない間、ハネを伸ばしている。
上座の手枕を引き寄せて、それを枕にゴロ寝していた。
「それで? うまくいったってことか?」
石が聞いた。
「さあな? 聞いた話じゃ、兄弟仲は超最悪だって話で、お互い戦でも始めるんじゃないかってくらい、憎み合ってるらしいが
「それにな・・・弟ってのが、女嫌いって有名な話だ。それもタ・ダ・ノ、じゃねえ。イカレてるんじゃねえか? って云うレベルらしいぜ」
「そんなに酷えのか?」
「尾張城下に、夜な夜な、濃い化粧をしたオンナが現れて、稚児のような若い男ばかり誘うって噂があんだよ
和久は総出で隠そうとしてるが、どうやらそれが、女の格好をした、その弟(尚久)じゃねぇかって話だ。ともかくよ、男色のレベルじゃなくて、女に欲情しねえってのが本当らしいぜ
「だから嫁が居ても、弟が同衾を嫌って、跡継ぎが出来ないんだとよ。所領をもらっても、跡継ぎがいねえんじゃあ、話になんねえなあ」
八助は、仰向けで寝ながら腰を上下に振る。
「その嫁は、すげえ良い女なんだろうなぁ。俺だったら、毎日、こうやって抱いてやる。まったく、気が狂ってるとしか思えねえな」
ひゃひゃひゃ、と笑うと天井を見つめた。
「ただ、和久が揉めてっから、オジキはそのゴタゴタに首突っ込んで、ソの河の橋造りっていう幕府の大仕事を、子毛に引っ張りこんだ
「オジキには、運と才能がある。オジキについて行きゃあ、良い思いにありつけるはずだ」
「へぇ・・そんな人と血が繋がってるなんて、お前さんも相当運があるじゃねえか」
「てめえ、よく分かってるな」
さっきまで、愚痴っていたのに、いまは助五郎の事を自慢気に話している。
...跡継ぎが出来ねえ男を当主にして、幕府は、何をする気なんだろうな。・・って云うよりも、尚久がそんな奴だって下調べしてたのか?
もう、廃嫡された兄の当主復帰はあり得ないだろう。じゃあ、弟が死ねばどうなんだ? 改易か? 後継ぎなしで領地を没収か...
「手を汚さずに、あとは待つだけ。幕府ってのは、エグいことを考えるもんだ」
石が、ボソッと呟いたのを八助は聞き逃さなかった。
「手を汚さずってなんだ? てめえは、よく分かんねぇこと言う奴だな」
八助は起き上がると、石に向いて座り足を組む。
「いいか? オジキには運と才能があるって言ったろ? いまその弟の養子にって、和久が迎えたやつ・・・が、名前は忘れちまったが
「そいつが橋造りの視察のために子毛へ来てる。オジキが接待をして、手懐けてる最中なんだよ」
「何者だ? そいつは」
石が尋ねる。
「さあ、和久の遠縁ってことらしいけどな・・・お前、聞いてねえか?」
...あしが聞いてんだアホ・・誰かやって来たな
廊下を、こちらへ向かいズシズシと床を踏む音がする。
石は、その歩幅と歩くペースに覚えがあった。
おそらく、多の屋助五郎のお出ましだ。
石は自分に言い聞かせた。
...長いこと待たせやがったな、イラつくなよ石。こっから助五郎のご機嫌とりの時間だからな




