ep.9 蘭の部屋
着いた所はこの屋敷の最奥の、三畳ほどの殺風景な畳の小部屋。
中に入ると、正面左に座布団一枚と手枕を置いた首座があり、奥に燭台がひとつ、ぽつんと置いてあった。
「ちょっと待って下さい」
錫は、石を廊下に止めると、先に部屋に入った。
座布団を探したが、この部屋に座布団は一枚しかない。
その一枚は助五郎が使うもので、客人用のものはない。
そもそも客人を通すような部屋ではないので、当たり前のことだった。
「あの、ごめんなさい。一枚しかないお座布団は、旦那様が使うものなので・・」
申し訳なさそうに、錫が謝った。
「気にする事はねえさ。あしは固え場所は慣れっこだから、冷てえ板の上じゃねえだけ、ここは天国だよ」
すっと、錫が石の手を取った。
小さな手の温もりを感じる。
石は、そのしっかりとした物言いから十五、六(才)かと思っていたが、それよりも錫の手は幼なかった。
...まだ小せえのに、手はこんなに細え傷だらけだ
錫の境遇を思うと、胸が痛んだ。
錫に手を引かれ、石は行燈に照らされた薄暗い部屋の中に入る。
「こちらに座ってください」
と云われて石はそこに座った。
ポッと辺りが明るく、少し暖かく感じられた。
錫が行燈の火を、部屋の燭台に移し替えたようだ。
「寒くはないですか?」
「ああ、大丈夫。お嬢ちゃん、気を付けて戻りな。真っ暗で怖え時は大声を出してやるんだ。そうしたらモノノ怪もびっくりして逃げちまう。あしは怖え時は、大声で歌っちまうけどな。ははは」
「はい」
錫は石に頭を下げると、「旦那様を呼んできます」と言って去って行った。
人が居なくなると、この部屋は寂し過ぎた。
ここからは屋敷内の様子が全くわからない、まるで幽閉されてるようだ。
... 蘭の言い回し通りの『密談』するには、おあつらえ向きなんだろうな
蘭とは、盗人などの隠語とも言われる。
悪党が悪事を企むための部屋、この部屋にはピッタリ来る名前だ。
しばらくして、八助がやって来た。
「すずはどうした?」
「知らねえ、用事があるなら呼んで来てやろうか?」
そう言って、石は立ちあがろうとする。
「まて、待て! てめえはここから動くな!」
慌てて八助が止める。
「動くなよ。オジキが来た時にてめえが居ねえと、俺が大目玉喰らう。すずはいいから、てめえはそこに座ってろ」
「分かった」
石は澄まし顔で座り直した。
八助は、石が座るの見届けると、自分は真ん中にドンと座り、部屋を見渡した。
「湿気臭えし、辛気くせえ、シケた部屋だな。ここは」
八助は、蘭の隠語など知らないのだろう。
しばらく時間が過ぎた。
燭台の油皿の火にひかれて、飛び込んだ蚊虫が、ヂヂッと燃えて灰になる、その音がやけに大きく響いた。
助五郎は、石が来るのを待っていたはずだが一向に現れる気配はない。
屋敷の何処かに居るのは間違いないが、もう亥の刻(夜10時頃)になろうというのに、現れなかった。
... 子の刻(0時前後)までに帰れって、弦に言われたんだがなぁ・・・
いま部屋には、石と八助しかいない。
八助は大の字になって寝そべり「人使いが荒い!」と愚痴ってる。
石は黙っていたのだが、暇つぶしに情報収集も兼ねて、八助に話しかけた。
「八助、お前さん、ずいぶんとここじゃ顔が効くようだな?」
「当たり前だろ、俺は、(八九三から)足を洗ったオジキを焚き付けて、一緒に一家を立ち上げたようなもんだぜ」
「へえ、じゃあ助五郎の相棒と言ってもいいくらいだな」
「おうよ」
八助は喜んだ。
おしゃべりで口が軽いこの男はペラペラと、言って良いこと悪い事の区別なく話してくれた。
話によると、この屋敷は元は尾張家の代官のものだったそうだ。
その代官とは、この辺りの宿場町を管轄する、旗本寄合衆の和久家。
屋敷は本陣屋敷のような豪華さだが、和久家は、避暑地の別宅のような感覚で建てたそうだ。
冬以外の気候の良い時だけ、使っていたというのだから贅沢な話だ。
「和久より格上の、尾張や江戸の役人が来たときは、どうしてたんだ? ここの他に立派な屋敷があるのか?」
「あるわけねえだろ。この屋敷より立派な建物は、この町にはねえよ」
「不思議な話だな。じゃあどこに泊まるっていうんだ?」
「ここに泊まる偉いやつなんていなかったのさ。そりゃそうさ、その昔は、和久の連中が隠してたせいで、ここに町があるなんて御上は知らなかったんだからな」
石が不思議そうな顔をしてるので、八助は笑いながら、説明を始めた。




