ep.22 風の音
石は手持ち無沙汰のまま、道の端に腰を下ろし、周囲の音に耳を澄ませた。風の音、虫が鳴く声。女性達の会話が聞こえる。
…平和だねぇー
煙草が吸いたくなって、煙草入れに手をかける。さっき注意されたばかりなのを思い出してやめた。
「ふぁぁあい」
長旅の疲れが襲って来て、生欠伸する。
……やる事がねえと、眠くてしょうがねえや
弦の困ったような声が聞こえた。
「よしさん、この荷車はびくともしないのだけど、何かコツがあるのでしょうか? さっきから動かそうとしてるんですけど、全く歯が立たなくて」
店の裏手から、洗い物で汚れた桶の水を捨てに行っていた由の声が返ってきた。
「コツってわけじゃないけど、動かすには仕掛けがあるの。あとは桶を洗うだけだから。少し待ってて」
……帰る準備は出来たのか。後は荷車を外に出し、屋根の下に腰掛けを片付ければおしまいだな。仕掛けのストッパーは、さっき触っておいたから仕組みは分かる
そろそろ、あしの出番かと石は立ち上がり、大きく背伸びをした。
「あぁっ……」
旅の疲れで弱った腰を叩き、のそのそと店へと歩を進める。店の中では、弦が荷車を見つめまだ悩んでいた。
石は店の中に入ると、弦と荷車の間に割って入った。
「そこの可愛いお嬢さん、ちょいと前を失礼しますよ」
そう言いながら石は、荷車のそばにしゃがみ込む。
荷台の横に手を這わせ、先ほど確認したストッパーと思しき部分を指で探る。ガクッ、と荷車が揺れ、重みが地面へ伝わるのが分かった。
地面を触ると、車輪に石が噛ませてあった。それを脇に避ける。その時、ちょうど由が洗い物を終えて戻ってきた。
「荷台の横のストッパーを引けば、動くようになる仕組みなんだけど……」
由が立ち止まった。
目の前で、石が車輪に手を伸ばし、噛ませていた輪留め代わりの石を外している。
石は由の目線を感じて振り返る。
…ありゃ? これは要るのかな
「よしさん、この石は必要なもんだったのかい?」
輪留め代わりの石を見せる。由は戸惑った様子。
「あ、いや…それはいつも店に置いているから」
「?…そうかい、じゃあここに置いとくよ」
脇に置くと、石は荷車の取り手を握って、荷車を動かし始めた。
「つる、荷車を外に出すから案内してくれ」
「はい」
…え?
由の目の前で、石が弦に指示を受けながら荷車を外に出して行く。そして出した後は、当たり前のように腰掛けを店の中に収めた。
そして石はまた荷車に近づく。取手の囲いの中に入って取り手を掴み引き上げる。
「あっ、石さん。ちょっと待って。荷車は、あたしが曳いて行くから」
「気にする事はねえよ。こう云う力仕事は、男がやるもんだと教えられて育ったんでな」
そう言うと、石はいつでも出発できるように合図を待っている。
「いっさんの好きにさせて下さい」
「でも」
「たえちゃんもずっと働いてたのに、いっさんはただ怠けてただけですから。ほら、あのお腹を見て下さい」
弦の指差すほうに、石のぽっこりとした中年腹があった。
「最近、太り気味なんです。痩せるのに、これぐらいの力仕事は丁度良いんですよ。ね、そうですよね。いっさん」
石は黙って、上を仰いでいた。
弦は笑顔で辛辣な言葉を投げかけているが、由は、どう返してよいか分からずにいた。
……酷ぇ言い方だな
石は心の中で愚痴をこぼした。由を納得させるための、弦の方便だと思いたいが、たぶん本心なんだろう。
「でも、石さんは……」
由は『目の不自由な人にこんな事をさせるわけにはいかない』という言葉を飲み込んだ。この二人とはまだ、そこまで立ち入った話ができる間柄ではない。弦は、由の喉元まで出かかった躊躇まで理解していた。
「大丈夫ですから。いっさんに任せてください」
弦は笑顔で、由に話した。
「さあ行きましょうか、いっさん」
「ああ」
石は取り手を握り締め、荷車を引き始めた。




