ep.21 店仕舞い
助五郎の一行が街道から消えると、水茶屋は急に慌ただしくなった。由が、店を早仕舞いすると決めたからだ。
「帰る支度が出来たら、二人を家に案内するわね」
と、由は言った。
「わたしもお手伝いします」
弦は袖まくり水茶屋の奥に入って行った。そして、由に聞きながら、お椀や小鉢など店の片付けを始めている。
石にとっては早仕舞いしてもらったほうが良い。気は進まないが、約束してしまったから町に行くしかない。
……助五郎はかなり執念深そうなやつだ
とはいえ、由が急に店を閉めると言い出したのでは、石もかなり急だなと思った。
半刻前に石は、由に「頼みがあるんだ」と言ったものの、どう切り出したらいいか分からず困っていた。
「なに?早く言って」
モジモジしているので、由が催促する。
「ん、うん。あのなぁ・・・つるだけで良いんだが、今夜、お前さんの家に泊めちゃくれねえだろうか?」
それに、弦と由が同時に返した。
「構わないけど、石さんはどうするの?」
「なに言ってるんですか? いっさんはどうするんですか」
...あしの事はほっといて下さい
久しぶりに夜の町を一人で歩ける。助五郎の屋敷へ顔を出すのは気が重いが、その気ままな時間は、存外悪いものでもない。その事を弦に気取られてはいけない。
「弦には、ゆっくり足を伸ばして寝れる場所が要るんだよ。町なら宿もあるだろうが、今回は連れて行けねえ。たった今、助五郎に嫌われたんでな」
「では、野宿でも結構です。今から出発して、道すがらのどこかのお堂の軒先でもお借りして今夜は過ごしましょう」
「いや、それじゃお前の疲れはとれねえだろう。無茶を言うな」
「大丈夫です。この身体の事は、わたしが一番知ってますから。まだ夜通しでも歩けます」
石は、ため息を吐いた。
「いいか、ここで倒れかけたばかりだろ!そんな事あ無理に決まってんじゃねえか」
石と弦の言い合いが険悪になり、妙がキョロキョロして二人を見比べてる。
「もう喧嘩しない、いいから二人ともおいで。たえも喜ぶし、狭い家だけど二人くらいは大丈夫だから、任せて」
弦は自分達の言い合いに驚いている、たえを「ごめんね」と言って抱き寄せた。
「よしさん、あしが悪かった。とりあえず、あしは子毛に用があるんで、お前さん達と家まで行った後、町に行く事にするよ」
...今夜は子毛で過ごすから、帰って来る気はねえけど
「いっさん、町で助五郎に会うんですか?」
「ああ、京や堺みてえな大きな町ならいざ知らず、小さな町や村は、そこで力のある奴にスジを通しておかなきゃ、後々、面倒な事になるからな。なに、いつもと同じだ。上手く行かなきゃ逃げ帰って来るよ。そん時ゃあ、お前にも野宿を覚悟して貰う事になるけどなぁ」
へへへ、と頭を掻きながら、今日は我慢の日だと自分に言い聞かせた。
…弦にはもう無理をさせられねえ。屋敷に行ったら助五郎にへり下って、精一杯のご機嫌取りだな
ともかくこれで、弦は家でゆっくり身体を休められそうだ。後は、石が助五郎の言う通りに屋敷までモメ事を収めに行くだけ。
石と弦の旅は人の目を憚るものだ。
その為に、五街道を避け険しい山道を歩き、野宿もして来た。
楽な道のりじゃないと、弦も分かっていたから、石にも弱音を吐けなかったのだろう。無駄に頑強に生まれた自分が悔やまれる。
華奢で京育ちの、弦が同じように出来るわけがないことを忘れていた。もしかしたら考えないようにしていたのかも知れない。
そう思うと、申し訳ない気持ちになった。
「余った惣菜は夕食にするから、破子(ヒノキを薄く削った板で作る容器)に入れておいてね。お饅頭は、経木(薄い木の板の包装材)に包んで、七輪の下の棚の中に」
「はい」
弦は言われたように食材を包むと、七輪の下にある取手を開き、棚にそれらを納めた。
「包丁は吊るすところがあって、まな板は横に引っ掛けて置けるから、その前に洗ってくるわね」
「わかりました。この洗った薬缶は、どこに置けば?」
「あぁ、それは、包丁と一緒で……たえが触ると危ないから、少し高い所に置いてあるのよ」
「それで、ここにしてあるんですね」
二人は、もう昔からの知り合いのように息が合っていた。
……あの娘たちの邪魔にならねえようにするか
店内の二人の弾んだ声を聞きながら、石は店から少し離れる。そうすると、弦がスッと近寄ってきて小声で言った。
「お願いですから、煙草は吸わないで下さいね」
イラっとしたので、小さな声で返してやった。
「そんなこたぁ分かってるよ、うるせぇなぁ」
「分かってるなら良いんです。それにいっさんほどじゃ有りませんが、小さな声で言っても、うるさいって言ったことは聞こえてるんですよ。わたしも耳は良いほうなんですから」
と言って、弦はスタスタと店に戻った。
石は鼻を鳴らし、店から少し離れると、街道の端の草原に腰を下ろした。
…面倒なこったな、あーやだやだ。あいつに媚びるのは気乗りしねえが、子毛にしばらく居座る為には、頭を下げるしかねえ。だが助五郎も一応は一家を構える渡世人。スジさえ通せば、しばらく町に居座っても面と向かっては文句は言えまい
吹く風が薄の穂を揺らしていた。
…按摩の客がどれくらい居るかな? それよりどうやって客を増やすかだ。京から江戸へ続く道筋の宿場町。五街道の宿場ほどじゃなくても、多少の賑わいはあるだろう。路銀を稼げるくらいの客は居るはずなんだがなぁ
普段は、土地の有力者の懐に入って宿や(按摩の)客を紹介してもらうのだが、今回はその有力者の助五郎と揉めてしまったから、諦めるしかない。
...しくじったなあ・・・ガキじゃあるまいに、あしは何やってんだかな?
もう助五郎とは、前世からの憎し因縁があったとしか思えない。
...前世でも、あしがあのアホウに楯突いて怒らせてたんだろうなあ
ひひひ、と一人笑う。
これまでの石の人生の中で、八九三というものは、道すがらの野っ原に転がる糞のようなものだ。あって当たり前のもので、最初から相手を毛嫌いするのは珍しい事だった。
...助五郎は、あしが行かなきゃ地の果てまで追うと言ったが、あれは本気なんだろうな。なんて心の狭い奴なんだ。棒鼻(町の入り口)に、あいつが寄越すと言った使いは、間違いなく手下の八九三だろう。ムカつくから巻いてやろうかな……いや案内人なしじゃ屋敷に辿り着けねえや、面倒くせえ
弦と上方を離れて、八年。あの日から、石の「大事なもの」は、それ以前とはまるっきり変わっていた。
京での石にとって、大事なものは自分の命と今日を生き延びる事、それだけだった。いま大切なのは、真っ当に生きる人達に迷惑をかけない人生を送る事。
そして、もっとも大事な事は、弦が生きる事、泣かせないことだ。
養父母の家を後にしてから石の人生は深い闇の底辺にあって、ずっと藻掻き苦しんでいた。未来は閉ざされた、希望の無い毎日。
いま考えれば奇跡だと思う。
弦と出会った事は、石の人生を一変させた。照れくさくて言葉にした事はないが「ありがとう」と何度、感謝しても足りないくらいだった。
この小説には人の命を軽視したり侮辱するような(特に盲目の人や女性に対して)物言い、または乱暴な表現、人を貶める蔑称や男女問わず人や物、地域に対しても差別的な表現がありますが、作者はそれを良しとしているわけではありません。作品のイメージを大事にするために故意に使っている表現ですのでご了承ください。不快だと思うのであれば読まないようにしてください。読む人の選択に任せるものです。




