ep.8 案内人
錫に連れられ現れたのは、新橋色の浴衣を着た男。
胸の前で腕を組み、屋敷の玄関の取次の上から石と八助を見下ろしている。
組んだ二の腕から蛇の入れ墨が見える。
賭場の仕事を舎弟の捨八に任せ、石を見るために屋敷へと戻って来た弥切だった。
弥切は、八助と会話しているが、視線は石に向けている。
八助は、オドオドしながら弥切を見上げた。
「あ、アニキ、俺はこれからどうしたらいいすか?」
「その男を渡り廊下の一番奥、蘭の部屋に連れて行け。後で助五郎が行く」
弥切は冷たく言った。
「蘭の部屋すか? 俺はあの部屋に行ったことがなくて、よく分かねーかもしんねぇ・・」
最後のほうは消え入りそうになって、口をモゴモゴしていた八助。
弥切は、冷ややかに一瞥して言った。
「案内をつけてやる、すず、お前が連れて行け」
弥切の後ろに居た錫は、ビクッと体を硬直させて、コクリと頷いた。
その後も、弥切は何か言いたそうにしばらく石を眺めていたが、くるりと背を向けると去って行った。
「じゃあ、頼むぜ。すず」
弥切が去り、ホッとした八助はニタリと笑って話しかけたが、錫は、顔を強張らせて、視線を合わせないように目を伏せた。
空に月が上り、外は明るい月夜となっている。
屋敷の中といっても、部屋に繋がる廊下は外にある。
暗い廊下を、行燈を手に持って照らしながら錫が先頭を歩く。
その後ろに八助、最後に石、と縦に並んで歩いていた。
「なあ、つれなくすんなよ。俺は多の屋の主人と血が繋がってるたった一人の甥なんだぜ。俺に良くしとけば、この先、ここでの暮らしは安泰なんだからさぁ」
錫の尻を追うように歩く、八助の一方的な会話が続いている。
...ずいぶん、でけぇ屋敷だな
いつまで歩くのかと思う長い廊下は、軋みも少なく、柱も節くれのない良い木材を使っていて、銭をかけた屋敷だ。
五街道に置かれた、徳川お墨付きの宿場の屋敷なら分かる。
だが子毛は人目を気にする者がひっそり通り過ぎる、全国的に名も知られてない脇街道の宿場町。
そんな所の一問屋の主人が住むにしては、立派すぎる建物だ。
広さも、本陣屋敷(宿場町にある、大名など身分の高いものが止まる宿)かと思えるくらい大きなものだ。
「なあ、返事くらいしろよ。しょうがねえなあ、そうだ櫛をやるよ。賭場でスっカラカンになったオヤジから、利息代わりに巻き上げたもんだが、良いもんらしいぜ
「なんでも、そのオヤジの娘が奉公してる先の主人からもらったモンらしいが、お前にやるよ」
「要りません」
若い娘の声がした。
おや? と、石は思った。
玄関口に居た女性は、足音や歩幅から、ふくよかな大人の女性のように感じたが、この声は若い。
考えことをしてたせいで気付かなかったが、耳を澄ますと八助の前を歩く女性は歩幅も小さく足音も軽い、どうやら玄関先にいた女性とは違うようだ。
...あの時、二人居たのか
「あんまり俺を舐めんなよ。俺はお前を好いてやってるから、優しくしてんだぞ
「他の奴にこんな冷たい態度をしてたら、酷え目に遭わされても文句言えねえ。俺はやらねえが、ただ優しい俺にも、我慢の限界っつうもんがあるからな」
石は呆れて、八助を後ろから蹴とばしてやろうと思った。
...口説くのに、脅すバカがあるか
急に、錫が立ち止まる。
一列に並んで歩く渡り廊下の途中で錫が止まったので、八助も止まる。
仕方なく石も立ち往生する。
錫は後ろを向き、しっかりとした眼差しで八助を見上げた。
「舐めてるとかそういうことじゃありません。今はお屋敷での仕事が精一杯で、他の事なんて考えられないんです
「追い出されたら、何処にも行き場がないんです。それが旦那様と血の繋がりのある貴方に分かりますか?」
毅然とした態度に完全に気圧された八助。
錫はまだ数えで十二(才)。
二十五(才)の八助から見れば全然子供だろうが、余りの正論に返す言葉がない。
錫は前を向いた。
行燈を持つ手が震える、もう片方の手を胸の前で握り締め、唇を噛み締め歩き出した。
大人でも恐ろしいのに、まだ幼い娘が八九三に面と向かって言い返すのは、どれほどの勇気を振り絞ったのか、誰も想像できないだろう。
その差は開いて行くが、一向に動こうとしない八助。
石は静かにキレて、八助の尻を蹴飛ばしてやった。
「痛ぇ! なにすんだこの目暗、殴られてえのか」
八助は、二、三歩よろめいて振り向き、石に向かって来た。
石は、八助が近くに来るのを待ち、股の間に杖を差し込んだ。
そして、八助が掴み掛かろうと伸ばした手を躱し、横から背後に回り込む。
杖で絡まった八助の足は廊下を勝手に斜めに走り、バランスを失って、八助は庭へ転がり落ちた。
石はすっとぼけた顔で、「おい、大丈夫か?」と廊下の上から声をかけた。
「この野郎!」
八助は土がついた顔を払いもせず、すぐ起き上がると廊下に這い上がる。
怒鳴り声に驚いて、振り返る錫。
目の前には杖をついて歩く男の背中があり、その向こうに、顔も着物も土で汚れた八助が、真っ赤な顔で立っている。
錫は、何が起きたのか分からず、身がすくむ思いで立ち尽くしていた。
八助は、石を殴ろうと拳を振り上げた。
石は手に持った杖をガラ空きになった八助の腹に突き出した。
杖は、正確に八助の鳩尾を捉えた。
「おっ、いっつ・・」
八助は腹を抱え、屈み込んだ。
「なあ、八助。お前さんはあしの案内人だろ? ここであしと喧嘩するのがお前の仕事か? こんな事じゃ大きな仕事は、一生、任せてもらねえぞ」
石は、八助に近づき、ポンと肩に手を置いた。
「あしは、お前と喧嘩したくねえ。ここまで来れたのは、なにせ、お前のおかげだからな。感謝してんだぜ、な?」
石は、和かに八助に話しかけた。
目が見えないのに、正確に自分の鳩尾に杖を当ててきた。
八助の頭に、今日の昼間、鬼造を杖だけで抑え込んだ時の光景が浮かぶ。
あれを見たから、棒鼻に座り込んでいた石に声をかけれず、しばらく付け回すことになったのだ。
「まぁ・・いい。許してやるよ」
「ありがとよ、お前さんが理解の速え頭の良い奴で助かるよ」
八助は、愛想笑いと苦笑いの中間のうすら笑いを浮かべて立ち上がった。
「ここまで来たら、分かる。すず、俺の事は心配要らねえ。その目暗を、部屋まで案内してやれ、俺は着替えに戻る。まったく、こいつのせいで土まみれだ」
ぶつぶつ言いながら、八助は来た廊下を戻って行く。
その足音が遠くなると、石は、錫の前に杖を差し出した。
「嬢ちゃん、杖の先を掴んで、あしを部屋まで引っ張ってってくれ」
錫は不思議そうに杖を見て、石を見た。
「あしの目はダメでね、お嬢ちゃんの良い目で見て、八助みてえに庭に落ちねえように、あしを連れて行ってくんねえかな」
ポン!と石が頭に手を置いた。
「おっといけねえ、杖には上下があるんだって、お嬢ちゃん知ってる?」
「知るわけねえか」と笑っている石を錫は見上げ、おずおずと杖を掴んだ。
「いい娘だ、じゃあ、連れてってくんな」
石は、錫に引っ張られながら、鼻歌を歌い、機嫌良く渡り廊下を歩いている。
真っ暗な渡り廊下は、吸い込まれそうなほどの暗い闇で、錫が一人だったら、きっと恐ろしかっただろう。
だが、下手な鼻歌を歌う呑気なおじさんを連れていたので、不思議と怖さも和らいで、楽に歩く事が出来た。




